安田浩一×佐藤慶一対談「取材をしないネットメディアには、匂いや身体性がない」

5月22日に発売されたノンフィクション誌『G2(ジーツー)vol.19』。『月刊現代』の後継誌として2009年に創刊されたが、19号目にして休刊となる。はたして、「ノンフィクション」はこれからどこで生きていくのか。その場所や手法については今後、ますます問われ続けることになるだろう。

今号に「HATE THE HATES ヘイトな馬鹿に鉄槌を」と題したレポートを寄せたジャーナリストの安田浩一と「ノンフィクションを読まない24歳Web編集者がノンフィクション・メディアの未来について考えてみた」を書いたWeb編集者の佐藤慶一、そして『G2 vol.19』の編集人を務めた青木肇を加えた3名が、ノンフィクション・メディアの意義、課題、希望などを語った(対談日:5月13日/構成:佐藤慶一)。

「ノンフィクション・メディアの意義・課題・希望」・前編


(左)ジャーナリスト・安田浩一、(右)Web編集者・佐藤慶一


雑誌の役割は「平地に波瀾を起こす」こと

安田浩一(以下、安田): 佐藤さんの記事を読みました。昨日台風だったので、今日、新幹線で東京に戻ってきたんです。軽い寝不足のなか、車中で想定問答をしていましたが、言うことがないと思いました。

青木肇(以下、青木): ダメですよ。遠慮せず、今日はどんどん言ってくださいよ。

安田: でもさ、いくら想定問答繰り返しても、仮に佐藤さんに「でも、安田さん、食っていけていないじゃん」と言われたら終わりです。結論、そこに行き着いてしまう。この対談に関係するんですけど、こないだ、大宅壮一ノンフィクション賞の受賞会見がありました。

佐藤慶一(以下、佐藤): 文藝春秋の「本の話WEB」でも目にしました(参考:これが本当のノンフィクション 活字の底力見せたい 第46回大宅賞雑誌部門は「ルポ 外国人『隷属』労働者」(安田浩一))。『G2』17号に掲載されたルポですね。

安田: 会見の日、ぼくは地方取材中だったので、会場と電話をつないで記者からの質問に答えるというものでした。いくつかあった質問のなかで、最後の質問が紙媒体の将来に関するもので、紙媒体が非常に衰退傾向にあること、ノンフィクションという分野が以前ほど注目されていないこと、端的に危機的な状況にあることに関して安田はどう思うのか、という問いでした。

ぼくはこう考えたんです。まず、WebニュースやWeb媒体における報道においては、依然としてネットの世界のなかだけで流通している言葉と事象のみで、つまり取材という行為を省略したかたちで記事を提供している現状がある。その点、既存のノンフィクションには意義・意味があり、紙媒体の将来性も決して失われていない、というような返答をしました。すると、会場から拍手の音が聞こえたんです。その音を電話口で聞いていて、すごく気持ちよかった。ぼくが言ったことを受け止めてくれる、賛同してくれている。あの場にいたみなさんの気持ちを掴んだという、ある種自己陶酔に似た気持ちがありました。

ところが、しばらく時間が経つと、この気持ちよさってなんだろうと冷静に考え始めるわけです。それは"弱小政党の総決起集会"にも似たようなことだと思いました。「まだわれわれの存在意義はある! がんばろう!」とみんなで拳を振り上げるようなことは、ぼくがこれまで何度も取材で見てきた弱小政党やマイナー集団の総決起集会の悲惨さとダブったんです。つまり、ぼくの気持ちよさは、世間から見たら最大公約数にもなっていない、少数者の悲哀のなかでがんばろうとしているような気持ちだったんです。

しかし、インナーサークルのなかで拳を上げてもなんの解決にもなりません。活字にはまだ力がある、紙メディアには意義や意味がある、ノンフィクションにはまだ意味が失われていないことを確認する作業はできても、解決策を見つけることができない。そんな怒りや苛立ち、そして悲しみが入り混じった気持ちは次第に強くなっていきました。

青木: 安田さんは温厚だからあまり言わないと思うけれど、今回の『G2』第19号で、佐藤くんの記事を巻頭に持ってきたことについて、ノンフィクションを真面目にやっている人からすると、「こんな企画を巻頭に持ってくるな」と心のどこかで思ったのではないかと思います。「紙媒体でノンフィクションはもはや成立しない」「コンテンツそのものよりもコミュニケーションに読者の興味がシフトしていく」とかいろいろ書いてますからね。

