読書で「実体験にも勝るイメージ」が得られる
イタリアのヴェネツィアでは、例年2月末から3月初めまでの2週間、ヴェネツィア・カーニバルが行われます。
カーニバル期間中は、美しいマスクと華麗なコスチュームをまとった人々で溢れ、町全体がまるで仮面舞踏会のようです。私はヴェネツィアを20回くらい訪れていて、カーニバルにも3回行っています。
ヴェネツィアは、映画や小説の舞台にもなっています。塩野七生さんは、イタリアを舞台に、優れた歴史小説を書く人気作家ですが、彼女が書いた『海の都の物語―ヴェネツィア共和国の一千年』(新潮社)は、人々の息づかいまでも感じさせる秀作です。
また、ルキノ・ヴィスコンティ監督の映画、『夏の嵐』は、ヴェネツィアに住む伯爵夫人と、オーストリア軍将校との破滅的な恋をオペラ的に描いた歴史大作です。
私はヴェネツィアの素晴らしさを、実体験からも、本からも、映画からも感じています。
私の頭の中では、自分の目で見たヴェネツィアの光景と、本を読んで思い描いたヴェネツィアの様子が渾然一体となっていて、自分の目で見た光景がはたしていちばん強い記憶なのかどうか、正直自信がありません。
体験から得た光景と、本や映画から得た情景の区別がつかなくなっています。
初めて訪れる場所でも、事前に本を読んで知識を持っていれば、前に見たことがあるようなデジャヴ感を覚えることがよくあります。
ひょっとしたら、私の印象にいちばん残っているのは、ヴィスコンティの『夏の嵐』で観たヴェネツィアの姿かもしれません。
実体験はたしかに強い影響力を持ちますが、本当に優れた映画や文学は、体験をゆうに凌駕する力があると思います。
その本は「体中に心地よい毒を回して」くれるか
優れた本は、読後に、「毒」を飲んだような強い印象を残します。「ああ、おもしろかった」と、すっきりして終わるのではなく、何かが、頭の中にひっかかります。
本の魅力に毒され、溺れ、取りつかれて、鮮明に、いつまでも頭の中に残ります。
私の学生時代に、現代思潮社という出版社がありました(現:現代思潮新社)。埴谷雄高、吉本隆明、澁澤龍彦の著作や、世界の思想書、哲学書などを刊行していた出版社です。
私が大学に通っていた1970年代は、学生運動が盛んな時代でしたので、現代思潮社が刊行する前衛系、新左翼系の思想書は学生によく読まれていました。
創業者の石井恭二は、1959年にマルキ・ド・サドの『悪徳の栄え』を翻訳・出版してわいせつ罪に問われ、訳者の澁澤龍彦とともに、サド裁判(悪徳の栄え事件)を闘った人物です(読んでみて、どこがわいせつか、さっぱりわかりませんでしたが)。
「左手にサド、右手に道元、脳髄にマルクス」というモットーを掲げていて、私は「すごい人だ」としびれた記憶があります。
この出版社のキャッチフレーズ(広告コピー)は鮮烈で、いまでも強く脳裏に焼き付いています。
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