重松清、広島・長崎・福島の大学生と「平和」を語る

第1回「バトンをつないでいくために」

重松清さんの「ノーニュークス」の思いを知りたい。重松さんは、4月に刊行されたメッセージ&フォトブック『No Nukes ヒロシマ ナガサキ フクシマ』(講談社)に「カタカナの街」という一文を寄せ、核廃絶のバトンを握り、手渡すことの大切さを訴えています。その重松さんが広島で、同書の編集メンバーの大学生3人と刊行記念トークイベントを行いました。戦後70年のいま、重松清さんが若者に手渡したバトンとは? 全3回でお届けします。
重松清さん、堤未果さんが同書に寄稿したメッセージの特別掲載、井上ひさしさんの「原爆取材手帳」なども併せてお読みください。

表現し続ける、表現を受け取り続ける

 僕は1963年生まれです。子どものころは、街頭で傷痍軍人の姿をよく見かけたものでした。当時はまだ、日本中に戦争の傷跡が残っていたんですね。でも、原爆が落とされた広島と長崎で何があったのかについて、僕はまだよくわかっていませんでした。

 そんな僕を目覚めさせてくれたのが、中沢啓治さんが自身の被爆体験をもとに描いたマンガ『はだしのゲン』です。1975年、広島カープがセリーグ初優勝を果たしたこの年に、『はだしのゲン』の単行本が発売されました。学級文庫で見かけて、何気なく読みはじめたのですが、たちまち引き込まれました。その前年、山口の田舎町に引っ越してきた僕がはじめて耳にした山口弁と、主人公のゲンたちがしゃべる広島弁がよく似ていて、それが子ども心にとてもリアルに感じられたものでした。

 僕は『はだしのゲン』を通じて、戦争や原爆のおそろしさについてたくさんのことを知りました。似たような形で、野坂昭如さんの『火垂るの墓』を読んで空襲のおそろしさを知った人や、井伏鱒二さんの『黒い雨』で被爆の悲惨さを知った人も多いでしょう。

 本を読むことで「知る」ことができる。それはなんて素晴らしいことだろう—僕はそう思います。 ただし、「知る」と「わかる」は違います。戦争にしても原子力の問題にしても、本を読めば読むほど、知れば知るほど、さまざまな矛盾が生じてくる。相反する判断や意見がいくつもあるから、知識が増えることで、かえってわかりにくくなることもある。「自分に都合のいいことだけ知っておけばいいや。その方が楽だ」と考える人も出てくるかもしれません。でも、わからない部分を切り捨て、自分に都合のいい部分だけを取り上げて、ものごとをわかったような気になるのには反対です。

 それはとてもこわいことだと思います。なぜなら、世の中はさまざまな考え方が複雑に絡み合ってできているからです。ひとつの意見だけが絶対的に正しいわけではないし、その日その瞬間で考え方が変わることだってありえます。多くの矛盾を抱えて、もやもやしながら、それに耐えて生きていくのが人間です。

 そのことを教えてくれるのが文学だったり、映画や演劇だったりするのではありませんか。だからこそ、僕たちは戦争や原爆や原発事故について、考え続け、表現し続けることが必要だし、そうした表現を受け取り続けることが大切なのです。

 こんなことを言うと、「戦争を体験してないお前たちに何がわかるか」と反発する方がいらっしゃるかもしれません。でも、戦争を知らない世代が、戦争をテーマにして作品をつくってもいいのです。人が人を殺すこと、人間どうしが憎しみ合うことは、人間の本質にかかわることで、世代を越えた永遠のテーマなのですから。もちろん、間違ったことを書いてしまう危険性もあるし、批判されることだってあるでしょう。それでも、僕たちは戦争や原爆や原発事故について考え続け、書き続けないといけない。さもないと、次の世代に渡すバトンが途絶えてしまうおそれがあるからです。

想像力を喚起する2冊の本

 僕は今日、戦争に関する本を2冊持ってきました。1冊目は『パンプキン!』というタイトルの児童書です。

 パンプキンというのは、アメリカ軍が原爆投下の練習のため日本中に落とした49発の「模擬原爆」の呼び名で、全体で400人以上の死者、1200名以上の負傷者が出ました。核弾頭は積んでいませんでしたが、長崎に投下された原爆と同サイズ同重量で、形がカボチャに似ていたので「パンプキン爆弾」と呼ばれました。令丈ヒロ子さんが書いた小説『パンプキン! 』は、夏休みの自由研究でそのことを調べる小学生の物語です。

 そのパンプキン爆弾が最後に投下されたのは愛知県の春日井市と豊田市で、1945年8月14日のことでした。おかしいと思いませんか? 長崎に2発目の原爆が投下されたのは8月9日ですから、アメリカは3発目の原爆投下を考えていたのかもしれない。そんなぞっとするような情報も、この児童書から知ることができます。

 パンプキン爆弾の存在がくわしくわかるのには、投下された街によっては半世紀近くの歳月を要しました。今後も新たな事実が明らかになる可能性は否定できません。そうなると、戦争を語る上で戦争体験のあるなしは、あまり意味がなくなる気がします。戦争を知っている世代が知らなかったことを、戦争を知らない世代の人たちが知ることになるのですから。戦争に関する新たな事実を知ったとき、人々が何を感じ、どう行動するかは、世代の問題ではなく、その人間の感受性に関わることかもしれません。

