第四章 再会(9)

蒔野と洋子は言葉を交わしながら、否応なくお互いの魅力を確認し合う。天賦の才能を持った蒔野に対し、洋子が心の奥底で感じ取る彼への理解は深く、会話は緩やかにみえ、早急に二人の距離を縮めていく……。

「深く考えるとよくなさそうね、この話。」

「俺が帰ったあとも、生物の中でどこまでペットとして感情移入できるのか、魚類や昆虫はどうかとか、名前がついてるから食べるのはタブーなのかとか、深夜まで話し込んでたみたい。帰って良かったよ。」

「死すべき存在に固有名詞があるかどうかっていうのは、哲学的な問題ね。特にその固有名詞が、自分に関係があるかどうかは重い問題よ。わたし自身、今はあんまり考えたくないテーマかな。」

 洋子は笑顔を絶やさなかったが、蒔野は、自分の話が、思いがけず彼女のイラク体験に結びついてしまったらしいことを察した。そして、他にもっとマシな話はなかったのかと後悔した。

「なんでこんな話になったんだっけ? あ、隣のムール貝か。ごめん、話題を変えよう。……」

 洋子は、話の途中で運ばれてきた前菜を、ばつが悪そうに片づけてしまう蒔野を見ながら、この人は、いつもこういう気のつかい方をするんだなと改めて思った。

 初めて会った夜もそうだったし、バグダッドに書き送ってくれた何通ものメールもそうだった。相手を笑わせたいというより、笑っていないと、どこか不安なのか。

 蒔野の話には力みがなく、戯画化されているのは結局のところ本人で、他人を嘲るところがないのが好きだった。皮肉が効いていて、必ずしも慎ましやかというわけでもなかったが、猥談は好きではないらしく、総じて品が良かった。決して大声にはならず、しかし十分に抑揚や緩急があって、時折ハーモニクスのように、ふっと声が裏返るのがおかしかった。そういう語り口も、ギタリストならではなのだろうか? 声音が耳に心地よく、テンポがあり、肝心なところはルバートで、しかし、本当に即興なのかしらと思うほど、話の全体には物語的な構成があった。それで、彼女は今日も、彼が少し身を乗り出して話を始めた時点で、もう笑いの予感に満たされてしまったのだった。

 こんな比較は恐かったが、洋子は、蒔野と話していると、自分がどうしてリチャードのジョークを面白いと感じられないのか、よくわかる気がした。

 蒔野のような、生まれ持った才能が、否応なく他人の嫉妬や羨望を掻き立ててしまう人間は、何か意外な、、、 親しみやすさを身につけなければ、たちまち孤立してしまうのだろうと、洋子は考えていた。彼女がこれまで、記者として取材してきた“天才”たちには、共通して、こうした独特のユーモアと一種の人当たりの良さがあった。

 洋子は、外出のままならないバグダッドの窒息的な退屈さに倦んで、何度か、〈蒔野聡史 ギター〉とネットで検索してみたことがあった。それは、彼の内面の引き出しをこっそり覗き見るような感覚で、その度に、彼女は居た堪らない気持ちになって、検索ページをそっと閉じるのだった。

 香り豊かな溢れんばかりの花々のそこかしこには、いつか彼が怪我をするのを待っている釘やガラス片が紛れていた。ありとあらゆる賛辞が鮮やかに咲き誇っている一方で、量こそ劣るものの、一つ一つがやけにしつこく記憶に刻まれてしまう批判や中傷の類も、鋭利に輝いていた。

 洋子は、その引き出しの開け閉めを、自分でもよくわからない心理から、二度、三度と繰り返していた。  蒔野の音楽に対する数多の称讃が、その彼から、今、何かしら愛らしき感情、、、、、、 を仄めかされている彼女の自尊心をくすぐったのは事実だった。

 しかし、手厳しくも一理ある批評のみならず、ほとんど罵倒でしかないような書き込みも、必ずしもすぐに顔を背けるわけではなく、少なからず最後まで目を通していた。

 その度に、彼女は汚れた手で、乱暴に心の裡に触られたような不快を感じた。その手を払い除け、軽蔑し、彼のために反論したい気持ちに駆られた。自分が蒔野の理解者であり、慰めであり得るかもしれないという思いは、彼女の見出した一つの特権的な幸福であり、恐らくは安堵ですらあった。

 しかし、彼女はそうした自己分析を、幾分表面的で、きれいごとのようにも感じた。その手に少し長く心を触らせたのは、彼女自身であった。

 洋子は、彼を愛し始めているはずの自分の中にさえ、その天分の眩しさに対して、一握りの嫌な感情の存していることを、寂しい気持ちで認めなければならなかった。他でもなく、十八歳の彼の演奏を初めてサル・プレイエルで聴いた時、彼女の胸を占めていたのは、まさしくそうした反発ではなかったか?

 トーマス・マンは、「偉大さと大衆との断絶」に言及して、ゲーテが死んだ時には、「大いなる牧羊神の死を悼むニンフたちの嘆きの声ばかりではなく、『ほっ』という安堵の溜息もはっきりと聞こえたのでした。」と語っている。ゲーテでなくとも、天才とは、周囲の者の生にとって、常に幾ばくかはそういうプレッシャーの源であるに違いなかった。

 そう考えてみるほどに、洋子は、自分の一体、何が彼にとって特別なのだろうかと、顧みざるを得なかった。

 わざわざ蒔野が、こうしてパリまで会いに来てくれたのは、何にも代え難い喜びだった。しかし、そういう相手が、ツアーの先々にいても、少しもおかしくはなかった。三谷というマネージャーが言っていたように、この歳まで彼が独身であり続けた理由は、普通に考えれば、そういうことだった。それで彼を軽蔑するわけではなかった。もういい大人の彼女は、そういう事情を理解できたが、その彼と自分の人生とがどんなかたちで交わり得るのかは、自信を持てなかった。

 生まれて初めて、洋子は、そういう女の一人として扱われることを、反射的に唾棄するのではなく、自分に堪えられることなのだろうかと、真剣に考えてみた。それは、まったく新しい経験で、蒔野の存在は彼女にとって、さばかりに大きなものとなっていた。そして、堪えられないとするならば、彼は何を以て、ただ自分独りを愛してくれるのだろうかという、不安な堂々巡りだった。

 —が、すべてはもう、遅すぎるのかもしれなかった。今日を迎えるまでに、彼女の事情も、また更に変わっていた。蒔野と会って、やっぱり楽しいと感じるほどに、彼女は、自分はもう、彼の愛を受け容れられないのかもしれないと考え、悲痛な思いに駆られた。抑えようのない、彼女自身の愛が苦しかった。

 窓の外が暗くなって行くにつれて、店内に囲われた活気は、一層輝きを増していった。

 蒔野は、主菜にあわせて、ボルドーのカヴェルネ・ソーヴィニョンを注文する洋子を見つめながら、本当に今夜、二人に何かが起きるのだろうかと考えた。

この続きは有料会員登録をすると
読むことができます。
cakes会員の方はここからログイン

1週間無料のお試し購読する

cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。

人気の連載

おすすめ記事

コルク

この連載について

初回を読む
マチネの終わりに

平野啓一郎

毎日新聞で3月1日より連載を開始した芥川賞作家・平野啓一郎氏の新連載『マチネの終わりに』が、cakesでもスタート! 『空白を満たしなさい』以来、三年ぶりの長篇となる本作のテーマは「恋愛」。文明と文化、喧噪と静寂、生と死、更には40代...もっと読む

この連載の人気記事

関連記事

関連キーワード

コメント

Tweetがありません