AWAKEの悲劇】6・2015年コンピュータ将棋選手権

2勝2敗で迎えた電王戦FINAL第5局。頂上決戦として大いなる注目を集めた、阿久津主税八段と「AWAKE」との対局は、21手という異例のスピード決着となりました。なぜAWAKEはその実力を発揮できなかったのか。なぜ開発者の巨瀬亮一は投了を決断したのか。『ドキュメント コンピュータ将棋』著者・松本博文氏が、電王戦の結果を振り返りながら、人間とコンピュータとの戦いのあり方を問いなおします。完全書き下ろし。

 秋は電王トーナメント、春は電王戦、そして初夏は選手権、というのが、最近のコンピュータ将棋界の歳時記である。今年もゴールデンウィーク期間中の5月はじめ、千葉県木更津市のかずさアークにおいて、第25回世界コンピュータ将棋選手権が開催された。

 「Labyrinthus」(ラビュリントス)開発者の香上智は、大会初日の早朝、現地に向かう高速バスの中で、ある構想を実現させようと、ノートパソコンに向かっていた。多くのプログラマが徹夜に近い状態で、本当の直前、ギリギリのところまで試行錯誤するのが、この大会の伝統でもある。

 筆者は香上の前の席にすわって、iPhoneを見ていた。「大合神クジラちゃん」の開発者である鈴木雅博が、ニコニコ生放送の番組を放映しているのだ。そこでは鈴木がソースコードをいじりながら、テストをしてもうまく動作せず、うめいている様子が映されている。大会が始まるのは9時すぎである。しかし時刻は7時を過ぎ、そろそろ8時になろうとしていた。

 クジラちゃんは2013年に独創賞を受賞したソフトである。ニコニコ生放送の視聴者にクライアントソフトをダウンロードしてもらい、その視聴者のパソコンの力を合わせて、大規模クラスタを実現するシステムを採用している。他に例のない素晴らしいアイディアを持つ、オンリーワンのソフトだ。そのため、注目度も高い。

 しかし今回、鈴木は思うように開発に時間を取れなかったこともあって、改良がうまくいかなかった。そして大会当日の朝になっても、まだソースコードをいじっている。

 鈴木だけではなく、現在のほとんどの開発者にとっては、将棋ソフトのプログラムを書くことは、仕事ではない。あくまで趣味の延長である。それはもちろん、よくわかる。しかしそれにしても……。
 「もっと早くから準備はできなかったのか」
 鈴木を応援し、よく知る視聴者たちからは、情け容赦のない、辛辣なコメントが浴びせられていた。みんなそれだけ鈴木に、大合神クジラちゃんの可能性に、期待していたのだ。

 木更津に向かうバスは、東京湾を横断するアクアラインにまでも、なかなかたどり着かない。10年ほど前は、そうではなかった。この渋滞は、近年、木更津に大規模なアウトレットパークができたことなども影響しているのだろう。莫大な予算をかけて作ったアクアラインが利用されるのであれば、それはいいことだろう。ただし、バスは遅れに遅れ、始発で出ても、一次予選開始に間に合うかどうかを気にしなければならなくなった。

 やがて、筆者の席の後ろで香上が、

 「できました!」

 と声をあげた。モニターを見せてもらうと、ラビュリントスの美しいGUI(グラフィカルユーザインターフェース)の上に、△2八角を誘導する局面が映されていた。

 「いいですね! そうそう、これを見たかったんだ」

 思わず筆者も大きな声をあげ、あわててバスの中を見渡した。
 電王戦でプロが採用して、一躍有名になった、あの作戦である。ラビュリントスを相手に、△2八角を打ってくるソフトは現れるだろうか。

 アンチコンピュータ戦略が発表されれば、それを採用するソフトも現れるし、またそれを回避しようとするソフトも現れる。そう進むことによってもまた、コンピュータ将棋はさらに発展していく。
 香上によれば、相手に△2八角と打たせることはできても、その角を取り切ることができるかどうかはまた、別問題だという。そこまで実現させることができれば、今年の独創賞の有力候補だったであろう。しかし残念ながら、今回の大会では、香上の構想は実現しなかった。

 午前9時過ぎ。コンピュータ将棋界の長い3日間が始まった。
 シードで一次予選はシードされている巨瀬も、朝早くから会場に姿を見せていた。電王戦FINALの最終局第5局、阿久津-AWAKE戦が終わってから、まだ1か月も経ってない。巨瀬は元気がないのではないか、と心配していた関係者も多かったが、そんなことはなく、多くの開発者と情報交換し、談笑をしていた。

