毒母のせいにできるのは、ある意味「幸せ」?!
田房 夫婦で話していたりすると、こっちが言語化できてそれが夫の言動に反映されて、うまくいくっていう時もあるけれど、ん〜なんだろうな。結構『傷口から人生』読んでて誰かのせいにするって言葉が結構でてくるなって思ったんです。私、結構そのへんは誰かのせいにしてしまう派なんですよ。誰かのせいにしちゃっていいじゃんって感じはあります。
小野 「私のお母さんが毒親だから、私はこんな冴えない人生なんだ」って、親のせいにできることって、ある意味幸福だし、不幸だと思うんですよ。幸福というのは、親のせいにしさえすれば自分の問題を棚上げできるじゃないですか。「妖怪ウォッチ」みたいなもんですよ。
「毒母の〜、せいなのね、そうなのね♪」って(笑)。責任がなくなって、楽になる。同時に、不幸というのは、人のせいにしているがために、その人は自分の人生を行動して変える機会をどんどん失い続けているということです。母親のせいにしつづけているかぎり、その人は自分の人生の問題を主体的に解決する機会を得られない。だってお母さんが変わってくれない限り、その人の苦しさは取り除かれないわけでしょ。だから幸せでもあるし、不幸でもあると思います。