ジャリーラは、洋子がまだバグダッドにいた頃から、過激派の脅迫を受けていたらしかった。洋子が帰国する際、彼女は別れを惜しんで泣き続けたが、それは単に、寂しくなるから、というだけではなかったのだった。
最初は、携帯に仕事を紹介してほしいという不審な電話がかかってくるようになり、やがてそれが、殺害を予告する脅迫に変わった。
彼女は、自分が一体、誰に、何の理由で命を狙われているのかがわからなかった。
家族の中でも付け狙われているのは彼女だけで、恐らくは、ムルジャーナ・ホテルに出入りし、外国人と一緒に働いているからだった。
四日前、自宅に戻ると、玄関に一通の封筒が落ちているのを発見した。表には、赤い文字で「我々はスパイを殺す」とあり、中には三発の銃弾が入っていた。その日の午後、彼女は、アメリカ軍の通訳をしていた大学の先輩が、通勤途中に何者かに襲撃され、銃殺されたことを知った。彼女も同じように脅迫され、電話で相談し合っていた。ジャリーラが亡命を決意したのは、その時だという。
彼女は、亡命の手引きをする闇業者から、八千USドルで偽造パスポートを購入し、車でアンマンに脱出して、ストックホルムを目指して経由地のパリ行きの便に乗った。そして、トランジットの入国管理官に、このところ、何件も報告が上がっていたその同じ業者の偽造パスポートを見破られたらしかった。
洋子は、なぜフィリップに相談しなかったのかと尋ねた。しかし、ジャリーラはその無理解に反発して、正規の手続きを待つ余裕などなかった、一日遅れれば、自分はあの大学の先輩と同じように殺されていただろうと言った。
空港内の警察署に連行され、ただちに退去命令が下される可能性があったが、失敗の際の対処として、業者から助言されていた通り、彼女は国際赤十字の事務所に連れて行ってほしいと訴え、幸運にも聞き容れられたのだった。
洋子は、仕事の癖で、メモを取りながら一連の説明を聴くと、赤十字の担当者と今後の対応について話をした。
慢性化している職業的な憂鬱を、腕組みの姿勢でいつも耐えている風のその大柄な女性は、必ずしも珍しいケイスではないと洋子に言った。彼女の抑制された、思慮深げな表情が、自分にどういう類の共感を求めているのか、洋子は判じかねた。助けようとしてくれているのか、それとも、自分たちに出来ることはないのだ、と言おうとしているのか。
洋子は、送還されれば、彼女はきっと殺されると、イラクの悲惨な状況を説明しながら必死で訴えた。覚えず涙ぐんでいた。担当官は、よくわかっているというふうに頷いて、今後の手続きとして、一階下の警察署で事情聴取を受ける必要があること、そのまま、簡易裁判所に移動して、亡命希望者としての滞在許可が下りるかどうかの裁判を受けなければならないことを説明した。希望するなら、これからすぐにでも可能だという。三十分ほどの審理で評決が下され、そこでジャリーラの運命は決まる。不許可となり、送還される例も多いが、他国ならともかく、イラクからの亡命希望者となれば、話は違うかもしれない。いずれにせよ、幸運も必要だと言った。
洋子は、今日なら自分も付き添えるからとジャリーラに英語で説明して、赤十字の職員に裁判時の証言の注意を細かに質問した。彼女は頼りになると、洋子はようやく、その口調から判断した。
ジャリーラは、みんなこの方法で成功しているのに、どうして自分だけが捕まってしまったのかと、顔を両手で覆って泣き続けた。なかなか話が出来なかった。業者には一万ドルもの大金を請求され、前金として支払ったのが、偽造パスポート代の八千USドルだという。残りはストックホルムに到着してから渡す手はずだった。家族のために働いていた彼女のバグダッド支局での給料を考えれば、途轍もない大金だったが、無論、命には代えられない。
警察署での取り調べはすぐに終わり、簡易裁判所には、同様の亡命希望者が他に四人いた。ここでは、それが一つの日常的な光景なのだった。
判決を待つ間に、洋子はようやく、蒔野に連絡することが出来たが、既にコンサートは始まっている時間だった。
ジャリーラの滞在許可は下りた。他の国から来た彼女以外の四人は、全員不許可だった。
赤十字の職員は、安堵した様子だったが、大仰に喜んでみせることはしなかった。
彼女にとって、ジャリーラは飽くまで一つの
彼女は、フランスに滞在しながら第三国へと亡命するための手順を、手引きの冊子に赤いボールペンで印を付けながら丁寧に説明した。必要書類や関係各所の連絡先、亡命希望者を支援するNGOのリストなど、洋子も初めて知ることばかりだった。
最後に今後の滞在先として、パリの北駅近くの修道院が運営するホームレス用のシェルターを紹介した。
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