第1回 「ライフ」のところで語り合おう

東日本大震災から4年が経ち、世間の福島への関心が薄くなりつつある中、『知ろうとすること。』を出版された糸井重里さんと、cakesの連載をまとめた書籍『はじめての福島学』を出版された開沼博さんの対談が実現しました。
「福島の問題を本として語るのは、とてもむずかしい」そう話す糸井さんは、開沼さんの本のなにに感心したのでしょうか。震災や福島の話が複雑になる中で、お二人がどうしても伝えなければいけないと思ったこととは。全5回にわたってお届けします。

開沼さんの「動機」に思いを馳せた

開沼博(以下、開沼) 糸井さんとは初めまして、なんですよね。

糸井重里(以下、糸井) はい、よろしくお願いします。

開沼 わたしもこの4年間で200回くらいの講演をやってきて、こういう場は慣れているつもりなんですが、ちょっと今回は勝手が違うぞ、と(笑)。  
 さっき糸井さんが控え室に入ってこられたときも、「あっ、ほんものだ。子どもの頃からずっとテレビで見てきた人だ」と思いましたから。非常に緊張しております。

糸井 ほんとですか?(笑)

開沼 はい。そんな感覚の中なので、大変恐縮なんですが今回、わたしの『はじめての福島学』について、まずは糸井さんの率直な感想をお伺いしたいのですが。

はじめての福島学
『はじめての福島学』

糸井 そうですね。ぼくも書き手のはしくれなので、本を読むときにはその人が原稿を書いているときの速度とか、姿勢みたいなものを感じながら読むことが多いんですね。それでこの本は「しゃべりことば」のかたちをとっている。まずはそこに、つまり「なぜこのスタイルだったのか?」という動機の部分に思いを馳せたんです。

開沼 動機の部分?

糸井 ええ。そこにある、開沼さんの「なんとか伝えたい」という思いと努力に、頭が下がったんですよ。つまり、福島の問題を本として語るのは、とてもむずかしいんです。読者が疑問を感じるであろう場所、疑問を感じるであろうタイミングで、その都度「こう思いますよね? でも、それってこうなんですよ」という、対話のようなやりとりを入れ込んでいかないと、とても通じる話じゃない。その思いがあって、あえてこのスタイルにしたんだろうと思ったわけです。
 これって「書きことば」ではできないんですよね。「しゃべりことば」だからこそ、読者が感じる「ちょっと待った」や「それってなあに?」の声が、あたかも聞こえているかのように書けるわけで。

開沼 なるほど。

糸井 だから、開沼さんはご自分のことばを聴いている読者の「耳」を想像しながら、あるいは「声」を想像しながら、語りかけるように書いていった。これはものすごく不自由だし、たいへんなことだけれども、それをやりきった。もう、それだけで読まなきゃいけないな、という気にさせられました。動機のところに「一発当ててやろう」ではない、「このことを知ってくれないと困るんだよ」という痛切な思いが感じられたんで。まずは、それがなによりの感想です。

開沼 ありがとうございます。ほんとうにおっしゃっていただいたとおり、「伝えなければ」がいちばんの課題でした。福島については、放射線の問題とか、産業の問題、雇用の問題など、さまざまな問題があるわけですが、そのさらに一段上の問題として「そもそもこれ、伝わってねーじゃん」という大問題があるんです。

糸井 ありますね。

開沼 伝わっていない、という事実に対して、メディアは「もうちょっとセンセーショナルな見出しが必要だったのかな」くらいに考える。学者は「受け手の理解不足、勉強不足だ」で終わってしまう。でも、たぶん問題はそこじゃないだろう、というのがこの本の出発点でした。

糸井 そうだと思います。

ヒントは実況中継シリーズの受験参考書

開沼 それで2012年~2013年くらいから、徐々にこういう本をつくりたいなあと思っていて、最初は「福島を知るための10の数字」みたいな、できるだけキャッチーでありつつもお手軽な本にしようと考えていたんです。福島のことが30分でわかる、とかですね。