こういう企画を敢えて載せることで、『G2』を一生懸命つくり、育ててきた書き手からすると裏切られた気がするかもしれない。それでもぼくは佐藤くんの原稿を巻頭に持ってきた。今から6年前に『月刊現代』が休刊し、これからは『G2』という名前の媒体もなくなる。残せなかった、繰り返してしまったという、ものすごく忸怩たる思いがあるし、こんな時代にノンフィクションを書き続けている人々を大事にしたいと思っているけれど、でも、出版不況や社内の状況を含めて環境はますます厳しくなっている部分があるのも事実。ノンフィクション媒体がなくなることは、読者や書き手だけでなく、ぼくら編集者にとってものすごくショックなんです。だからこそ、ノンフィクションの未来について真剣に考えたいからこそ、逆説的ではあるけれども、ノンフィクション業界の外にいる佐藤くん—Webメディアと海外のメディア事情に詳しい人にあえて"暴論"を書いてもらったわけです。

スティーブ・ジョブズが「リベラルアーツとテクノロジーの交差点」って言ったのは有名な話だけど、次代のノンフィクションも旧来の世界観ではなくて、「取材型メディアとITの交差点」から生まれるような気がするし。少々乱暴すぎたかもしれませんが。

安田: いえ、冒頭に持ってくるのは大賛成です。なぜなら、雑誌の役割というのは、ぼくの大好きな荒畑寒村の言葉を借りるならば「平地に波瀾を起こす」—これがまさに雑誌の役割だと思っていて、定石通りではダメ。波瀾を起こす、というのは、いい意味でも悪い意味でも、常にあり方を裏切り続け、論争を起こすこと。その点において、佐藤さんの記事が巻頭でよかったし、意外と真面目にノンフィクション・メディアの将来像を考えていることについて、ぼくはむしろ敬服します。

青木: もう一つ最初に言っておきたいのは、これだけ環境が厳しくなってくると、ノンフィクションをつづけるのは、結局、意地や覚悟があるかどうかの問題なのかもしれない。どんなにお金にならなくても、媒体が減っても、取材費は原稿料が安くても、アルバイトをしてまでも書き続けることができるのか。覚悟がある人はそれでも続けるし、覚悟がなければやめる。それでも、出版社としては、媒体を残したい、いや、残していかなければいけない。そもそも、書き手に編集者が加わらないと、本当に読まれるものや売れるものはつくれないという考え方もあります。このあたりは意見の分かれるところですけど。

読者のニーズに合わせ続けることはメディアにとっていいことなのか

佐藤: それについては、ノンフィクションがネットメディアで生きることができていない現状につながると思います。実際、ネットメディアでは、ライターと編集者、そして校閲まで含めた体制はなかなか組めていません。G2に書いた原稿では「制作」「流通」「収益」の3つの点からノンフィクション・メディアの問題点を論じましたが、ノンフィクションがネットメディアで生きる道を模索するなら、現状の広告モデルは合っていないような気がします。

現状、ネットメディアでは、マーケットインというか、読者が求めているものを出すような感じがあるので、読者目線という言葉がよく使われます。そこで課金なり、コミュニティなり、ネットならではの収益化の仕組みが生まれるなら、ネットでノンフィクションが生きることができるかもしれません。そのとき、原稿料という仕組みの解体をはじめ、職能の変化を編集者自身が理解し、デバイスの特性も理解していくことなどが重要になってくると思います。

安田: ぼくは「読者目線」という言葉が気になりました。なぜかというと、特に週刊誌時代、常に読者の目線や読者が求めているものを意識しろと、ずっと言われ続けてきたからです。ただし、ぼくは読者目線という言葉が嫌いでした。自分がやりたいものをやる、書きたいことを書く、訴えたいことを訴える・・・青臭いけど、現場のみんなは社会を変えたいと本気で思っていたので、なぜ読者に媚びないといけないんだと仲間の編集者たちは言っていました。

ただ、現場ではそう言っていた人が編集長やデスクになると、だんだんと読者目線とか言うようになって、それにだんだんと反発が強くなっていきました。もちろん、書き手が存在する以上、読み手がいるという関係性を常に意識することは大事。ぼくだって、独りよがりなことを書いたときには、読者は振り向いてくれない。自分だけが読者に受けると思ったことが、まったく受けない。問題提起が間違っていると、読者から指摘を受ける。これらの意味では、読者目線は必要だと思うけど、それを強調するあまり、読者のニーズに合わせ続けることが、果たしてメディアにとっていいことなんだろうかという素朴な疑問があります。

