この世界はどのようにできているのか

ヒトだけではなく、多くの動物を含んだ大きな「社会」を想定している人々がいる。その「社会」では、ヒトだけでなく、ウサギやヘラジカも感情をもったり、考えたりする「人間」として対等に関係し合っている。ヒトとそれ以外の動物との間の穏やかで友好的な関係とは?


このなかでいちばんばかで、めちゃくちゃで、まるでなっていないようなのが、いちばんえらい……(宮沢賢治「どんぐりと山猫」より)

「動物人間」たちとのつき合い方

 カナダのユーコン準州に住むクルアネ民族のもとでフィールドワークを行った人類学者、ポール・ナダスディによると、北方の狩猟民たちは、ヒトだけではなく、多くの動物を含んだ大きな「社会」を想定している。その「社会」では、ヒトだけでなく、ウサギやヘラジカも感情をもったり、考えたりする「人間」として対等に関係し合っている。そして、「動物人間」たちからの贈り物に対して、「ヒト人間」たちは、一連の儀礼を行ない、さまざまな決まりごとをきちんと守ることによって応え、ヒトとそれ以外の動物との間の穏やかで友好的な関係を保とうとしてきたのだという。

 例えば、必要以上に狩猟しないこと、動物の悪口を言ったり、からかったりしないこと、ある種の食べ物を食べないこと、獲物の残骸を正しく処理すること。祝宴の場では、ヒトと動物との、切っても切れない親戚のような深い関係を、歌や踊りや演劇で表現する。

 ナダスディはこう言っている。このような社会で伝統的に行われてきた狩猟を、猟師が力ずくで動物の命を奪う暴力行為だと考えるべきではない。むしろ、動物と猟師との間に、長い間、成り立ってきた「贈与交換」の関係として考える方が適切だ、と。

 とはいえ、狩猟が相手の命をとる行為であることには変わりはない。ナダスディが、クルアネ先住民の地に住みこみ、狩猟を学び始めた時のことだ。自分でかけた罠の中に、生きたウサギがいるのをはじめて見て彼はショックを受ける。「私は一人であり、自分でウサギの首の骨を折らなければならないことを悟った」。それまでに自分の素手で何かを殺した経験がなかった彼は、夢中で、やるべきことをやった。「その動物は苦しみ、私はみじめな気持ちになった」

 落ち込んでいるナダスディに、クルアネの人々はこう諭したという。殺した動物の苦しみを考えるのは、失礼だ。それはポトラッチの時に、もらった贈り物にけちをつけるようなものだ、と。ポトラッチとは、北米大陸の北西部に住む先住民の間で広く行われた伝統的な祭り。主催者が客に、自分の気前よさを誇るかのように、大量の贈り物をしたり、ごちそうを振る舞ったりすることで知られている。

 あるクルアネの女性はナダスディにこう説明したという。

「もし動物が自らを捧げたなら、人は感謝の祈りを捧げ、与えられた肉の贈り物を受け取らねばならない。動物の苦しみを考えることは、贈り物にけちをつけることであり、そもそも、その動物がその人に、自身を捧げるべきであったかどうかについて、疑いの目を向けることだ」

 そして彼女はつけ加えた。「こうした振る舞いは、動物を侮辱することになり、二度とそのような贈り物を受け取れなくなるおそれがある」と。

 この女性が人類学者に教えようとしているのは、単に狩猟の時の心構えではない。「こう考えればやりやすくなる」といったテクニックのことではない。ちょっと大げさに聞こえるかもしれないが、彼女は、「この世界がどのようにできているか」についての彼女なりの見方—それを「世界観」という—を話してくれたのだ。

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弱虫」でいいんだよ

辻信一

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