第一話 図書館の死体
うとうととして目ざめると東京だった。長旅で体がこわばっている。私はばりばりと音を立てるようにして三等客車の固い椅子から身をひきはがし、車室を出て、新橋
が、いなか者のかなしさ、私はそれまで路面電車なんか見たこともなかった。
どこへ行けば乗れるのかさえ見当もつかなかったから、改札場を出たところで勇気を出し、見知らぬ紳士に声をかけた。紳士は、
「ああん?」
露骨にいやな顔をしたあげく、何ひとつ教えてくれぬまま行ってしまった。私はもう一生ぶんの気疲れがして、内心、
——東京は、
生まれ里のことばで嘆いたものだった。私はまだ十九歳だった。
結局、路面電車には乗らなかった。
乗るだけの気力がなかった。私はそれから故郷熊本でもっとも安価、かつ安心できる交通手段を使うことにした。二本の
こんなところへ来るんじゃなかったと思いながら、それでも首だけは上に向けて、
「
という看板をさがしもとめる。どういう建物かは知らない。ただ本郷森川町にある、比較的
水明館は、なかなか見つからなかった。
こうなったらもう、
——どこでもいい。次に出くわした宿へとびこもう。
とも幾度か思ったけれど、ようやく本郷とおぼしき街にたどり着き、宿を見つけて門をたたくと、下女ではなく、主人みずからが私をせまい座敷へ案内した。頭のまっ赤にはげあがった中年男だった。私は、たたみの上に突っ立ったまま、
「急な話ですみませんが、暑中休暇のあいだ……そう、一か月ほど滞在したいんです」
「かまいませんよ。
「いくらですか」
「五円」
——高い。
と、私は感じた。私は出発前、母校の校長である桜井
——値下げを申し入れようか。
とも思ったが、しかしこれが現在の物価なのかと思いなおして、
「わかりました。あとで払います」
あるじはなお、さぐるような目で私を見て、
「見たとこ……学生さん?」
「はい。高等学校の」
「
「
言いつつ、私はちょっと制帽のつばへ手をやった。制帽の
あるじは納得したらしい。ごく事務的な口調で、
「熊本か」
とつぶやいたあと、宿帳をさしだしながら、
「それじゃあ、お名前と
私はやはり立ったまま、筆をとり、さらさらと本名を書きつける。と、あるじはきゅうに顔を笑みくずし、
「ああ、あんたでしたか。手紙をあずかってますよ」
「え?」
「きょうの朝、お使いの人がとどけて来てね。もってきます」
くるりと背を向け、ぱたぱた部屋を出て行ってしまった。
——手紙?
と私が首をかしげていると、彼はふたたび戻ってきて、私にそれを手わたした。私ははさみで封筒を切った。封筒のなかには、便箋が一枚、入っていた。文面は青の万年筆で書かれており、
明治三十八年八月三日、午前十時きっかりに東京帝国大学附属図書館にて貴君を待つ。当方はおそらく学生閲覧室の、いちばん奥から一つ手前の尖塔 アーチの窓のたもとの机にて読書に耽 けっているであろう。遠慮は成功の大敵である。ひるむことなく声をかけられたし。
東京帝国大学法科大学
教授宇野辺叡古
しらずしらず、私は、
「どういうことだ」
とつぶやいていた。宿のあるじが、ふしぎそうに私の顔をのぞきこんで、
「何かご不審でも?」
「いや、叡古教授は、なぜ私が
「あんたが前もってお伝えしたんじゃないので、学生さん?」
「とんでもない。まだ顔も見たことがないんです」
「ははあ」
「そもそも私は、ついさっきまでこの水明館に滞在するかどうか決めていなかった。あんまり歩くのに疲れたので、もう いいや、どこでもいいから飛びこんでしまおうと。まあ結局はご厄介になることにしたわけですが、それを叡古教授はあたかも千里眼のごとく、この手紙を書いた時点で見通していた……」
「ははあ。なるほど奇妙ですなあ」
と、あるじは至極のんびりしている。関心がないのだろ う。そのかわり、ふたたび手紙に目を落として、
「それよりも、学生さん。今夜ははやく
「どうしてですか」
「よく読みなさい」
と、手紙の
「あ」
きょうは八月二日。すなわち、
「……あしただ。それも午前中」
強行軍というほかなかった。何しろ熊本を出てからここへ来るまで、まるまる三日かかっている。その行程はすべて三等客車。もちろん
その上、新橋の停車場で降りてからは路面電車に乗ることもなく、ひたすらここまで歩いてきた。足が痛く、手が痛く、背中も腰もぎすぎすする。旅の疲れを取るために二日か三日はぜひこの宿でゆっくりしたいところだった。
あるじは心配そうな顔になって、
「学生さん、だいじょうぶですか?」
「だいじょうぶです」
私はうなずいた。とにもかくにも、私は、叡古教授に会うためにこそ東京の地をふんだのだ。あるじは、
「大学へは、行ったことがおありなので?」
「ありません。上京そのものがはじめてですし」
「つくづく無理が重なりますな。よろしい、あしたは出がけに道を教えてさしあげましょう」
「道を?」
「そう」
