電車が揺れた拍子に体がよろけ、隣の人に肩をぶつける。すみませんと謝ったのに、相手は舌打ちをする。顔を見ると三十手前といった風情のスーツ姿の女だ。地肌の色と合わないファンデーションが能面のように顔面を覆い、眉毛もあまりにもくっきりと書きすぎて落書きのようになっている。うっかり目が合うと忌々しげに顔を背けた。僕を馬鹿にしているのだろうか。
原宿駅に着くと、改札口が東に向いているらしく、ちょうど正面の空の奥が朝焼けを始めている。改札を出て、僕はぼんやりとそれを見上げた。
「ミズヤグチさん!」
と、横合いから声をかけられる。真赤の声に間違いがないのだけれど、太陽の光を眺めて瞳孔が開ききってしまった僕の目には、街は灰色く塗りつぶされてしまっており、咄嗟に彼女を見つけられない。
「こっち」
ぽんと肩を叩かれて、そうして振り返るとすぐ近くで彼女が笑っている。
「うん」
僕は誤魔化すように目を擦りつつ、
「あけましておめでとう」
と忘れないうちに言った。
「あけましておめでとうございます」
と真赤は返す。
そうして僕たちは肩を並べて明治神宮へと歩き始めた。
それから一週間後、僕は再び原宿に行くこととなった。
まだ正月と呼べる時期のうちに正月らしいものを食べようという話になって、インターネットで活毛蟹を注文し、それが真赤のマンションに届いたのが昨日のことだ。早速二人で食うことになったものの、いくらなんでも毛蟹だけでは食卓が成立しないので、新宿で待ち合わせをし、駅の近くの高島屋でローストビーフだの僕が飲む日本酒だのを買い込んだのである。そうして僕たちは二人で電車に乗り込んで、真赤のマンションに向かっている。
二人とも高島屋のマークが入ったビニール袋をぶらさげて、広大な新宿駅を、山手線のホームへと歩いていた。
「大丈夫?」
しばしば人混みに流されて離れ離れになりそうになる真赤を、僕はそのたびに足を止めて振り返る。
「ミズヤグチさんはどうしてそんなに早く歩けるの? こんなに人がいっぱいいるのに」真赤はむくれながら言う。
「ただの慣れだよ。そんなふうに、人が来るたびにいちいち足を止めて避けてるからいけないんじゃない? もっとこう、強い意志を持って歩かなくちゃ。通り過ぎるのを待ってたって、だれも道を空けちゃくれないんだからさ」
真赤はわかったようなわからないような顔をしてじっと僕を見る。
そして歩き始めると、またすぐにはぐれそうになってしまって、彼女は僕を呼び止める。
「もう、待ってよ」
「待ってるじゃんか」
「だって、全然追いつけなくって……。あっ、わかった、こうすればいいんだ」
そして彼女は空いている方の手で、あいかわらず長すぎる僕のマフラーを掴んだ。
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