あらすじ:「ぼくは思うのだ。どんなに成績が良くて、りっぱなことを言えるような人物でも、その人が変な顔で女にもてなかったらずい分と虚しいような気がする」——時田秀美は17歳、サッカー好きの男子高校生。勉強はからっきしだが、めっぽうモテる。発表から四半世紀、若者のバイブルであり続ける青春小説の金字塔。
大西に“教育された”三省堂有楽町店の魔女新井(以下、新井) 読んだ人はみんな秀美くんを好きって言うけど、このシーン(新潮文庫版 P151より)はちょっと酷すぎるよぉ……。勇気出して告白した相手に、「自分のこと可愛いって思ってるでしょう?」なんつって振られてごらんよ! もう死にたい!
三省堂書店経堂店のエイミー番長こと大西(以下、大西) えっ、いいじゃん! 実際思ってんだし。
新井 いじわる! なんでそんなことわざわざ言うんだよ!
大西 あの女むかつくから。ぷっはー(煙草ふかす)。
新井 ゲホッゴホッ……わ、私はあの娘を守りたい。秀美にパーンチ!
大西 私は同属嫌悪的なのもあって、好きだから嫌い。媚びる女。私そういうのできないし。
むしろ秀美くんに「よくやった!」って言ってあげたいくらい。それに、あそこで彼女ああ言われてよかったよ。きっちり言い返してたし。
新井 うーん、まぁ自分の武器・売り方を知ってる娘ではあるね。
大西 秀美くんと仲がいい、同級生の真理とは違うベクトル。女友達なんて本気でいらないと思ってて、とびきりの美人ってわけでもないのに、色気がやばい。男子高校生メロメロ。彼女が落とせない男なんていないんじゃないの?
新井 10代にして、すでに男と女の性質をわかっちゃってるもんね。それでいて、そういうことをくだらないと思ってない。真理かっこよすぎるわ。
大西 水割り似合う夜のオンナな雰囲気できてるよね。資質あったにせよ、よくがんばってそこまでもってった。
新井 自分の価値観をしっかり作り上げて、ぶれない。簡単に脇山くん、おとしたもんね。
大西 あれは鮮やかだったね。秀美くんに言われて、あっさり真面目なクラス委員長を夢中にさせて、スパーンと捨ててみせる。あの描写に違和感なし!
新井 やり方うまかったねー。大きな騒動にはせず。
大西 錐で差すようにピンポイントで傷つける。「勉強しかできないひとってつまんない」本人の根幹が崩れるところを!
新井 ぷしゅーって! でもさ、秀美くんだけど、やっぱり傷ついて育ってんだよね。付箋つけたんだけど、ここ。
《結局、ぼくの価値観は、父親がいないという事柄が作り出す、あらゆる世間の定義をぶち壊そうとすることから始まっていたのに気付いたのだ。》(新潮文庫版111ページより)
そこまでわかっていた上で、そうだったんですか、って。まだ秀美をみくびってた。トラウマなんかなく、ふにゃふにゃしたように見える奥にあるすごい決意を読者の私ですらこのシーンを読むまで気付けずびっくりした。
大西 反骨精神のもとなんだね。咀嚼しているけれど、あらためて根底がそこにあるんだな、って実感するよね。
新井 「この子、お父さんがいないの気にしない子なんだね、馬鹿な子なのね」っていう人に対して、そういう風に思わせるのは、彼にとって成功なんだね。
大西 感情のコントロールがうまいよ。思考も論理的だし、矛盾がない。
新井 今でも、シングルマザーという家庭環境で育った秀美くんをかわいそうな子として読む人もいるのかな。
大西 こないださ、テレビで“全国あだな調査の件”ってのがあって、あだ名の酷いバージョンで、“クソ出っ歯” “イノキ”とか、笑い飛ばしながらネタにしてインタビューに答えてる人たちがたくさんいてさ。自分のマイナスな要因を咀嚼できてるんだろうね。
新井 咀嚼できてない過去だったら答えてないよね。秀美くんは咀嚼がずいぶん早かった。精神年齢の高さかな。小学生のときはアンバランスで、先生ともろにガチンコでやりあってたけど。
大西 大人になるステップのひとつなんだろね。この小説はとても論理的に感情の流れが書いてある。“あれっなんだろ……、彼を想うと……、トゥクントゥクン”みたいな、なんだかわかんないけど、って曖昧な描写は一切ない。
