第五章 洋子の決断(3)

洋子がいる現実を体験した蒔野は、最初から彼女と出会うことのなかった未来とは決して同じではあり得なかった。蒔野は音楽家としても、節目となる出来事を迎えることになる……。

 何もこんな派手な場所ばかりではない。蒔野は、早くに死んでしまった両親を思い出して、洋子なら、あの二人ともきっと気さくに会話を楽しんでくれただろうと想像した。今はもう人手に渡ってしまった実家の、あの寒々しい、お世辞にもきれいとは言い難かった風呂でも、笑って気にせず入ったんじゃないか。……

 洋子を通じて、自分はもう一度、このヨーロッパという世界と出会い直せるのではないかと、蒔野は思った。自分がこれまでに知ってきたこと、これから知るであろうことについての、彼女の意見を聞きたかった。彼女と語らい続けることで、自分が変われる期待があった。

 そして、それがもう叶わない未来は、最初から彼女と出会うことのなかった未来とは、決して同じではあり得なかった。

 *

 蒔野聡史の演奏家としての沈黙は、一般には、あの華々しいサントリー・ホールでのコンサートの成功後、唐突に始まったとされているが、実際には、二〇〇七年に入ってからも、客演・共演は少数ながら続いていた。

 まったく演奏していなかったと誤解されるのは、この間の消息を伝える記事が、そう手短にまとめがちだからだろう。とはいえ、リサイタルは既に行わなくなっていて、マドリードから再びパリに戻った後の六月十日のコンサートは、従って唯一の例外だった。

 ところが、公式記録の中では、この一回は“無かったこと”として抹消されてしまっている。

 蒔野本人の自己評価はともかく、実際に当日、会場であるサル・コルトーで演奏を聴いた者たち—エコール・ノルマルの講師や学生、この〈正午過ぎのコンサート〉の常連客ら—は、口を揃(そろ)えて「素晴らしいコンサートだった。」と絶賛している。ただし、「あの最後の曲を除いては。」という一言が必ず付された。

 マドリードのフェスティヴァルで、蒔野が精彩を欠いたのは事実だったが、この日は、その「最後の曲」までは、虫眼鏡で見ても疵一つ見つからないほどの完璧な演奏だった。

 音符はどれも白手袋をはめて磨かれた宝石のような光輝に満ち、あとで学生たちも、「あれじゃあ、弾けない人間に教えるのがヘタなはずだ。」と、些か隔靴掻痒の憾みもあったマスタークラスを苦笑しあったほどだった。

 コシュキンの《プレリュードとフーガ》やロドリーゴの《ソナタ・ジョコーサ》、バークリーの《ギターのためのソナタ》など、非常に豊富なプログラムで、マドリードで若いポーランド人のギタリストに触発されたところもあったろうが、振り返ればそれは、蒔野がこの時点まで積み重ねてきたスタイルの言わば究極であり、もういよいよ、その先はないという行き止まりのようでもあった。

 この日のコンサートの思いもかけない幕切れが、聴衆の心に忘れがたい印象を残したのは、恐らくはそのせいだった。

 蒔野はアンコール前の締め括りとして、デビュー以来、彼の代名詞のようにもなっているバリオスの《大聖堂》を演奏した。セゴビアがバリオスを評価しなかったので、マドリードでは、唯一気に入っていたらしいというこの曲も敢えて弾かなかったが、ネット配信の動画でその様子を見ていたエコール・ノルマルの教授は、「今日は思いっきり弾いていいよ。」と、リハーサルを覗きに来て、笑って声を掛けた。

 「郷愁」という副題を持つ第一楽章の内省的なプレリュードを、蒔野は、感傷を持て余して、時の流れの中で立ち往生しているような、躊躇いがちな性急さで演奏した。アルペジオのトップノートが、目の前の現実とかつての記憶とを、交互に玉突きするように継いでゆく謐々とした旋律。その足許で、なし崩しに過去へと熔け落ちてゆく今。第二楽章の宗教的アンダンテは、荘厳なミサに託された祈りの行方を、聖堂の遥か彼方の天井の反響に探って、最後は瞑目するようなハーモニクスで、第三楽章のアレグロへと至る。

 蒔野の長い指は、速い旋律を駆けて些かも澱むところがなく、惚れ惚れするほど正確だった。彼がこのアレグロを弾き始めると、“超絶技巧”に対しては、断固として警戒せねばならないと信じ込んでいる狷介な趣味人たちでさえ、完璧さとは—それも、かくも不完全な人間の!—なんと心地良いものだろうかと、内心、思わずにはいられなかった。

 少なくとも、その音に身を委ねている限りは、この世のあらゆる不測の事態の不安から、聴衆は解放されているのだった。

 ミサを終えて教会から溢れ出してきた群衆というのが、この第三楽章の作曲者の着想だった。それに忠実であるならば、疾走する想念というよりは、むしろ際限もない多様性の明滅であるべきか。マスタークラスでもそんな話をした。しかし、この時の蒔野は、聴衆の感覚をたった一本のあえかな糸で束ねて導いてゆくように直走っていた。「速すぎて情緒に欠く」としばしば批判された十代の頃よりも、近年は少しテンポを落として演奏していたが、この日は、その過去を追想するかのように、次第に加速していった。

 何かを終わらせようとしながら、覚えず反復してしまう。逃れるつもりで、気がつけば自らがそのあとを追っている。

 しかし、苦悩のための祈りの予後とは、固よりそうした時ではあるまいか。イラクで間一髪、死を免れてパリへと戻って来た、小峰洋子でさえ、恐らくは。

 その瞬間、蒔野の中で何が起きていたのだろうか?

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