第四章 再会(8)

再会した洋子と蒔野は、何から話始めるべきなのか、意味もなく微笑み合う。待ち望んでいた時間、蒔野は洋子に最近あった馬鹿話を喋り始める……。

 最近注目されているという若いシェフの料理は、所謂キュイジーヌ・モデルヌで、店員の説明を聞きながら二人で話して、少し味見し合うつもりで前菜と主菜とをそれぞれ違うものにした。洋子はさすがにフランス語が達者だったが、蒔野が喋るのを聞いて、

「話せるのはもちろん知ってたけど、すごくきれいな発音ね。やっぱり音楽家は耳が良いのかしら?」

 と言った。

「いや、だけど、俺だけ英語のメニュー持ってきたよ、あの人。軽く傷ついてるんだけど。」

 蒔野が苦笑すると、洋子は、ああ、とそれを打ち消した。

「わたしが前に日本人のお友達を連れてきたからよ。彼女のために、英語のメニューをお願いしたの。その時のこと、覚えてたんでしょう。」

 ほとんど満席で、隣のテーブルも近かったが、日本語で話すのは気が楽だった。

 シャンパンで乾杯し、ほっと一息吐くと、蒔野はあれほど待ち望んでいた再会であるのに、まず何から話し始めるべきなのか、わからなくなった。間を持て余して、グラスを置くと、意味もなく微笑み合った。

「なんか、ふしぎな感じがするな。」

「ね? 東京で会って、パリで会って、次はどこで会うのかしら?」

「次はパリだよ。マドリードのあと、また来るから。」

「そっか。……」

 蒔野は、隣のテーブルにムール貝が運ばれてきたのを目にして、一つ、最近の、馬鹿な話を思い出し、ついそれを喋り始めてしまった。

「昔からの知り合いで、テレビのディレクターをやってる人がいるんだけど、その人の部下が、ちょっと変わった女の子でね、……」

 洋子は、たったそれだけ話したところで、もう、なんとなくおかしそうに白い歯を見せた。

「ええ。」

「この前、宍道湖にしじみの養殖の取材に行って、お土産にしじみを一袋貰ったらしいんだよ。なんか、漁師のおじさんに気に入られて、どうやって食べたらおいしいとか、レクチャーも受けて。それをさ、彼女は何を思ったのか、食べずにペットとして飼い始めたらしいんだよね。」

「え、しじみを? 飼えるの?」


「難しいみたいだけど、ネットで調べたりして、どうかこうかして飼ってたんだって。一個一個に、しーちゃんとか、たけおくんとか、名前をつけて。」

「かわいい子ね。」

「かわいいかな?……まあ、それで、その写真をケータイで撮って、よく、局の人とか、出演者とかに見せてたらしいんだよね。—で、ちょっと前に、その知り合いのディレクターがホームパーティをやった時に、彼女、とうとう本物のしーちゃんたちを持ってきちゃったんだよ。見てくださぁい!とか言って、タッパに入れて。」

「うん。」

 洋子は、相槌を打ちながら、どう展開する話なのかしらと考えてみているふうだった。

「それで、実は俺も、そのパーティに呼ばれてたんだよ。前々から、食事とか誘われてたんだけど、忙しくて断ってばかりだったから、その時は、まァ、顔だけ出すつもりで、ちょっと遅れて行って。六、七人いたのかな?

 薬膳風の鍋をやってて、着いた時には、もうほとんど終わってたんだけど、俺の分だけ、具が残してあるような状態で。—俺はさ、そのちょっと変わった子の隣に座ったんだよ。初対面で、ああ、どうもとか挨拶して。みんなもけっこう酔っ払ってたから、どう追いついたものかと思ってたら、奥さんが、色々、料理を出してくれて、鍋の方は、自分で温め直して具を入れていって。ネギとか、鶏肉とか、……それで、その変わった子が、俺のワイン・グラスを取りに席を立ったんだよ。で、俺の方は、一通り具を入れて、パッって見たら、なんか、タッパに入ったしじみがあって。」

「えっ、まさか、……」

「いや、しじみなんか入れるのかなと思ったけど、珍しい鍋だったし、わざわざ大事そうにタッパになんか入れてあるから、特別なしじみなのかなとか思って、ぽいぽいっと入れちゃったんだよ。菜箸で抓んで。そしたら、周りのみんなが、あっ!て絶句しちゃって。きょとんとしてたら、その子が戻って来て、……キャーッ!て悲鳴を上げて。」

「どうしたの、それで?」

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