古典が「優れている」理由
私は、自分でもビジネス書を書いていますので、天に唾する行為であることを100%承知の上で、それでも「ビジネス書より古典を」と言い続けています。
ビジネス書を10冊読むより、古典を1冊読むほうが、はるかに得るものが大きい。優れた本というものは、そう滅多に世に出るものではありません。
では、古典は、どうして現代のビジネス書よりも優れているのでしょうか。その理由は、大きく4つあると思います。
①時代を超えて残ったものは、無条件に正しい(より正確には「正しいと仮置きする」)
②人間の基本的、普遍的な喜怒哀楽が学べる
③ケーススタディとして勉強になる
④自分の頭で考える力を鍛錬できる
「ケーススタディ」として勉強してみよう
優れた歴史書や小説に登場するさまざまな人物は、生きた人間社会の最良のケーススタディになります。人間の心理描写に深く入り込んだ古典を読めば、「人間と人間がつくる社会は、どのようなものか」と何度も予行演習をすることができます。
人間は、平気で面従腹背もできるし、意外に厄介な動物です。
上司の前では「仰せの通りです」と指示に従うふりをしておきながら、実際は、裏で足を引っ張るような人が現実世界には山ほどいます。それが人間社会の実相です。
たとえば、上司の振る舞いを見て、「あの小説に出てきた、あのシーンとそっくりだな」という場面に何度も遭遇することがありました。役員の前では、「はい、言われた通りにいたします」と返事をしておきながら、裏では「またアホな思いつきを指示された。バカバカしくて、やってられへんな」とサボタージュをする部長もいました。
誰でも一度くらいは、仕事で足を引っ張られ、悔しい思いをしたことがあるでしょう。そんなとき、人間にできることは、それほど多くはありません。私たちにできることは、「現実は、小説の世界と同じだな」「あの小説に出てきたように、人間の世界は嫉妬深いんだな」と客観的に物事を捉え、「まぁ、今回は仕方ないな。次回はこの轍を踏まないようにしよう」と自分を落ち着けることぐらいなものでしょう。
たとえば、「投票したい候補者がいない」ときに
古典を読んで「社会には、こんなにひどい人間がいる」「人間は、千差万別である」ことが十二分にわかっていれば、予期せぬ相手があらわれても、動じることはありません。「ああ! 本に書いてあったことは本当だ」と、軽くやり過ごすこともできるでしょう。
たとえば、選挙の投票日に、「ロクな候補者がいないから、投票には行かない」と政治への不信や無関心を口にする若者がいます。「○○党は好きじゃないし、△△党はひどい体たらくだし、××党は何がやりたいのかわからないし、どこにも投票できないじゃないか」と言うわけです。
それでも、選挙には行くべきだと私は考えています。なぜなら、そもそも選挙は「より良い人」を選ぶための仕組みではないからです。
いまから100年近く前に、連合王国(イギリス)の名宰相、ウィンストン・チャーチルは、次のように明言しています。
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。