独創性の向かう先

 2015年のコンピュータ将棋選手権、優勝候補の筆頭は、誰もが認める実力ソフトである、ponanzaだった。ponanzaはfloodgate(ソフト同士による自動対戦サーバ)において、3600点という、圧倒的なレーティングをたたき出していた。人間同士が戦う将棋倶楽部24という対戦サイトのレーティングに換算すると、なんと4000点近い数字になる。3000点でプロレベル、と言われるわけだから、ponanzaをはじめとする上位ソフトが、すでに人外の強さを誇っていることは、データの上からも明らかだ。

 ponanzaの後にはAWAKE、NineDayFever(NDF)が続く。今年の大会では、ここまでのソフトが「3強」と呼ばれることが多かった。さらには前年優勝のAperyや、電王戦でも注目されたSelene、過去に複数の優勝実績がある激指、YSS、GPS将棋などがどれだけからんでくるか、と見られていた。

 2日目の二次予選から参加したAWAKEは、当然注目の的である。学習にかけていた時間が、かつては30日かかっていたところ、工夫をして、現在では3日では終わるようになった。直接的に強さに結びつくわけではないが、観戦者の目には見えないところで、巨瀬はまた着実に成果をあげつつあった。

 △2八角の誘導策については、また人間と対局する際には対策をほどこすが、コンピュータ将棋選手権ではその必要はないと感じた。たとえそうしたことをやってくるソフトに一発入れられても、あまり影響はないだろう。 コンピュータ将棋選手権という舞台において、上位ソフトは、それとは違う次元で戦っている。

 二次予選が進んでいく中、7回戦で、コンピュータ将棋の歴史に残る一局が生まれた。決勝リーグ入り進出を争う強豪ソフトのSeleneとひまわりの対戦は、両者が相手陣に玉を進める、相入玉の展開となった。人間とコンピュータの真剣勝負が注目をされるにつれ、入玉形は、コンピュータ将棋の最大の弱点であることは、よく知られるようになった。入玉形になると、コンピュータは別物のように弱くなってしまう。

 Selene-ひまわり戦の最終盤、入玉形において重要な駒の数は、Seleneが圧倒的に優っている。人間であれば、それほど強くなくとも、「宣言法」というルールに従って、勝ちにできる局面である。一方で、従来のコンピュータ将棋では、それができなかった。
 しかし、Seleneは違った。多くの観戦者が、このまま引き分けになるのではないか、と思ったとき、Seleneのモニター上に「mate13」という表示が出た。

 「mate」(メイト)とはチェスの用語で、「詰み」を意味する。コンピュータ将棋では、「勝ち」と同義だ。要するにSeleneは入玉宣言法上での勝ちを探索で読み切り、どう変化しようとも、あと13手以内で自分の勝ちですよ、と言っていたのだ。Selene開発者である西海枝は、Seleneを作りはじめたときからすでに、この機能を組み込んでいた。準備段階でその動作は確認していたが、今回、公式戦において、初めてそれが披露されたのだった。
 「mate13」の表示が出た後は、あっという間に手が進んでいく。そしてSeleneの言った通り、Seleneの勝ちに終わった。コンピュータ将棋選手権史上初の、入玉宣言法による勝ちだった。

 ひまわり開発者の山本一将は、感動した。確かに痛い1敗を喫したことには間違いない。しかし、Seleneの見事な宣言勝ちについては、称える以外に他はない。

 Seleneは電王戦第2局において、永瀬拓矢六段と対戦した。途中まではSeleneが押し気味であったが、終盤では永瀬が実力を発揮して、勝勢の局面を築いていた。そして永瀬は、角不成(ならず)という手を指す。飛角歩はほとんどの場合、成らないよりは、成った方がいい。そこをあえて不成にしたのは、事前貸出による研究によって、Seleneがその手を認識できないことを知っていたからだった。西海枝は毎年、何種類もの手法によって、ゼロからSeleneを作り上げている。そうした上で、近年の上位ソフトには珍しいバグが残っていたのだった。

 西海枝には、そんな欠陥ソフトでプロとの対戦に臨むとはどういうことか、という類の非難が向けられた。人のいい西海枝は、終局後、しきりに恐縮していた。
 西海枝のミスは、もちろんミスである。ただし、単純ミスの類であって、Seleneの実力とは本質的にはあまり関係がない。若手実力者として公式戦では高い勝率をあげる永瀬が、練習では、Seleneに1割ほどしか勝てなかったという。それほど強いSeleneを作り上げた西海枝と、本番で結果を残した永瀬を称えるべきであろう。

 Selene-ひまわり戦の後、多くの開発者、観戦者がSeleneのモニターの前に集まって、照れくさそうな笑顔を浮かべている西海枝の横で、記念撮影をしている。この会場に集まっている多くの人々は、真に称賛すべきものが何であるのか、知っていたのだ。西海枝の優れたアイディアは、やがてコンピュータ将棋が苦手な入玉形を克服するための、偉大な一歩となるかもしれない。

