芝居の稽古っていうと、オレは勝手に映画のメイキング映像みたいなものを想像していた。
監督はスタッフにあれこれ指示し、俳優たちに演技を付けていく。だが俳優は俳優で、演技に対し独自の捉え方をしている。メイキングには、主演女優が監督と意見を衝突させたエピソードなんかも出てくる。「そうね。だから彼とは、何日も何時間も話し合ったわ」笑顔で語る彼女は、例えば役の上では無口で引っ込み思案な女の子を演じていても、おお、普段は主張のはっきりした子なんだなと感心させられ、そのプロ意識にますます惹かれてしまったりもする。
だが小西さんについて屋上に上がってみると、そこには映画のメイキングで見るような自由で開かれた雰囲気とはほど遠い空気が充満していた。
仮設した照明が照りつける下で、ジャージを着た男女の群れが舞踏のようなものをやっていた。意味不明の雄叫びを上げ、太極拳の変形みたいな揃った動き。表情はまるで無表情を義務づけられたように沈み、噴き出す汗がかえって不自然に思えるくらい個性を消していた。正直言って、ちょっとカルトがかった教団施設に入り込んでしまったような、強烈な違和感を覚えた。
小西さんが近くの若者に買い物袋を渡すと、「体育会系でしょ?」と言ってオレに目配せする。
「うちの基礎トレーニングなんですよ。お芝居は、肉体。頭で演技しようものなら、ぶん殴られちゃうの」
「ぶん殴られちゃうんすか?」
冗談だろうと訊き返すと、「やぁねぇ、野蛮で」と人ごとのように笑い返してくる。
群れの中に美島こずえの姿はなかった。その人熱れの向こうにすこし大きめのプレハブがあり、おそらくそこが基礎トレを終えた役者たちの稽古場なのだろう。やはりそれにも、煌煌と明かりが照らされている。目の前の一団が宗教がかって見えるためか、普段は資材置き場のような古い建物が、この島の住人たちの聖なる神殿のように感じられなくもない。
「美島さんも、やっぱりこういった基礎トレを?」
「もちろん。入ったばかりのころは、あの子もウブだったですからね。この子たちと同じで、熱心な
たしかにここは、作・演出の絶対的な存在の磁場となっていると思えなくもない。オレは磁気にやられたマヌケな小鳥のように、もう違和感がどうだの考える力を失ってプレハブの神殿に引き寄せられていった。
人垣のすき間から、美島こずえが見えた。
黒の長ティー、黒のスウェットパンツ。長い髪はポニーテールにし、タオルを細い首に巻き付けていた。大きな瞳はかっと見開かれ、男三人を相手に啖呵を切っている。汗がシャワーを浴びたように流れていたが、拭おうともしない。朗々とセリフをしゃべり、三人の男を圧倒する。
原チャリでいきなりぽんと宙に飛ばされた気分だった。
そのオレはハンドルを握りゆっくりと宙を回っている。何度も、何度も。周りの音は潮が引くように聴こえなくなり、気づくと透明ガラスの金魚鉢の中にいて、美島こずえが見える。オレが今まで見たこともない、美島こずえ。必死に呼びかけるが、彼女には聴こえない。彼女にはただ口をパクパクやってるだけのオレが、見えている・・・。
「あの子ね、ようやく吹っ切れたんですよ」
小西さんがオレの耳元で囁いた。それで、現実に戻った。
「鮫島教。抜けるの、結構大変だったの」
オレらはプレハブに入れず、控えの役者たちに混じって開け放れた窓に張り付いていた。周りは鮫島信者ばかり。小西さんはオレが困って目を泳がせたのを、すかさず読みとった。
「いいんですよ。この子たちも、いずれは鮫を超していかなくちゃいっちょ前になれないんですから」
「そういうもんすか」
「そういうものですよ」
ふたたび、美島こずえに目を戻した。
さっきとは打って変わって、美島こずえはコミカルな動作で敵の刀を抜き取ると、宇宙海賊の娘らしく男たち相手に大立ち回りしだした。その一連の動きに合わせ、明らかに役者とは違う男が竹刀を振り、美島こずえの所作に細かく指示を出す。違う。バカ。そこだ、踏み出すんだよ。どうやらその人が、演出家のようだった。美島こずえは男の罵声を浴びながら、だが確実にそれに応えるように細かく調整していく。
凄い・・・。
思わず口をついて出た。美島こずえが男の指示を体で吸収し、そして瞬時に自分なりの解釈を加えて新たな動きを作り出している。栄養剤を注入された植物が、まるで早送りで活性化されていくみたいだった。
「マジ? あの子——」
その時、小西さんがぽつりと言った。目は、稽古場に釘付けになっていた。明らかに何か不穏な空気を嗅ぎ取っている。
「どうしたんです? 何か、美島さんが・・・」
小西さんはオレを見ることなく、手で制した。
「こずえじゃないの」
「え?」
「鮫よ。あんなマジなあの子、見たことない。やだ、どうして今まで気づかなかったのかしら。柏原さん・・・」
「はい」
「ごめんなさい。やっぱり絵はお預かりさせていただきます」
「どういうことです?」
「どうも、そんな雰囲気じゃなさそうなの」
鮫島という演出家が、竹刀で床を激しく叩く。早口に細かい指示を出す。美島こずえはそれに挑むような目を向け、演技を止めずに続ける。ほかの役者たちは、そのふたりの気迫に押されたように、遠巻きになりながら芝居に加わるタイミングを計っている。
「バカね、鮫ったら・・・」
いつの間にか、小西さんが涙声になっていた。
演出家はたった今檻に放り込まれたトラのように、めまぐるしく動き回った。檻を囲む人間たちはもう眼中にない。その牙は、ただ一点、美島こずえに向けられていた。
「バカ・・・。今ごろ、こずえに惚れたって遅いわよ」