「秘密基地」という言葉には、わくわくさせられたものだ。
段ボールの空き箱の中で、公園の防災倉庫の裏側で、誰から隠れるでもなく息をひそめるのが好きだった。家族の声が、友達の声が、すぐ近くのはずなのに遠くなる。そして、ひそやかな目に見えない膜に——“秘密”という言葉に——まるく包まれていくようなあの感覚が好きだったのだ。
それは、遠いフランスで育った私の妻にとっても同じことだったらしい。ブルゴーニュの森深くの大木に、ちょこんと寄りかかるような秘密基地の残骸を、私も見せてもらったことがある。
「せっかく作ったのに、村のガキどもに壊されたんだよ!」
今は大人になった妻が、子どもみたいな顔でぷんぷん怒っていた。
「弟たちといっしょに、少しずつ作ったんだよ。中でお菓子を食べたりして、楽しかったなぁ」
そんな子ども時代のことを昨日のことみたいに語れるのは、彼女が心の中の秘密基地を守り続けてきたからだと思う。壊されても、その残骸を背に故郷を離れても。
1940年6月。
妻や私が生まれる前、第二次世界大戦のさなか。私たちのおじいちゃん、当時22歳だったルネおじいちゃんは、南へ向けてアクセルを踏んでいた。肩書はフランス陸軍中尉。部下の数は100人。ただし、追っ手の数はまったくわからなかったのだという。
「フランスの北側はもう、ナチスの奴らに我が物顔で踏み荒らされてたんだよ……もちろん、パリも含めてね。だから俺たちはとにかく、まだドイツ兵が少ないような方へ向かって行ったんだ」
ルネおじいちゃんはそう言うと、手のひらを下に向け、すうっと下げるようなしぐさをしてみせた。目の前に思い浮かべたフランスの地図上を、南に向けてなぞるようにして。
そんなルネおじいちゃんに、その孫は——つまり私の妻は、心配そうな顔でこう聞いた。 「でも、おじいちゃん、南に行っていったいどうするの? もうフランス軍には武装解除命令が出ていたんでしょう」
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