「ありがとうございます!」
私は、思わず深いお辞儀をした。さっき新橋
「どういたしまして。お風呂はもう沸いてますよ。下女にお背中を流させましょう」
宿帳を小脇にかかえ、部屋を出ていってしまう。私はその小さな背中を見おくりながら、内心、
——何という親切な人じゃ。
思わず涙ぐんだ。内金に五円というのがやはり相場よりだいぶん高い額だと知ったのは、しばらく後のことだった。
†
翌日。
宿のあるじに送り出されて「水明館」を出発したのは午前九時。
大学構内へ入るには、まず有名な赤門をくぐる……ことはせず、もっと北にある粗末な
図書館は、いわゆる洋風建築だった。
あざやかな
玄関も、やはり尖頭アーチをそなえている。私はおずおず足をふみいれ、受付の事務官に、
「あの……熊本の、第五高等学校から来た者ですが」
「紹介状をお持ちですか」
「はい。法科の、宇野辺叡古教授の」
私は
「お入りを」
返してはくれないらしい。私はちょっと戸惑ったが、そんなものかと思いなおして、
「ありがとうございます」
あっさり知の殿堂のなかの人となった。かたわらの柱時計へ目をやれば、時刻は九時三十分。
——待ち合わせには三十分もある。まだ来ておられないだろう。
私は、学生閲覧室へ足をふみいれた。
「ああ」
思わず声をあげてしまった。たかだかとした天井、ひろびろとした空間。左右にならぶ巨大な窓から
部屋のなかには、机もたくさん置かれていた。
四人がけの机が……というより閲覧台が、縦に九つ、横に四つ、
「あ」
私は、ごくりと
——叡古教授だ。
私はそう確信した。あらかじめ聞いたところでは、叡古教授は四十歳前後。めがねをかけ、ひげを生やし、少し
しかも教授は、うつむいて本を読んでいる。
手紙に書いてあったとおりだった。教授は私を待っているのだ。私は、おのれの心臓がどんどん鼓動を速めるのを感じたが、しかしあの手紙には「遠慮は成功の大敵である」という金言も記してあった。そうして私は、遺憾ながら、遠慮のかたまりのような人間なのだ。
——勇気を出せ。
みずからを
「あの」
返事なし。
教授はあたかも猫のように背をまるめ、本に目を落としたままだった。さすがに帝大教授の集中力はすごいものだと私はすっかり感激しながら、
「あの……宇野辺叡古教授でいらっしゃいますね。わたくし熊本から来た学生です。教授と同郷の……」
ささやきつつ、なお反応が見られないので、物理的に注意を喚起することにした。教授の背広の肩のあたりを指でつまみ、ぴんと手前にひっぱったのだ。
と。
教授は本を読む姿勢のまま、ゆらりと体がかたむいた。
かたむく速度をはやめつつ、こちらへ横ざまにのしかかってくる。
「あ、あの」
教授の頭は、とうとう私の肩に乗ってしまった。
私はこのとき、五高の制服を着ている。これもやはり一高のとそっくりの、黒地の詰め襟に金ボタンのものだが、その制服の肩から教授の頭はずるりと落ち、まるで石が坂をころがるように私の胸をころがり落ちた。
そのさい頭が半回転して、鼻がちょうど私の制服の金ボタンに引っかかり、顔が上を向いたので、一瞬ながら目と目が合った。教授の目は、めがねの奥で、ゆで卵のような
ぎょっとする
「あああああああっ!」
絶叫したのは、おそらく同時だったのではないか。まわりの勉強熱心な大学生たちは、ここでようやく異変に気づいた。
めいめい椅子から立ちあがる。私のほうへ駆けてきて、
「うるさいぞ」
とか、
「どうしたんだ」
とか、
「あっ。医者を呼べ」
とか、くちぐちに言いはじめる。日本の最高学府にふさわしからぬ怒号と混乱がこの部屋をみたし、私を畏怖させた。私はただその場に突っ立ったまま教授を見おろすしかできなかった。教授は……というより教授だった肉体は、ぐんにゃりと上半身をねじるような
——この人は、どうして片手だけ白い手袋をしているのだろう。
ということだった。
<冒頭部分を抜粋>
門井慶喜
1971年群馬県桐生市生まれ。栃木県宇都宮市出身。94年同志社大学文学部文化学科文化史学専攻(日本史)卒業。2003年「キッドナッパーズ」で第42回オール讀物推理小説新人賞受賞。06年『天才たちの値段』で単行本デビュー。
〈作品〉『天才たちの値段』2006年文藝春秋刊。『人形の部屋』07年東京創元社刊=第61回日本推理作家協会賞(長編及び連作短編集部門)候補。『パラドックス実践 雄弁学園の教師たち』09年講談社刊(収録作中「パラドックス実践」=第62回日本推理作家協会賞(短編部門)候補)。『竹島』12年実業之日本社刊。『シュンスケ!』13年角川書店刊=第3回歴史時代作家クラブ賞(作品賞)候補。『かまさん』13年祥伝社刊=第3回歴史時代作家クラブ賞(作品賞)候補。『注文の多い美術館』14年文藝春秋刊、他多数。
気になる受賞は、選考会が2015年7月16日(木)に行われ、「オール讀物」9月号に掲載されます。