コドク共有

ぜんぜん、わかんねぇ。 [ACT4-4]

徹夜続きの中、義人はダビングに立ちあっていたが、こずえに浴びせられた強烈な一言が忘れられないでいた。そんな義人にとって、美島こずえの演じるヒロイン・シュオンがいつの間にか現実の彼女と重なって見え、その言葉が彼の中でこだまするのだった......


 余計なことするんじゃねーよ! 余計なことするんじゃねーよ!

 そのセリフが闇の奥深くで何度も繰り返され、次第にはっきりと聴こえるぐらいになると、オレはがばっとソファから半身を起こした。

 ダビングルーム。スピーカーから、美島こずえの声が大音量で繰り返し流れている。余計なことするんじゃねーよ! 余計なことするんじゃねーよ! さっき音響さんが「レベル調整しますんで」と言った後、このシュオンのセリフを流しはじめたらしい。同じセリフを聴きながら、録音機材をあれこれ調整しているのだ。オレは「レベル調整しますんで」に続いて「ちょっとお待ちを」と言われた直後、意識がブラックアウトしたようだった。

 監督やプロデューサーは、ロビーに出ていた。なんせダビングは、時間がかかる。早くても六時間、長い時は十時間を超えることも珍しくない。そのためこういった待ち時間には、絵コンテやキャラデザインなどの打ち合わせを入れることもあった。オレは涎を拭き、バッグを抱えてふらふらと立ち上がると、部屋を出た。その間、ずっと美島こずえの声が追ってくる。余計なことするんじゃねーよ! 余計なことするんじゃぁ・・・。よりによって、音響さんもこんなセリフを使わんでもええだろうにぃ。睡眠不足の靄のかかった頭で、ひっそり泣きを入れた。

 ロビーでは、監督が絵コンテ打ち合わせをしていた。ファンくんが担当なのか、ゲストキャラや美術設定などを広げている。たぶん時間を見計らって、外注の絵コンテマンを連れて来たのだ。オレと目が合い、大丈夫? と訊いてくる。寝てないでしょ? アフレコからダビングまでの一週間、地獄のような忙しさは制作進行なら誰でも知っている。オレは口角を上げて応えようとしたが、それは中途半端に固まった。

 足を引きずるようにして事務カウンターまで辿り着き、ポットのコーヒーをカップに注ぐ。コーヒーを啜りながら、カレンダー付きの置き時計を眺めた。編集でちょっとしたトラブルがあり、ダビングが日曜日にずれ込んでいた。昨日の晩からまともに寝ていないので、昼夜も時間の感覚も麻痺している。おまけにスマホの電池も切れたままだった。日曜の夜七時をすこし過ぎたところだ。美島こずえの芝居の最終日。たぶん今、幕が上がったころだろう。

 あの後、小西さんからオレのスマホに何度か電話があった。美島こずえから電話番号を訊いたのだ。だがオレは、電話に出る気になれなかった。アニメの仕事を始めて、節約のため留守電も解約している。それで何度かの着信の後、SMSが来た。先日は、鮫島が申し訳ございませんでした・・あれこれ。オレにとっては、どうでもいいことだった。鮫島っていう男に殴られたことなど、美島こずえの口から放たれたセリフに比べれば片腹痛いわ、くわっかっか・・・ぐらいのもんだ。

 なぜ来たんですか。待っててって言ったじゃないですか! という実際に浴びせられた言葉の後に、今は十歳のシュオンの、余計なことするんじゃねーよ! が続く。泣きっ面に蜂のようなセリフの雨アラレじゃぁありませんか。当然、美島こずえからはメールも電話もない。何が当然かは、ぜんぜん分からないのだけれど。

「柏原ぁ!」

 コーヒーをずるずるやりながらふて腐れていると、監督が呼んだ。「この後、どうなってんだっけかなぁ?」とシナリオを持ち上げている。絵コンテマンにシナリオを説明しようとして、今後の展開を忘れてしまったらしい。

 「うぃーっす」と応えて、打ち合わせの席に加わる。頭の中で、宇宙海賊の美島こずえがフラッシュする。髪に装着した通信装置に、何やら秘密めいて囁いている。ブルーのスポットライト。すこし眩しそうに閉じた目。信じられないくらいに、睫毛が長い。

「今回、どこまで描写するかだよなぁ?」

 スポットライトを浴びた美島こずえの代わりに、むくつけき監督の顔が迫った。「お前、まだ顔腫れてんなぁ。大丈夫?」

「大丈夫っすよ。もうぜんぜんっすから」

 鮫島に殴られたところは、ベッドから落ちたことにしてあった。アニメの現場は人間の密度が濃いので、あれこれ詮索される前に適当なウソで固めておく必要があるのだ。

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コドク共有

寺田憲史

「ねぇ、自殺って遺伝するの?」アニメ会社で働く柏原義人は、父親を自殺で亡くした少年・祐介にそう聞かれ、言葉につまる。それは、義人も同じように父を自殺で亡くしていたからであった… 誰もが持っているコドク。そのコドクはどこかで、誰かとつ...もっと読む

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corkagency ファイナルファンタジー1~3のシナリオを手がけた寺田憲史の 『コドク共有』第18回「ぜんぜん、わからねぇ。」が更新。 おさえきれないこずえへの気持ちが、涙となって、義人の頬を伝う。 http://t.co/3WsphxWfKV http://t.co/XGToLWwzsp 4年以上前 replyretweetfavorite