 僕が紹介するもう1冊の本は、長崎出身の俳人・故松尾あつゆきさんの『原爆句抄』です。

 松尾さんは長崎の原爆で奥さんと4人の子どものうち3人を亡くし、1人生き残った娘さんも瀕死の重傷を負うという大変な経験をされました。200句にも及ぶ自由律俳句の中から、いくつかの作品を紹介します。

「ほのお、兄をなかによりそうて火になる」

 お兄さんを真ん中にして寄り添う形で安置された3人の子どもたちが、火葬の炎に包まれる光景が目に浮かんできます。

「あわれ七ケ月のいのちの、はなびらのような骨かな」

「まくらもと子を骨にしてあわれちちがはる」

 3人の子どもさんが亡くなったとき、松尾さんの奥様は重傷を負いながらも、まだ生きておられた。一番下のお子さんは生後七ヵ月で亡くなったので、そのとき彼女はまだ母乳が出たのです。しかし、その奥様もまもなく息を引き取ってしまいました。

 子どもに先立たれた親の悲しみ、愛する者すべてを失う苦しみは、世代を超えて人の心に伝わります。松尾さんの子どもたちはなかよしだったんだなとか、子どもたちは両親に愛されていたんだな、だけどその幸福は一瞬で終わってしまったんだなと、僕の想像力は広がり、無念が胸の奥深くに染みていきます。

 想像力を与えてくえる、考えるきっかけを与えてくれる、それも「本」の持つ大きな力のひとつです。

 今回のこの本、『No Nukes ヒロシマ ナガサキ フクシマ』の制作には、僕の兄貴分にあたる2人のプロの編集者が関わっています。1人はあの『五体不満足』をつくった編集者です。『五体不満足』は「障害がある人=かわいそう」という単純な想像力では大切な多くのことを見逃してしまう、ということを教えてくれた本でした。

 もう1人の編集者は、ミリオンセラーになった『日本国憲法』や矢沢永吉の『成りあがり』をつくりました。高校生だった僕は山口の田舎町で『成りあがり』に出会い、それこそボロボロになるまで読みました。何度も読んで東京に行きたいって思ったし、自分も何かやるんだって思いました。この『No Nukes』も、多くの人にボロボロになるまで読まれる本になってほしいと願います。

『成りあがり』といえば、当時、発売された矢沢永吉写真集の最後のページにはこう書かれていました。

 ここから先の主役はお前だ—。

『No Nukes』もまた、この本を手に取った人たちに「ここから先の主役はお前だ」と呼びかけている。そんな本だと思います。


次回「知れば知るほどわからなくなる」、5/26更新予定

重松清(しげまつ・きよし)

1963年岡山県生まれ。早稲田大学教育学部卒業。おもな作品に『ナイフ』(坪田譲治文学賞)、『エイジ』(山本周五郎賞)、『ビタミンF』(直木賞)、『十字架』(吉川英治文学賞)、『ゼツメツ少年』(毎日出版文化賞)など。広島を描いた作品に『赤ヘル1975』が、東日本大震災を描いた作品に『希望の地図 3・11から始まる物語』がある。長崎では、原爆投下で妻子4人を失った俳人・松尾あつゆきの取材をおこなった。

イベント撮影 荒木則行


重松清さん、坂本龍一さん、吉永小百合さんらの心のこもったメッセージと美しい写真が1冊の本になりました。本書には、広島大学・長崎大学・福島大学の現役大学生7人が編集スタッフとして参加しています。知る。考える。そして、伝える—。被爆者、被災者、作家、学者、写真家、俳優、音楽家、アーティスト、学生……みんなの思いが1冊に。

メッセージ&フォトブック No Nukes ヒロシマ ナガサキ フクシマ
『No Nukes ヒロシマ ナガサキ フクシマ』

この連載について

重松清、広島・長崎・福島の大学生と「平和」を語る

『No Nukes ヒロシマ ナガサキ フクシマ』編集部

重松清さんの「ノーニュークス」の思いを知りたい。重松さんは、4月に刊行されたメッセージ&フォトブック『No Nukes ヒロシマ ナガサキ フクシマ』(講談社)に「カタカナの街」という一文を寄せ、核廃絶のバトンを握り、手渡すことの大切...もっと読む

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コメント

A_Okihasam ヒロシマ、ナガサキ、フクシマというより、スリーマイル、チェルノブイリ、フクシマじゃないか? https://t.co/kZN2HERW6t 4年以上前 replyretweetfavorite

asanohikari1917 知る と わかる はちがう わかった気になってわかってないことはまだまだ沢山 あるんだと思います http://t.co/0JfCz1ByF1 4年以上前 replyretweetfavorite

RieDorji 広島での大学時代岡山で育ったにも関わらず原爆に対する意識が広島の人とは余りにも違い過ぎて落ち込んだことがあります。 4年以上前 replyretweetfavorite