ジジジジ

2(恵)

健太の初体験相手となった恵。どこか陰のある彼女が、まっすぐな健太の想いに応えた背景には、学生時代の実らなかった初恋の存在があって……。歌人であり、小説家である枡野浩一さんが描く、からみあう「初恋」のハーモニー。アンソロジーに収録された短編「ジジジジ」を全3回でお届けします。(『ピュアフル・アンソロジー 初恋。』より)

2(恵)

 「あの……。これ……。手紙です」
 通勤電車の中で封書を渡してくれたときの健太くんの声は、低くて、かすれていて、かわいかった。それだけ言って、逃げるように電車をおりていった。おりる駅に合わせて、ぎりぎりのタイミングで渡そうと、待ちかまえていたのかもしれない。
 高校時代のあたしも、ああいう感じだったのかもしれないと思って、なんとなく同情するような気持ちになった。
 だからかな……、書き添えられていた携帯アドレスに、その日のうちにメールしてみた。
 顔文字とかを一切つかわない、文章を書き慣れていないのだろう返信メールの文面に、好感を持った。
 告白されたのは初めてだ。
 告白したことは一度だけ。
 あのころ、あたしと先輩は、つきあっていたことになるんだろうか?


 美術部のほぼ全員は幽霊部員だった。うちの高校で美術部に所属するということは、「帰宅部」に所属することを意味していた。例外的に活動をしていた唯一の部員が、平中先輩。
 先輩、先輩、と皆に呼ばれていたものの学年はあたしと同じ三年で、つまり彼は留年しているのだった。
「どうせ美大めざしたら浪人とかするんだし」
 と、本人は気にしていない様子だったけれど、周囲は彼が年上であることをわりと気にしていた。ほとんどクラスメイトと話してるのを見たことがなくて、それであたしは興味を持って近づいてしまった。

 先輩はいつも放課後の美術室を独り占めして、油絵を描いていた。油絵の具はなかなか乾かない。「そろそろ完成?」と素人目には思える段階になってからも、何日もかけて筆を足していく。時には金属のへらで絵の具を削ったりする。
 先輩は白衣を着ていた。白衣と言っても絵の具でカラフルに汚れていて、それ自体が抽象画みたいだった。その白衣は本当は化学の授業とかで着る用の白衣なのだけれど、化学の授業でも同じものを着ているんだと先輩は笑って言った。
「叱られないんですか?」
 化学の女性教師は生徒をねちっこく叱ることで有名で、「ねち子」とあだ名されている。
「もうあきらめてるみたい」
 あきらめてるのは先生じゃなくて、先輩のほうじゃないか、そんな気がしてならなかった。

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ジジジジ

枡野浩一

「男の子がいったあとって、首のあたりで音がしない? ジジジジって」―― アンソロジー『初恋。』(ピュアフル文庫)のために書き下ろされた短編に加筆修正を加えたものになります。歌人としても著名な枡野浩一さんが織り成す、手の届かない恋の物語。

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