糸井 はい。

開沼 結果的に、この『はじめての福島学』では冒頭に「福島を知るための25の数字」というものを掲げることになったとおり、要素も増えて「お手軽さ」は減ってしまったんですけど。イメージしたのは、受験参考書だったんですよ。

糸井 へえー、参考書。

開沼 受験参考書の実況中継シリーズという、講義をそのまま書き起こしたような本がロングセラーになっていて、これが実際読みやすいんです。最初に問題を提起して、講師が延々としゃべっていく。受験に関係ないような雑談も、理解に役立つのであれば、かまわず入れていく。福島についてもこういう形式で誰かやったほうがいいんじゃないか、と考えていたタイミングで、ちょうど糸井さんと早野龍五先生の対談形式による『知ろうとすること。』が出版されたんです。

知ろうとすること。 (新潮文庫)
知ろうとすること。 (新潮文庫)

糸井 なるほど。

開沼 だから、うれしかったですよね。福島についても、ようやくこういう本が出てきてくれたんだと。その上で、『知ろうとすること。』の、あの重要な内容が多くの人に分かりやすく伝わる対談に加えて、まだ語っておくべき部分もあると改めて思ったこともありました。そんな思いで、わたし自身は講義形式のようなスタイルの本を書いたんです。

糸井 この本の背景にあるのは、さっき開沼さんがおっしゃった「この4年間で200回くらい講演会や勉強会をやった」の経験やリアリティだと思うんです。こういう話をすると、こう返してくる人がいる。こんな数字を出すと、ここに突っ込んでくる人がいる。あるいは、遠くでごにょごにょ騒ぐ人がいる。そのへんぜんぶについて「おれは一回考えて、くぐり抜けてきたんだよ」という、経験に裏打ちされた自信がある。
 だから、文体の根っこにある「伝えたいこと」の部分が、しっかり読み取れるんですよね。本を書いているなかで、新しいことも言いたかったでしょうけど、どうしてもパターン化した問いと答えのほうが増えていったと思うんですよ。その「出し切っているもの」を、もう一度書こうと決意した本に見えたんです。

開沼 おっしゃるとおり、途中までは「もうこれは一回言ったからいいや」と思って、外していた話もあったんです。学問って、どうしても新奇性を追求してこそ評価されるものだし、それが楽しい部分でもある。だから、学者としては不本意なところでもあるんですけど、同じ話を何度も発信していかないと伝わらないことにも向き合っていく必要があることも認識したんですね。その意味で、パターン化した答えをくり返すジレンマを引き受けながら、その壁をどう突破していくのか。そこはすごく意識しました。たぶん震災があって、福島の問題に出会わなければ、学者としてこんなことは考えなかったと思います。

切れ味よりも大切なもの

糸井 開沼さんみたいに若くって、しかも学者であるというふたつの要素があると、切れ味の鋭さみたいなものが職業的な売りにもなるわけですよね。

開沼 そうですね。

糸井 一方、学問として闘っているようでありながら、大衆というものを前にした御前試合が絶えずおこなわれている、という状況もあって。

開沼 ええ。

糸井 そこではみんな「速い」とか「鋭い」だとかの、腕自慢みたいな争いをやってるわけですよ。正直ぼくは、もうその力比べには飽きてて。やっぱり人って「じゃあ、やってみろ」となったとき、実際になにができるのか、を見ていると思うんです。とくに震災以降はそうなってきた。口先での鋭い切れ味と、実際にそれが「使えるもの」なのかっていうのは、ぜんぜん違うんですよ。
 そういう時代のなかで、開沼さんはあえて「これ前にも言ったけど」とか「真っ正直すぎてアホに見えるかもしれないけど」をぜんぶ選びきっている。その本気さが表れていたんですよ。開沼さん、ご出身が福島なんですよね?