 そうしてSeleneは、この大会の独創賞を受賞した。

頂上決戦再び

 AWAKEは二次予選では7勝1敗1分という成績を収め、2位の成績で通過した。
 1位は8勝1敗のponanza。唯一の敗戦はAWAKE戦で喫したもので、通信トラブルにともなう時間切れだった。内容的には、ponanzaの方が優っていた。ponanza開発者の山本一成と下山晃は、通信トラブルに対処するため、徹夜でプログラムを書き直した。

 3日目、上位8チームが総当たりで戦う決勝リーグでは、ponanzaが実力通りのパフォーマンスを見せ、連勝を続けた。
 4回戦では、前年、最終戦で敗れて優勝を阻止されたYSSに勝ち、雪辱を果たした。YSS開発者の山下宏は「ponanzaを止めるためだけに決勝リーグに残りました」と冗談で語っていた。今年はついに、ponanzaを止めることはできなかった。しかし第2回大会以来、ずっと決勝リーグに残るという偉業は続けており、その連続記録は24に伸びている。

 5回戦、ponanzaはライバルであるNDFに勝ち。

 そうして6回戦で、ponanza-Aperyの因縁の対戦が実現した。両者は昨年もやはり6回戦で当たっている。そしてponanzaは連勝を止められるとともに、最後はAperyに優勝をさらわれた。再度の大一番での対戦は、前年同様、両者の形勢評価が真っ向から対立する名局となった。前回と違って、今回正しい判断をしていたのは、ponanzaの方だった。最終盤まで続く熱戦を、最後はponanzaが制している。

 一方のAWAKEは、5回戦でGPS将棋に敗れた。6回戦ではNDFと対戦。AWAKEが敗れた時点で、ponanzaの初優勝が決まる。AWAKE-NDF戦は、相入玉となった。駒数では、NDFが優っている。しかしNDFの開発者である金澤裕治は、苦笑するしかなかった。NDFは多くのソフト同様に、宣言勝ちをできるようには、プログラミングしていない。前日にそれをやってのけた、Seleneが偉大すぎるのだ。

 やがてAWAKE-NDF戦は256手まで進んだ。大会規定により、両者引き分けである。この時点で、ponanzaの初優勝が決まった。山本と下山は、ハイタッチをして喜びを分かちあった。

 最終7回戦では、ponanzaとAWAKEという、横綱同士の対戦が実現した。見応え十分の大熱戦だった。そして最後はponanzaの勝ち。AWAKEに対しては、電王トーナメント決勝の借りを返した。そして大会史上10年ぶりとなる、決勝リーグ7戦全勝での優勝を飾った。

 ponanza開発者の山本にとっては、この大会で優勝することは悲願だった。開発者の中では誰よりも勝負にこだわり、敗れて人目もはばからずに涙を見せたこともあった。
 しかし、山本のこの日の表彰式のスピーチは、普段通りの、快活なものだった。

 「リベンジしたい相手が、もうだいぶいっぱいいたんですけれど、全員に勝ってですね、僕満足です、ははは」
 「来年の方がponanza、より強くなると思うんで、皆さん、がんばってくださーい」

 巨瀬もインタビュアーから、来年の目標を聞かれた。

 「ponanzaにちゃんと勝てるように……。完勝するような将棋ソフトにしたいと思います」

 電王戦での出来事が、遠い昔のことだったかのように、巨瀬もまた、楽しげに笑っていた。

                                                                    (了)


ご愛読ありがとうございました!!


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プロ棋士と互角以上の戦いを繰り広げるまでに進化した将棋ソフト。不可能を可能にしてきた開発者たちの発想と苦悩、そして迎え撃つプロ棋士の矜持と戦略。天才たちの素顔と、互いのプライドを賭けた戦いの軌跡。今日までのコンピュータ将棋に関する最前...もっと読む

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コメント

diff 読み応えあった! - 約4年前 replyretweetfavorite

prisonerofroad #将棋 #電王戦 約4年前 replyretweetfavorite

fwd_yutaro seleneのあたり泣きそうになる、なぜだか。FINALのエキシビションも、コンピュータ将棋選手権も通じるものを感じる 約4年前 replyretweetfavorite

hositsumugi1120 mtmtさんのcakes【AWAKEの悲劇】後半 4・ △2八角戦法登場 http://t.co/nrwP8uAR71 5・投了のタイミングをめぐって http://t.co/KpftgMDKgB 6・2015年コンピュータ将棋選手権 http://t.co/RLYUjELcaq 約4年前 replyretweetfavorite