あんたが、あんたのバラの花を
とてもたいせつに思ってるのはね、
そのバラの花のために、時間をむだにしたからだよ
(『星の王子さま』より)
肝心なことは目に見えない
「世界で一つだけの花」で思い出すのは、サン=テグジュペリの『星の王子さま』のことだ。少し脇道にそれることになるが、見ておきたい。
こんな場面があった。七番目の星、地球に辿りついた王子さまは、やがて五千ものバラの花が咲いている庭にやってくる。彼は、そこで自分の小さな星に残してきたバラの花を思って泣き崩れる。この世にたった一つだと思っていたものが、実は、どこにでもある花だったと知って悲しかったのだ。
そこにキツネが現れて王子さまを慰め、ふたりは仲よしになる。キツネは友だちになることを通して、「お互いがお互いにとってかけがえのない存在である」ということの意味を王子さまに教えてあげる。つまり、互いにとってオンリー1の存在になることの意味を。
王子さまはこう考えるようになる。「あのキツネは、はじめ、十万ものキツネとおんなじだった。だけど、いまじゃ、もう、ぼくの友だちになってるんだから、この世に一ぴきしかいないキツネなんだ」と。
やがて、また旅立ってゆく王子さまに、キツネは、贈り物として秘密を教えようと言う。
「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」
目で見えることと、心でしか見えないこと。それを「物理的なこと」と「心理的なこと」と言い換えることもできるし、「量」と「質」ととることもできるだろう。これを今、ぼくたちのテーマに引き寄せて言えば、大小、多少、強弱など、単なる物理的で量的な差異だと思われているものを、心理的に、質的に見れば、そこに違う意味が現れてくる。この世は単に物理的で、量的な、つまり計測可能な世界ではない。そこには「意味」が満ち満ちているのだから。例えば、この世にキツネはたくさんいるが、自分の友だちという意味をもったキツネは世界に一つだけ、というふうに。
もうひとつ、キツネは重要なことをつけ加える。
「あんたが、あんたのバラの花をとてもたいせつに思ってるのはね、そのバラの花のために、時間をむだにしたからだよ」
ここには、「愛とは何か」という難問中の難問に対するひとつの答えがある。つまり、愛とは「相手のために時間をムダにすること」
ぼくたちが生きている現代社会では、時間をムダにするのはよくないどころか、ほとんど犯罪のように扱われている。それは「弱さ」とも見なされる。逆に、強さとは時間をムダにせず、有効に、能率的に使うことだ。しかし、あのキツネが言う通りだとしたら、どうだろう。大切な人のために時間をムダにできなくなってしまった現代人から、愛はますます遠ざかっているのではないか。
そう考えれば、強い者ほど愛することが困難で、むしろ弱い者ほど愛に近い、と言えるかもしれない。