一故人

​愛川欽也—トラック野郎から経営の神様までを魅了した理由

「キンキン」の愛称で親しまれた愛川欽也は、俳優、DJ、司会者、エッセイストなどをこなす多才な人物でした。その人柄は、長距離トラック運転手やラジオリスナー、そして「経営の神様」までもを魅了したのです。今回の「一故人」は、彼の80年の歩みを振り返ります。

監督第1作上映時、見知らぬ男から励まされる

人気タレントが映画を撮ることは珍しいことではない。映画監督として国際的にも評価の高い北野武はその代表例だが、古くは青島幸男が『鐘』(1966年)という映画を自主制作し、フランスのカンヌ国際映画祭の批評家週間招待作品に選ばれている。萩本欽一もコント55号(坂上二郎とのコンビ)で人気絶頂にあった頃に『手』(1969年)や『俺は眠たかった!!』(1970年)をあいついで監督したほか、のちには『欽ちゃんのシネマジャック』という複数の監督の参加によるシリーズ企画(1993~94年)を製作総指揮している。

テレビ番組の司会者や俳優として活躍した愛川欽也(2015年4月15日没、80歳)もまた、30代末から晩年にいたるまで映画を8本制作している。監督第1作は1974年公開の『さよならモロッコ』だ。この映画で愛川は監督・主演のほか脚本・音楽・編集を兼任している。製作費は私財から投じた完全な自主映画ながら、東京・有楽町にある大手映画会社系列の映画館を借りて異例のロードショーを行なった。

この公開中、劇場にいた愛川に見知らぬ男が声をかけてきた。小柄でヤッケを着たその男は、客の入りがいま一つなことを「欽也のやつが一生懸命やってんのに、どうしてこんなお客が少ないんだ」とまるで愛川の友達のごとく憤り、さらに「俺はトラックの運転をしてる」「仲間に宣伝して、暇なやつはみんな見に来るように言うからね」と激励して帰っていったという(『シナリオ』1976年1月号)。当時、愛川はTBSラジオの深夜番組『パックインミュージック』のDJとしても人気を集めており、そのリスナーには夜間に長距離を走るトラック運転手も大勢いたのだ。果たして男の宣伝効果もあったのか、結果的に『さよならモロッコ』は観客動員ではそれなりに成功を収めた。ただ、劇場の賃料があまりに高くて、売り上げのほとんどはそちらに回さざるをえず、結局赤字になってしまったという。

それでも、劇場で会った男の言葉は、愛川を励ますばかりでなく、ある大ヒット映画のアイデアへとつながっていく。

人気シリーズ『トラック野郎』発想の原点はアメリカドラマ

1934年に東京に生まれた愛川は、埼玉県立浦和高校在学中に俳優座養成所の研究生となり演技を学んだ(高校はのちに中退)。やがて養成所の仲間たちとともに劇団三期会を結成する。これと前後して映画やラジオ、草創期のテレビに端役で出演し始めていた。

日本でテレビ放送が始まったのは1953年だが、愛川はその試験放送の段階から出演している。初期のテレビではアメリカ製のテレビドラマの放送も多く、劇団三期会では、主要人物以外のすべての脇役のセリフの吹き替えを一括して引き受けたりもしていた。テレビアニメ『サザエさん』の波平役などで知られる俳優・声優の永井一郎はこの頃の劇団仲間の一人である。

自ら吹き替えした作品のうち、とくに愛川の印象に残ったのが『ルート66』というドラマだった(日本ではまず1962年にNHKで、翌年からはフジテレビで放送)。これはアメリカの2人の青年(愛川と納谷悟朗がそれぞれ声をあてた)が、東海岸から西海岸へ自動車で旅をするなかさまざまな人と出会うというロードムービーである。その劇中では黒人の貧困など当時のアメリカの社会問題も反映されており、愛川は演じながらすっかり感動してしまった。そして、いつか自分もこうした作品をつくりたいと漠然と思うようになる。ちょうど日本にも車社会が到来しようとしていた頃だった。

その後、愛川は司会をしていた若者向け番組『リブ・ヤング!』(フジテレビ)のある回で、映画監督の深作欣二と俳優の菅原文太をゲストに迎えた。愛川によれば《そのときまでに東映のやくざ映画は客入りが悪くなっていた頃で文ちゃん[菅原のこと—引用者注]は休んでました》というから(『文藝春秋』2007年5月臨時増刊)、おそらく深作監督・菅原主演の『仁義なき戦い』シリーズが完結した1974年頃だろうか。これが初対面だった愛川と菅原は、お互い映画ファンということで意気投合する。

愛川は当初、日本で『ルート66』をやるなら、男2人がスポーツカーを盗んで逃亡する話はどうだろうと考えていたという。が、アメリカならともかく日本は狭すぎて逃げ切れない。それに、すでに中年になっていた自分と菅原には、スポーツカーで旅するという設定はどうもさまにならないと思われた。

『さよならモロッコ』を公開し、トラック運転手から声をかけられたのはちょうどその頃だった。さらに、たまたま見たNHKのドキュメンタリー(1975年放送の『カメラリポート 走る街道美学』)で、派手に飾ったトラックで高速道路を疾走する運転手たちの存在を知る。

この続きは有料会員登録をすると
読むことができます。
cakes会員の方はここからログイン

1週間無料のお試し購読する

cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。

人気の連載

おすすめ記事

ケイクス

この連載について

初回を読む
一故人

近藤正高

ライターの近藤正高さんが、鬼籍に入られた方を取り上げ、その業績、人柄、そして知られざるエピソードなどを綴る連載です。故人の足跡を知る一助として、じっくりお読みいただければ幸いです。

この連載の人気記事

関連記事

関連キーワード

コメント

kaiyg 愛川欽也――トラック野郎から経営の神様までを魅了した理由|「誰でも一個人として対等に接した愛川のメッセージは … 」 4年弱前 replyretweetfavorite

roma_08_28 ですですさいたまの星! 4年弱前 replyretweetfavorite

sizukanarudon 愛川欽也―― トラック野郎から経営の神様までを魅了した理由 一故人|近藤正高@donkou https://t.co/qClbdlOn6e 「あんた、松下さん?」 https://t.co/wg6Pf7IB88 4年弱前 replyretweetfavorite

Shige_Onz キンキンは浦高だったのか 4年弱前 replyretweetfavorite