「世界で一番いらない人間」に届けたいという使命感
—— 『死にたいままで生きています。』 を出す前と今では、変わったことはありますか?
咲セリ(以下、咲) 本を出してから、実は不安もありました。今まで誰にも言わなかったことをさらけだしたので……。こんなもの読みたくない人もいるんじゃないか。そもそもテーマ自体が重すぎるんじゃないかと、少し鬱っぽい症状まで出ていました。 だけど、本を読んでくれた方からの感想メールやお手紙やネット上のレビューなどをみて、想像以上にあたたかく受け止めていただき、救われました。なかには、「セリさん、生きてくれてありがとう」ということばをいただき、わたしの方が力をもらったような気持ちです。
—— 今回、読者の方から「咲さんがここまで書いてくださった勇気に感動しました」、「わたしも同じでした」という声が届いていますよね。ありのままに、ここまで書いてしまうことはかなり勇気が必要だったのではないでしょうか?
咲 わたしを一番支えてくれたのは、使命感のようなものでした。NHKの福祉番組のサイトにエッセイを連載させていただいたり、以前に本を出させてもらったりしたことで、たくさんの方からご相談をいただいくことが増えていきました。抱えている悩みは、親子問題、いじめ、学校に行けないこと、仕事をしていないこと、心の病気など、さまざま。だけど、苦しんでいらっしゃる方に共通していたのは、「自分なんて世界で一番だめだ」「こんなことを悩んでいるのは自分だけなんじゃないか」ということでした。そうした人たちに、「そんなことないよ!」を届けたかった。だから自分のネガティブな部分も、ありのままに書こうと思ったんです。
—— それは相当な覚悟がいることですよね。
咲 書くことで当時のことを思い出し、フラッシュバックのような苦しいこともありました。「専門家でもない私が書けることなんてあるのか」と不安にさいなまれたこともありました。 だけど、そのたび、思い出したのは、不思議なもので自分自身のことでした。かつてわたしは苦しんでいた時、誰にもなにもいえませんでした。理解してもらえるはずがない、こんなことを思ってるのは自分だけ……と。「誰かに相談すればよかったじゃない」と思われがちですが、そばにいてくれる人にこそ、言えなかったんです。そんなふうに、もしかしたらどこかにいる「ひとりで痛みを抱えている人」に、本だから届けられるものもあるんじゃないかと思ったんです。
—— 咲さんの本にも書かれていましたが、転機のひとつには、「あいちゃん」という猫との出会いがありましたね。最近、また新たな子猫がきたようですね。
咲 はい、おとといのことなんですけど(笑)。すぐ近所で、親猫が車に轢かれてしまっていて、そばで子猫がミャアミャア鳴いてたんです。親は庭に埋めてあげるしかなくて、子猫は保護して病院に連れて行きました。落ち着くまではうちで育てて、いずれは、信頼できる里親さんを探そうと思っています。
—— 咲さんにとって、猫の存在は大きいですか?
咲 わたしがすごく苦しかったときに出会った猫、あいは、自分で「世界で一番いらない人間」と思っていたわたしを頼りにしてくれました。無償の愛というか、全幅の信頼を寄せてくれた。信じてもらうことが、すごく大きな力を授けてくれたんです。いま我が家にきた猫は、三時間おきにミルクをあげてるんです。 わたしは梅雨時が弱くて、精神的に落ち込むことが多いんですが、今年はこの子がいるから、むしろ安定しているんです。信じてくれる誰かがいてくれて、具体的にやれることがあって。
—— 「信じる」ということ、「信じてもらえる」こと、そのこと自体が力になる?
咲 そう思います。わたしがどん底にいた時、わたしがどれだけ荒れても、ぼろぼろになっても、夫も主治医も変わらず接してくれました。その時は気づかなかったけど、あとになって、それはわたしを信じてくれていたんだと身に染みたんです。もしあの時、「もっとがんばれ」とか「はやく治せ」とか急かされたら、わたしの心は折れていたかもしれません。ありのままの自分を見守ってくれる——信じてくれる人がいると、自分も自分を信じられるようになりました。
自傷も、心の病気も、死にたい気持ちも……。ぜんぶ、よりよく生きたいという心のSOS
—— 咲さんはご自分が「依存症」であることを自覚することで、変化していきましたね。ところで、「依存症」とはどんなものでしょうか。いつ、それに気付いたのでしょうか?
咲 実は、わたし自身、自分の依存になかなか気づくことはできませんでした。依存の対象が、煙草とか、ギャンブルとか、お酒なら、名前もついてますし、自覚しやすのかもしれません。でも、依存症になる「依存の対象」は、それだけではありません。わたしの場合は「関係依存」でした。だけど、長い間、そうだとわからず、なぜこんなにも苦しいのかとのたうちまわっていました。そんな時、たまたまNHKの依存症についての番組をみて、「あ、まさに自分のことだ!」と気付いたんです。
——「関係依存」というのはどういったものですか?
咲 人への依存です。恋愛とか、セックスとか、あるいは友人に対しても。ああ、そうなんだと目からうろこが落ちる気がして……。「わたしは性依存です」と、自分のことを番組宛にメールして、それで後に出演させてもらったりするようになりました。
—— 本の中に「依存に陥った自分も、いらないものじゃない」という表現がありますが。
咲 わたしは、ずっと、依存は「いけないもの」だと思っていました。「治さなければいけないもの」。「人に言えない恥ずかしいもの」。だけど、いま思うのは、わたしは、依存することで、なんとか生き延びてきたんじゃないかということ。生きるために、その時のわたしには、依存が「必要」だったんです。 これは、依存に限ったことじゃないと思います。自傷も、心の病気も、死にたい気持ちも……。ぜんぶ、よりよく生きたいという心のSOSで、「いけないもの」じゃなくて、心の痛みに気づく大切なきっかけにできるのだと。
—— たくさんの方に読んでもらえるといいですね。読者の皆様へメッセージはありますか?
咲 「死にたい気持ち」って、世の中では、どこか伏せられがちなものだと思うんです。「死にたい」っていってしまうと、「そんなこといっちゃだめだよ」と良かれと思って叱られてしまうことや、「生きる」ということを、「あたりまえ」だととらえられてしまうことも多いんじゃないでしょうか。 だけど、「死にたい」は、けっして悪いだけのものじゃないと、わたしは思うんです。「死にたい」と思いながら、それでも、いま生きている。それだけで、すごいことなんじゃないかって。だから、そんな自分を、「えらいね」って褒めてあげてほしい。 『死にたいままで生きています。』が、ひとりで苦しんでいる誰かのささやかな松葉づえになれば、しあわせです。
咲セリさんがその気持ちをありのままに綴った一冊『死にたいままで生きています。』の内容を同時掲載。ぜひこちらもお読みください。
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