たとえば、週刊誌時代の読者アンケートでトップに来ていたのは、決まってショッキングな話題、スキャンダラスな話題、衝撃的なグラビアだったりする。こういった読者の反応を意識し続けてしまった場合、地味な告発型のノンフィクションなどは切り捨てられてしまうという危機感を感じる。果たして、読者目線を続けることで、媒体は信頼性を獲得していくことができるのか。読者を意識しながら、コンテンツのクオリティをどのように維持できるのか、または高めていけるのかを考えざるをえないと思います。

佐藤: 読者目線をあえて強調しているのには、Webメディアが広告モデルであること、分析ツールやソーシャルメディアの普及によって、読まれる・読まれないことが見えることなどいくつか理由があります。以前、青木さんにヒアリングした際、ノンフィクション誌が売れない理由として、出版不況や読者の求めている記事が出せていなかったことを挙げていました。実際のところ、出版不況という理由で売れなかったのか、求められるものを提供できないから売れなかったのか、はっきりしていません。

青木: するどいね。たしかに、そこはあいまいにしているかもしれない。

「風景も言葉も、書き手側が能動的に働きかけることによって、初めて成立する」

安田: そもそも佐藤さんはノンフィクションを読まれます?

佐藤: ノンフィクション誌と呼ばれるものは読んだことがないです。ただ、学生時代に難民問題を勉強していて、タイとミャンマーの国境にある難民キャンプでフィールドワークをしたことがあったので、実際に人にあたって現状を見聞きして伝えるという意味では、ノンフィクションは自分とはそれほど遠いものではないと思います。それでも、普段の生活のなかで、いざノンフィクションを読むかというと、なかなか手が伸びないというか・・・。

安田: それは普通だと思います。最近、20代の紙媒体の編集者と話していると、ノンフィクション担当だとしても、ノンフィクションに対するこだわりがなかったりする。そもそも新聞も雑誌も読んでいないのに出版社に入る人も多くて、ノンフィクションは読まれていないなという現実がたしかにある。もちろん、そのこだわりのなさというものが、いろんな可能性を生み出すこともぼくは否定はしない。

ただ、時代の違いから言うと、日本にとってノンフィクションってそんなに古い歴史をもっているわけでもない。たかだか50~60年の文化だと思います。たとえば、戦前は記録文学というジャンルであったり、戦前から戦中のノンフィクションで残っているのは、作家が従軍記者として戦場に帯同して実情をまとめたものです。

青木: 火野葦平の『麦と兵隊』みたいなものですよね。

安田: 言うなれば、作家の余技なわけです。作家の余技として、ノンフィクションという分野があったと思っている。ぼくが尊敬する横山源之助は、明治時代に新聞記者として『日本之下層社会』などを記しています。当時、東京の貧民窟をひたすら歩いて、探訪記を新聞に書くというすごい作品で、ノンフィクションの原点として横山源之助がいる。でも、ノンフィクションというジャンルはまだ低い位置にあった。だからこそ、第二次世界大戦における日本軍の従軍記者には、フリーランスしか参加できない。そこで作家が余技として戦場ルポを発表していた。当時、日本では文学が重視される傾向があったので、マーケットもそこまで大きくなかった。

その後、1960~70年代に週刊誌など雑誌が生まれるわけです。そのころから、システムの一部として、ライターという存在が出てきた。編集者自ら取材にいくのではなく、お抱えのライターがいて、事件が起きるたびに派遣する仕組み。そこから週刊誌ジャーナリズムやノンフィクション分野が生まれていった。1970年に大宅壮一ノンフィクション賞、1979年に講談社ノンフィクション賞が創設されたことで、ノンフィクション分野に光が当たり、盛り上がりはじめました。大宅賞の第一回目には石牟礼道子さんが『苦海浄土 わが水俣病』で受賞しています(辞退)。講談社ノンフィクション賞の第一回目には立花隆さんが『日本共産党の研究』で選ばれています。この2つの作品は本当に素晴らしいノンフィクションです。

青木: いわば、金字塔ですよね。

安田: ぼくは立花さんの『日本共産党の研究』を読んだことで、調べて書くという行為にはじめて感動ではなく、頭が下がる思いをしました。足を運ぶ、通い詰める、資料を発掘する、人に会う、言葉を聞く。そして、風景や言葉というのは書き手が介在することによって、共振して、そこからある種の身体性が生まれる。もちろんリアルタイムで読んだわけではありませんが、言葉の身体性が突き刺さりました。風景も言葉も、書き手側が能動的に働きかけることによって、初めて成立するのだと実感したんです。金字塔と言えるノンフィクション作品を読んだことは、ぼくがノンフィクションに足を進めるきっかけとなっています。

ただ、将来的には紙メディアはダメになり、Webメディアが広がっていくという認識は佐藤さんと同じです。それでも、はたして、現状のWebメディアを読むことで感動したり、言葉の身体性を理解する過程はあるのか。ぼくはいまのところ、ないと思っています。理由のひとつはWebメディアが取材をしていないからです。加えて、収益モデルが成立していないからです。たとえば、ぼくにもWebメディアからお声がかかることもあります。

佐藤: そうなんですね。原稿料はいくらくらいなんでしょうか?