新井 文学ってほんとうはそういうところを書くものでは。
大西 おっしゃるとおり! あれ? おかしいな。論理的で無駄がないのに、文学。
新井 論理的に書くって、うまい文章のいちばん大事なところだと思う。美しく論理的であることをおざなりにする人が多くてさみしい……。
大西 曖昧なままでいいじゃない、って、テクニックとしてそれもあるけどさ。でもそこに肉付けしていくのがプロの小説家だと思う。
文章だけだからこそ、見えるものがある
大西 『ぼくは勉強ができない』みたいな恋愛小説読みたいなぁ! 私の求める恋愛小説って今どこにあるの?! 私はこういう『ぼくは勉強ができない』みたいなのが好きなんだよぉぉぉ。漫画はほら、また違うじゃん。
新井 文章だけだからこそ、見えるものがあるよね。おじさん先生のコンドーム事件のシーン、好きだなぁ。高校性がコンドーム持ってるなんてって怒り狂う先生と冷静に論理的に言い返す秀美の対比が映像としてはっきり見える。
大西 エイミーはひらかず漢字多いけど、的確で洗練された日本語だからイメージがくっきり立ちのぼる。
新井 “いたいけ”って桃子の言葉、使いたくなる。あんまり使わないけど。エイミーは、普段使わないけど知っている日本語を上手に使う。
大西 “ぼんのくぼ”とかね、『AtoZ』に出てくるのよ。
新井 あー、頭の後ろのくぼみね! それ読んでわざわざ使った! けど知らない人多かった。ボキャブラリーのレベルがけたちがい。
大西 エイミーのとある小説のあとがきで、「日本語を綺麗に扱えるシスターは、世の中で私だけなんだ」って。
新井 ヒュー! かっけぇ!
大西 でもさ、「○をつけよ」の冒頭に出てくる、炬燵に入りながら家族で食べるじゃがバターとかさ! 裕福じゃないけど豊かだね。
新井 じいちゃんの「バターくらい自由に食わせろ」って、美味しいそう。使い方うまいね。
大西 枯れてないくそじじいって、いいもんだ。
『無銭優雅』で、私、影響されて鴨南蛮うどん買いに行ったもん。
新井 目玉焼き丼もさ、質素だけどとてもいいものだよね。どシンプルな味で、孫とじいちゃんがもそもそ食べてる貧乏感がたまらん。
大西 食欲のど真ん中を刺激するのよね。
『眠れる分度器』の'99センター試験現代文出題問題について
大西 『ぼくは勉強ができない』といえば、センター試験の現代文の問題になったとき話題になったよね。平均点が低かった「伝説の問題」について、エイミーが、「選択肢に正解がなかった」みたいなことをエッセイで書いたらしく。
新井 選択肢に正解がないって、どんな問題だろう……やってみたい。
大西 教師と生徒の人間関係なんだけど、“守られる子ども”と“守る大人”という暗黙の了解をぶっ壊す話なんだよね。教育関係者なのによく問題にしたな。とっつきやすいから? でもセンター史上における悪問、って有名だって。
新井 その作品内のエピソード自体は好きだけどな。この『眠れる分度器』は、知性があってもやもやしてて、うまくやれていない子にぜひ読んでもらいたい。残念なテストがきっかけであれ、ね。
大西 文学って大事だね。今すごい思った(笑)。
新井 文学は自分で学びとることからスタートしてるから。人に相談して答えもらっても人は変わんないんだよね。自分で取りに行かなきゃ。
大西 私がエイミー作品の初体験になった『放課後の音符』に狂おしいほどにはまったのは、主人公が普通なの。でも、周囲のひとから学んで考えて咀嚼して、キャパを広げていってどんどんいい女へのステップを踏んでって、私もこうなれるのかもしれないって夢を見させてくれたんだ。
新井 へ〜。読んでみたい。
大西 でさ、中3で初めて読んで、高1でまた読み返してたとき、友達に貸したら「何この本いやらしい」「あんたエロい」とか言われて、ショックだった。彼女がこれを読めないのはまだ早かったからか、相性か、肉体関係だけを見てしまったのか。
エロいというところで私は終わらなくて、その先まで読めたのに。
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