東山彰良 後編「完全に行き詰っていた冬の夜、小説にすがりついた」

友情と恋、流浪と決断、歴史、人生、そして命――台湾を舞台にしたスケールの大きな小説『流』が話題を呼んでいます。第153回直木賞にもノミネートされ本作を書き上げたのは、エンターテインメント小説で最も勢いのある書き手のひとりである東山彰良さん。自身のルーツともなる台湾出身の祖父の体験をもとにした物語は、これまでの東山さんの小説とは少し感触が異なります。謎と輝きに満ちた物語がどのように紡がれたのか、東山さんの独特な物語世界への向き合い方をじっくり伺いました。

 ああ、そういうことか。
 わたしたちは魚なのだ。だから、どんなに泣いても、涙なんか見えるはずもない。

—『流』

それにしても、70年代の台湾のお話を読んでいて、どうしようもなく懐かしさ、ノスタルジーを感じるのはなぜなのでしょう。

 外国の青春小説読んでもノスタルジックな気持ちになることはよくありますよね。『スタンド・バイ・ミー』なんて、米国で少年時代を送っていなくたって、曲を聴いただけでぐっときちゃいますものね。人間ならだれしも共通の懐かしさがあるのでしょう。台湾と日本は距離的にも近いこともあるし、我が事として読みやすいんじゃないですか。

直接は知らない時代や風土をリアルに描くのは、どうしたら可能なんでしょうか。

 小さいころに住んでいた台湾の情景をベースにしているので、なんとなく雰囲気は知っていることを書いている。かすかに残った記憶を総動員していますよ。

 それに今回の場合、ふだんはあまりしない取材をかなり綿密にしました。父をはじめ、いろんな人の話を聞きましたね。数年前には、90歳過ぎのおじいさんに、戦争のころの話を聞きに出かけたりもした。70年代の台湾を書こうとおもったら、戦争のことは避けて通れませんから。僕の小さいころは、映画が上映される前には必ず国歌斉唱があったり、学校では反共教育も受けてスローガンとか唱えさせられたりしました。その時代にくっきり落ちている影はしっかり書こうと、ずっと考えていました。「なぜ戦争が起こるのか」といった大それた話じゃなくて、どうしたら戦時に食いっぱぐれないで済んだかというような、身近で理解可能な範囲での戦争のことをちゃんと書きたかった。

 記憶を探ったり、取材をしていくうちに、あまり脈絡のない、使い道のないエピソードがたくさん集まった。結局やっぱり使えずじまいのものもたくさんあるけれど、寄せ集めてみたりむりやり絡めてみたりしながら、話ができていったのだから、集めたことには大きな意味があったともいえますね。

70年代の台湾で繰り広げられる若者たちの恋愛模様や喧嘩のやり方、家族のつながり方……。歴史の教科書には載りそうにないことだらけですけど、読み進むにつれ、ほんとうに歴史を知るというのはこういうことかと思わされます。授業で年号を覚えるだけでは、実感としては何も立ち上がらないので。

 そうですね、その時代の本当の「空気」や「熱量」は描き出したかった。当時は男女の付き合い方や時間の進み方は、いまとずいぶん違っていたはず。たとえば女の子と付き合って三か月ごろなんて、まだ何もない状態。せいぜい電話で話すくらいだったんじゃないか。いま僕は大学で中国語を教えていますが、学生たちは、付き合って3か月ってけっこう長いと言いますものね。ワンクール終わったくらいの感覚で。70年代は男女関係においてそんな時間の進み方じゃなかった。速さがないということは、それだけ思いが濃くなるし、熱量も高くなるでしょう。

 主人公はいったん失恋して、次の彼女と結ばれるのが23歳のときという設定です。初経験がその年齢というのは今じゃ遅いほうかもしれないけど、当時はたいして遅くもなかったはず。みんなが奥手だった時代なわけで、デートシーンは植物園の東屋に並んで腰かけているというかたちで書きましたけど、実際、それだけで幸せで、恋人同士なんだという意思表示にじゅうぶんなっていたんじゃないですか。そういう人の生活の細部とか心の持ちようもきちんと時代に合わせたかったんですよね。


蛇口から水滴がしたたり落ちると、水面に金属質な水紋が危なっかしく広がり、その下にある得体の知れないなにかの輪郭をゆらめかせた。

—『流』

東山作品の特長である文章自体の躍動感と、表現の豊富さを、今作ではいっそう色濃く味わえます。たとえば、主人公がおじいさんの死体を発見するときに水がきらめく表現や、激しく熱いキスシーンの描写。読んでいてワクワクするこうしたシーン、どうつくり上げるのですか。

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山内宏泰

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