取材をしないネットメディアには匂いや身体性がない

安田: だいたい1本5,000円です。スマホ時代ということもあるのか、長いのはダメだと言われます。字数は800~1600字くらい。考えてみると、原稿用紙2枚で5,000円、1日2本書けば1万円なので、いいかなとも思うんです。でも、その文量でなにが書けるかということなんですよね。現状のWebメディアを見ると、ネットの反応をまとめていたり、ソースが既存メディアだったりする。これは報道と言えるのか、ノンフィクションと言っていいのか。ぼくは違うと思います。なぜならば、取材が介在していないから。しかし、Webではどちらが読まれるかといえば、ある記事を引用・盗用するようなメディアのほうが圧倒的な閲覧者を誇っています。

佐藤: ユーザーの情報消費の早さやスタイルに合っているからですよね。

安田: だから、本当に読者目線に合わせるべきなら、ぼくは全部そうすべきだと思っています。そして、そうなってしまったとき、ノンフィクションは事実上終わりだと思っています。

青木: ネットに慣れた人はもう、まとめとかキュレーションのほうがいいのかな。

安田: 紙媒体よりもJ-CASTのようなネットニュースのほうが手軽に読むことができて、しかも面白いと考える人が少なくない。あるいは、僕が大嫌いなネトウヨ御用達のまとめサイトとかね。最近の週刊誌記者のなかには、なにか事件が起きたらネット上の反応を見てから飛び出す、というのが習慣になりつつあります。

佐藤: 週刊誌でもツイッターなどネット上で発生した出来事がそのまま記事になっていることがありますよね。ときどき逆流現象が起きている。

安田: このあいだの川崎市中1男子生徒殺害事件では、早い段階からネットに加害者の顔写真と住所が出ていました。半分以上は誤爆でしたが、週刊誌記者もネットの情報を頼りに取材に行っていました。実名と顔写真を掲載した『週刊新潮』は売れたみたいですが、あれはネットを見ないおじさんたちが実名や顔写真を見たいから買ったわけで、ネットを見ている若者からすればなにをいまさらなわけです。だから、週刊誌は速報性においてネットより劣ってきている。

余談だけど、事件があったときにぼくらが自宅まで足を運んで取材するのは、相手の表情や対応を見たいからです。断られたとしても、断られるまでの一連の過程が物語であって、どんな言葉や対応で断るのか、生活環境がどうなのか。そういうことを含めて、ぼくら書き手にとっては重要な情報です。対照的に、ネットメディアはそういうことはしない。だから、匂いが伝わってこないし、身体性がないんです。

佐藤: ネットメディアにはライターはいても、編集者や校閲がいないこともあります。取材をしたとしても、コンテンツを磨けない状況はあるのかもしれません。

安田: ノンフィクションライターの生き方として、ネット上でひとつの可能性を見出すならば、まず、ぼくにとって編集者とはなにかを考える。きれいごとで言うと、共同共謀正犯の関係。お互いにいいことも悪いことも示し合わせながら、なにかを作り上げる。でも実際のところは、多くのノンフィクションライターにとっての編集者は、生殺与奪の権を握る存在なわけです。

つまり、ぼくがどんなつまらないことでも、青木さんと大ゲンカをして、顔も見たくない、口も聞きたくないとなれば、二度と仕事の依頼はない。ほかにも、クオリティの低い原稿を書いて、編集者がダメだと思ったら、絶対に使ってくれません。あるいは取材ができなかったり、締切日に原稿を上げることができないと報告した時点でも、安田は使えないとなる。編集者は共同共謀正犯の関係であり、生殺与奪の権を握る存在。生きるも死ぬも編集者次第です。編集者を通さないと、世の中に記事が出ることも、お金が入ることもないからです。

それに対して、ネットメディアではこういう関係がなく運営できるという意味では、新しい可能性があるのかもしれません。現に動画共有サイトやブログの広告収益だけで生計を立てている若者がいる。ネットによって、そういった新しい食べ方、生き方が可能になっている。ぼくは編集者を通さない文章は危険だと思っていますが、それでも、ネットにおいては必ずしも編集者が生殺与奪の権を握っているというわけではありません。この点は、ネット時代ならでは新たな問題提起となるでしょう。

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