「最後の世代」であり「最初の世代」でもある
重松清さんを挟んで、左から、福岡奈織さん(広島大学総合科学部4年)、新崎さくらさん(長崎大学教育学部3年)、木村元哉さん(福島大学行政政策学類2年)。『No Nukes ヒロシマ ナガサキ フクシマ』の学生編集メンバーとして、同書の企画、取材、執筆などを担当した。
重松清(以下、重松) 2年前の夏、長崎の田上富久市長は8月9日の平和宣言で、こんなふうに呼びかけました。「若い世代のみなさん、被爆者の声を聞いたことがありますか。『ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウォー、ノーモア・ヒバクシャ』と叫ぶ声を。あなた方は被爆者の声を直接聞くことができる最後の世代です」。僕も今になって、どうして親たちの世代の戦争体験をちゃんと聞いてこなかったのかと悔やんでいるのですが、長崎大学の新崎さんはこのときの市長の平和宣言をどう受け止めました?
新崎さくら(以下、新崎) 私は長崎に来たばかりの大学1年生でしたが、市長の言葉に後押しされてた気がして、とても勇気づけられました。
重松 被爆者の生の声を直接聞けるっていうことは、直接質問ができるということでもあるわけだよね。「最後の世代」というのはある意味特権的なことかもしれない。そして木村くんは、福島の未来を語れる「最初の世代」になるわけだ。
木村元哉(以下、木村) そうですね。いろいろな活動をするうちに、周囲から「福島大学、変わったね」と言われるようになりました。大学のふくしま未来学という講座の1期生として学んだり、国連防災会議で発言したりしながら、福島で学ぶことの意味をかみしめています。
重松 きっときみは、福島の未来を考える最前線にいるんだろうね。その最前線に立ってみると、木村くんたちの世代と年配者の世代とで、温度差みたいなものを感じますか?
木村 若者の方がフットワークが軽いのは間違いないんですが、どちらの世代も子どもたちの未来のためになんとかしなきゃという思いはいっしょですね。ただ、被災地域によっては毎日の生活のことで精一杯で、とても未来を考える余裕はないという方たちも大勢いるんです。
重松 広島大学の福岡さんは去年ピースボートで世界の国々をまわったとき、船内で「被爆者の孫になろうプロジェクト」というのをしましたね。
福岡奈織(以下、福岡) ピースボートには数百人の若者が乗船していましたが、被爆者の話を聞く会や、原爆についての勉強会を開いても、若者の参加はいつも少数でした。そこで立ち上げたのが「被爆者の孫になろうプロジェクト」です。若い人が被爆者の孫になったという設定で、乗船していた被爆者の方たちと食事をしたりしたあと、その時聞いた話の内容を、アートやワークショップで表現してもらいました。日本に帰ってきてからも被爆者の方と「祖父母と孫の交流」が続いていると知ったときはうれしかったし、手応えを感じました。
重松 「孫」という設定がよかったのかもしれないなあ。もし、被爆者がお父さんお母さんの世代だったら、そういう親密な関係が生まれただろうか?
福岡 いや、おそらく、生まれなかったと思います。自分のことを考えても、親には言えないけどおばあちゃんになら言える、ということがたくさんありますし。
重松 やっぱり、世代がワンクッションあったほうがいいんだね。被爆などの戦争体験は、戦争が終わったからといって、すぐに語れるものではないと思います。何も話さずに亡くなられた方もたくさんいらっしゃるはずだし、口を開いた方の中にも、「ほんとうは話したくなかった」と思われていた方もいらっしゃったのでは。でも、降り積もった雪が溶けて地面に染み込み、地下水脈に流れ込んで少し離れたところから泉になって湧き出すということがあるでしょう。それと同じように戦争や被爆から50年、60年という歳月がたって、ようやく口を開く気になった人たちもいたはずです。だから、被爆者と孫との対話というのは、とてもいいアイデアだと思った。
未来の主役たちに求められていること
重松 若者たちの中でも、原爆とか震災への関心の違いは小さくないと思うんだけど、いちばん違いが出るとこはなんだろう?
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