開沼 はい。

糸井 その「おれんちのことだからさ」っていう、開沼さんのリアリティが大事だったのかなあと思います。

開沼 そうですね、もしもこの本が「話題にもならない」としたら、それがいちばんよくないことなんですよ。これは金銭面の話ではなく。

糸井 うん。

開沼 書店に足を運んでいただくとわかるんですけど、いま震災や福島関連の棚を見ると、この本や『知ろうとすること。』がありますが、ほかを見ると、危機や恐怖を煽る系の本、陰謀論みたいな本が平積みになって売れ筋とされている。あとは、大御所の方による分厚くて高価な本が少し。

糸井 うん、うん。

開沼 福島について、センセーショナルに煽るか、書いた人がとりあえず偉いってことになっているかじゃないと出版市場に流通しない、出版社で企画書が通らないとかではダメなんですよ。リアリティから離れていきますから。震災から4年が経って、いろいろ変化してきたところも多いんですけど、どうしても福島がより高度化して、専門化して、むずかしい、聞きたくないものになっている。それは最近、全国の書店を回るなかで、強く実感してきたことなんです。
 だから、もしもこの本が話題にもならないまま終わってしまったら、もう誰も福島論を書けなくなるんじゃないか。出版社も二の足を踏んでしまうんじゃないのか。そんな危機感は強くありました。その意味で、ほんとうに一般の読者の方々が手に取れるように、そして「福島本」というジャンルのよき前例となれるように、このかたちに落ち着いたんです。

糸井 みんなから「そんなの知ってるよ」と言われることを恐れないで書いていますよね。「知ってるよ」の反発は、かならず出てくるんです。へたをすると、小説を読んでも「知ってるよ」と言い出す人がいるんですから。

会場 (笑)

糸井 要は、それも御前試合なんです。けっきょく「誰がいちばん頭がいいでしょうコンテスト」になっている。

開沼 そうですね。

糸井 その風潮が、ものすごくじゃまなんですね。もっとアホ同士で、本音のところで、「ライフ」のところで語り合っていかないと。

開沼 はい。


次回「逃げも隠れもしなくていい『事実』」5/19更新予定

構成:古賀史健 撮影:イースト・プレス 会場:毎日メディアカフェ


cakesの人気連載『俗流フクシマ論批判』が書籍になりました。連載で触れていない漁業・林業、第二次・第三次産業、観光業、雇用、家族、避難指示区域……などの未発表原稿も大幅加筆です。

はじめての福島学
はじめての福島学

糸井重里さんと早野龍五さんが、未来に求められる「こころのありよう」を語った『知ろうとすること。』もぜひご覧ください。

知ろうとすること。 (新潮文庫)
知ろうとすること。 (新潮文庫)

この連載について

福島を知ろうとすること。

糸井重里 /開沼博

東日本大震災から4年が経ち、世間の福島への関心が薄くなりつつある中、『知ろうとすること。』を出版された糸井重里さんと、cakesの連載をまとめた書籍『はじめての福島学』を出版された開沼博さんの対談が実現しました。 「福島の問題を本と...もっと読む

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コメント

pelukiss そういう事ね、とは思いました。わたしは、互いが存在していても困らないように居たいわけです。知らないで関わりを考えられんので知るのに手間は惜しまない。賛同はしなくてもどんな姿勢で考えているのか、考えの成り立ちはわかる。頑張った、私。 https://t.co/eeQtk3m6yH 約2年前 replyretweetfavorite

LittleRing メモ: #気になるお話 4年以上前 replyretweetfavorite

tmg660 有りそうで無かった、対談・1 「知ろうとすること」と「はじめての福島学」 福島を知ろうとすること。 糸井重里 / 開沼博 https://t.co/zMjUsHopSI 4年以上前 replyretweetfavorite

tugumisaki ライフのところ。求めてる人はたくさんいるだろな。: 4年以上前 replyretweetfavorite