第四章 再会(3)

洋子はイラク取材中にテロに遭い、九死に一生を得てパリに戻った。東京で心配していた蒔野は洋子からの長文のメールでその無事を知る。洋子と蒔野はパリで再会を約束する。蒔野は師である祖父江と会話する...。

 前篇・後篇で、長い話ができますね。一日ずつ、それぞれの人生について話しましょう(笑)。

 でも本当に、マドリードのフェスティヴァルの前だし、無理なさらないでくださいね。直前にキャンセルでも、わたしは平気ですので。」

 という返事が届いた。

 蒔野はその返事を、二度三度と読み返した。そして、約束を取りつけたことに安堵はしたものの、少し頭を冷やすべきかもしれないとも感じた。

 実際、洋子の心配通り、今の調子で、マドリードのフェスティヴァル前に、そんな余裕があるのだろうかという懸念もあった。プログラムには、マヌエル・バルエコやデヴィッド・ラッセルといった世界中の大家が名を連ねていて、インターネットでライヴ映像を配信するという試みも注目を集めていた。

 音楽家として、自分は今、難しい時期に差し掛かっていると蒔野は感じていたが、環境の変化が、そこに更に追い打ちを掛けていた。

 蒔野が《この素晴らしき世界》のレコーディングをキャンセルしたという噂は、どこからともなく広まっていて、彼は、四月末までに参加した複数の国内の共演コンサートで、同業者と顔を合わせる度に、その真相を尋ねられた。まったくの個人的な問題だと思っていた彼は、それに面喰らったが、理由は後でわかった。

 蒔野が十代の頃に長く師事した祖父江誠一も、「なぜ?」と理由を訊いた一人だった。

 祖父江は、戦前生まれの、セゴビアに直接指導を受けたような世代のギタリストで、日本のギター界を技術的に「開国」させた功労者の一人だった。後進の指導にも熱心で、国内外に多くの弟子を持ち、蒔野もこの人だけには「頭が上がらない」と常々公言していた。

 清廉高潔な人物で、クリスチャンなのに、祖父江の禁欲的なバッハのリュート組曲のレコードは、「禅の精神によるバッハ」とヨーロッパで評されていた。礼儀を重んじ、弟子が独立すると、以後は必ず敬語で話すようになるというのは有名で、それは、弟子の世代が孫ほどになった今でも変わらなかった。

 平生、蒔野は、業界政治とはまるで無縁だが、数年前に、日本ギタリスト連盟の人事を巡って、祖父江が理不尽な非難を浴びていた時には、そのいざこざに首を突っ込んで、自らも大分、火の粉を浴びた。無論、祖父江を擁護するためである。

 業界とは無関係のヒマな文化人まで参加して、「旧態依然」だの「権威主義」だのと一頻り騒いで鎮静化したが、そういう厄介事にいかにも無関心なはずの蒔野が出てきた、というのは、ちょっとした話題になった。

 蒔野は、新聞社の取材を受け、元々はつまらない誤解に始まった騒動の説明を、まるで彼の演奏のように明晰にした後に、幾らか情緒的にこうコメントを残している。

「僕は、大家が大家に相応しい扱いを受けるっていうのは、大事だと思うんです。権威主義とか何とか言ってる人たちは、祖父江先生の芸術も功績も何も知らないんでしょう。ギターに限らず、『あの人は大切にしなきゃいけない』みたいな尊敬がある世界って美しいですよ。ないと、悲惨じゃないですか。—別に祖父江先生だから言ってるんじゃない。僕が出てきたせいで、却ってややこしくなったかもしれないですけどね。」

 父に連れられて参加した講習会で、まだ小学生だった蒔野の才能に驚嘆し、「天才少年」と呼んで、以後、パリ国際ギター・コンクールで優勝するまで面倒を看たのが祖父江だった。岡山の実家から、東京まで独り新幹線でレッスンに通うと、祖父江はよく自宅に泊め、妻の手料理でもてなしてくれた。一人っ子の蒔野は、祖父江の二人の子供と弟や妹のようによく遊んだ。温厚だが、才能の見極めには冷徹な祖父江が、「秘蔵っ子」として、蒔野にどれほど手を掛けたかは、業界では有名な話だった。

 蒔野はしかし、十代の頃には、あとで人が言うほど、自分が特別にかわいがられていたとは思っていなかった。とにかく、弟子の数が多かったし、演奏家として祖父江も脂が乗っていた時期で、多忙を極めていた。漠然と、本場ヨーロッパの弟子たちは、自分とは比較にならないくらい優秀なのだろうとも想像していた。実際、あまり褒められた記憶もなく、たまに褒められると、いよいよ才能を見限られて、先生も優しくなったんだろうかと却って不安になったりした。

 ギタリストとして世に出て、この世界で生きていくようになってから、蒔野は祖父江が、いつもどんなに、自分の話ばかりを人にしていたかを知って驚いた。それは、日本国内だけでなく、海外でもそうだった。

「あの頃、祖父江先生、蒔野さんを教えてると嫌になってくるって、愚痴ってましたよ。どうしてあんな子供に、こっちが何十年もやってきて、やっと気づいたようなことがわかるのかなって。」

 そういう類の話を聞かされる度に、蒔野は笑って手を振った。謙遜だけでなく、内心、そんなことはなかったはずだとも思っていた。そして、当時を振り返って、本当のところ、先生は何を思って指導していたのだろうかとその胸中を想像した。

 祖父江も丁度、今の自分と同じ四十くらいだった。学外に弟子を取り始めたのもその頃からで、昔は当たり前のように思っていたが、自分がその年齢になってみると、少しふしぎな感じもした。あんなに音楽活動が充実していた時期に、なぜ後進の指導などに興味を持てたのか。—彼は、祖父江の目を通して、少年時代の自分の姿を思い描き、その音楽を聴こうとした。今、自分の目の前に、「天才少年」が一人現れたら、どうだろう? その少年は、殊勝に指導を仰ぎながら、時々、抑えきれずに自分の方が先生より上手なんじゃないかという表情を浮かべる。—許し難い自惚れ。……その実、さほどの才能でもなく、或いは徒労に終わるのかもしれないと感じながら、それでも彼に時間を割き続けるというのは、どういう心境なのだろうか? 経済的な事情はあったのかもしれない。それだけでなく、先生もあの頃、音楽家として苦しんでいたのだろうか。

 蒔野は、久しぶりに恩師と再会して、フェルナンド・ソルの幻想曲作品54で共演したが、祖父江は、演奏については良いとも悪いとも言わなかった。そして、演奏会後の楽屋で、それとなく《この素晴らしき世界》のレコーディング中止の話を切り出された。

「あのレコーディングですか? いやぁ、あれは、どぉーしても続けられなくなってしまって。」

 苦笑して頭を掻く蒔野に、祖父江は、

「珍しいですね、あなたでもそういうことがあるんですか?」

 と、昔と変わらない、静かな重々しい口調で、含蓄のある皮肉を言った。そして、

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マチネの終わりに

平野啓一郎

毎日新聞で3月1日より連載を開始した芥川賞作家・平野啓一郎氏の新連載『マチネの終わりに』が、cakesでもスタート! 『空白を満たしなさい』以来、三年ぶりの長篇となる本作のテーマは「恋愛」。文明と文化、喧噪と静寂、生と死、更には40代...もっと読む

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corkagency 洋子から届いた長い長いメールは、蒔野が待ち望んでいたものであり、また彼女の魅力を再確認するものだった。パリでまた会いたいという文章を読み蒔野は…… https://t.co/xQcs0r1OE0 #マチネの終わりに 約5年前 replyretweetfavorite