諸賢はこう思うかもしれない。食いたいものを食えばよいと。そのとおりだ。日本の食は豊かである。食いたいと思えば大抵のものは食える。ワニやカンガルーの肉を出す店もあるらしい。ならばペガサスの肉を出す店もありそうなものだが、それは無いようだ。架空の動物の肉は売っていない傾向が強い。
さておき、食いたいものを食うには、何を食いたいか把握することが不可欠だ。では、いったいわたしが食いたいものとは?自分自身が欲しているものを自分で把握していな いとは妙なことである。わたしはわたしに問いかけた。おい、わたし。何を食いたい? ……………………………………返事がない。しかし思えば、空腹という感覚がそうであったように、欲望はもっと野卑な形で表れるものだ。カッターで指の腹を切ってジワと血の玉が滲んでから「さて、痛がろう」と考えるのはナンセンスである。わたしの中にいきなりその感覚が湧き起こらない時点で、わたしはそれを欲望していないのである。
つまり、わたしは空腹でありながら、同時に何も食べたくないのである。
しかし、そんなことってあるのだろうか。まるで三角形でありながら内角の和が百八十度にならないかのようである。矛盾である。いや、だが、待て。似たようなケース「ガンになったが、入院はしたくない」は別段矛盾していない。きっと、それと似たようなことなのだろう。「空腹だが、何も食べたくない」は矛盾していないのである。
矛盾はしていないが、問題が解決したわけではない。なぜなら、このまま空腹を放置すると飢えて死ぬからである。ガンになったけれど入院したくないからといって、入院を拒否し て放置すれば死ぬのである。わたしは何かを食べなくてはならない。この必要性は変わらない。わたしはまた、指の関節を鳴らした。
欲望を喚起する、という手はどうだろう。
わたしは何も食べたいと思っていない。だが、それは「今」そう思っているに過ぎない。 わたし自身の働きかけによってどうにか食欲を呼び覚ませないだろうか。そこで「夕暮れカレー現象」を利用することにした。夕暮れカレー現象とは、夕暮れどきの住宅街においてど こかから漂ってくるカレーの匂いを嗅ぐとカレーの鮮明なイメージが立ち現れ、カレーを食べたくてたまらなくなる現象のことである。
ここは電車内なので、引き金としてのカレーの匂いは見当たらない(嗅ぎ当たらない)。 わたしはできるだけ詳細なカレーのイメージを創りあげることにした。とろみをおびたルウ。 ゴロゴロしたじゃがいも。にんじんの彩り。そして鼻をつくスパイスの刺激……辛い甘美の世界である。だが、不思議なことに「食べたい」という気持ちが全く湧いてこない。なぜだ。 これほど食欲をそそる空想を前にして、なぜなのだ。
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