上野千鶴子「『はじめての福島学』ってタイトルからしてひっかかるのよね」

かつて開沼博さんが学生時代に通っていたゼミの教授で、今も師として尊敬している社会学者の上野千鶴子さん。師弟のような間柄のお二人が、cakesの人気連載『俗流フクシマ論批判』をもとに書籍化した『はじめての福島学』について語り合いました。本気の「指導教員モード」に突入した上野さんは、ずばり本のタイトルから突っ込みました。さて、いったい「はじめての福島学」のなにがマズイのでしょうか。

開沼博(以下、開沼) 開沼と申します。よろしくお願い致します。こちらはゲストでお越しいただきました……

上野千鶴子(以下、上野) 上野千鶴子でございます。どうぞよろしくお願いします。

開沼 僕は2004年から、上野さんが2011年に東大をやめられるまで上野千鶴子ゼミに通ってまして、いろいろ勉強させていただきました。

上野 専攻が違うから、私は、この人の指導教員じゃないのよ。

開沼 そうですね。

上野 だから製造物責任を問わないでね(笑)。

開沼 2004年、大学2年生の時に勝手に通い始めて、勝手に原発の論文を書きました。2006年からはじめたその研究は震災後の2011年6月に『「フクシマ」論』(青土社)として刊行しました。今日はゼミ生のころからどれだけ成長できたのかという話にもなるのかなと思っています。

上野 ということは、今日は私は指導教員モードになっていいわけ(笑)?

開沼 あ、はい。そこはぜひ本気で(笑)。

『はじめての―』というタイトルでいいのか

上野 開沼さん、この本のタイトル『はじめての福島学』って、いわば「福島学への招待」ですよね?

開沼 はい。

上野 ということは、これからたくさんの人に参入してもらうために、この分野はこんなに深くて魅力的だってアピールがないとまずいでしょう。
 だけど、これで社会学者のあなたが、福島学の看板を名乗ってもらっちゃまずいかもしれない。

開沼 なぜでしょう?

上野 本の中に載っているのが全部統計データだから。それも全部ありもんのデータだからです。しかも県の統計が主。これでは「福島学」ではなく、「福島県学」になってしまう。被災自治体の面積は福島県全体の8%、人口はもっと少ないでしょう。それが県下全体のデータの平均値で薄められてしまいます。それに開沼さん自身はもう被災地にずっぽり入ってるから、いろんな事例とか質的なデータとかいっぱい知ってるはずでしょ。
 それが今回の本で、全然出てこないし、生かされてない。そこを封じ手にしてるわけよね? このデータは次の本のためにとっておこう、なんていうせこい手は私は感心しない。
 とりわけ「はじめての...」という招待なんだから、魅力的に見せなくちゃ。タイトルを見たときの期待に肩すかしを食らわされた感じです。

開沼 その通り。仰ることは全て織り込み済みですね。『はじめての福島学』の「はじめに」の中にも書いていますが、意図的に封じ手にしています。「福島学の看板を名乗ってもらっちゃまずい」という話と「全部ありもんの統計データを使うのはどうか」というご指摘がありましたね。
 一つ目、「福島学の看板を名乗ってもらっちゃまずい」ですが、この答えは明確。「看板を名乗るつもりはないし、まずくて結構」。これまでの福島に関する社会学分野の研究は、被災者と避難、賠償の関係などを対象としたものを中心に蓄積されて来ました。それはそれでいいんですが、もっと多様なテーマを取り上げていくべきなんじゃないかと。端的に、社会学分野からの福島の問題についてのアウトプットに不満がありました。
 そして仰るとおり「社会学の看板」のもとでやるべきことの範囲を超えているとも思うようになっていました。なので、タイトルは『福島の社会学』でも、WEBメディアcakesの連載タイトルであった『俗流フクシマ論批判』のままでもいいところを、あえて『はじめての福島学』というタイトルにしました。

上野 最初はWEBの連載で、『俗流フクシマ論批判』ってタイトルだったんだ(笑)。

開沼 そうです。

上野 『俗流フクシマ論批判』ってちょっと品の悪いタイトルですけど、まさにそのものズバリの内容ですから、そちらのほうがよくわかる。

開沼 そうですね。そして、「全部ありもんの統計データを使うのはどうか」という指摘についてです。これも明確ですね。「誰でもアクセスできるようになっているオープンデータを用いて説明することが重要」ということです。福島の問題を扱うには誰もが納得する量的データをもちいて、そこに起こっていることを記述する必要がある。オープンな統計データを徹底して使う方法しかないと思ったからです。

上野 どうしてですか?

開沼 僕はこれまで統計などを使う量的な研究ではなく、史料やインタビュー調査を軸にした質的な研究を中心にやってきました。他にも、学術的な仕事とは別にノンフィクション・ルポを書いたりする仕事もやっていますが、これも質的研究に近い。地域の現場ではこういう声がありますよ、こういう構造がありますよという紹介をしてきた。
 しかし質的研究だと、「それ、あなたが都合よく、切り出したいところ切り出しただけなんじゃないの?」「結局それ、全体から見ればごくわずかな声にすぎないでしょう? 100のうちの2,3に過ぎない。残りの100のうちの97,8はどうなってんの?」という反論が出てきてしまい、考え方が違う人、端的に言えば「福島は危険で、とんでもないことになっているに違いない」という確証バイアスがある人は検討しようとしない。
※確証バイアス:先入観に基づいて他人や物事を見て、自論に合う情報だけをうけいれようとする現象

上野 ええ。

開沼 福島に根づいた活動を続ける多くの人が、そういう頑固な声にさらされ続けて、行き詰まりそうになっている状況もある。私自身この4年間、全国各地で200回ほど講演をして来ましたがそういう議論の存在を感じ続けてもきました。いくら厳密に調査をし、そのプロセスを提示しても確証バイアスが強すぎる人には響かないし、彼らの声は大きいから科学的な議論よりも情緒的な議論が先行する。なので、どうやって社会を記述すればいいのかなと迷って来ていました。なんらかの工夫が必要だと。
 そこで「福島への誤解と、誤解がはびこっている状況そのもの」を仮想敵とすることにしました。つまり福島に関する俗説、「福島の農作物は毒」「福島になんか住めない。住むことを肯定するのは人殺し」「福島に家族旅行にいくようなヤツは子どもを障がい者やガンにして傷つけようとしている」というような福島をめぐる極端なうわさ自体、そしてそれらがインターネット上で飛び交う現実です。

上野 それで?

開沼 Googleを使っている人はわかると思いますが、Google検索にはサジェスト機能と呼ばれる、「あるキーワードを入力すると、それと同時に検索されているキーワードを勝手に提示してくれる機能」があります。例えば「東京」と入力すると「東京 天気」「東京 イベント」「東京 観光」といった「同時に検索されているキーワード」が提示されるわけです。

上野 はい、はい。

開沼 それで福島に関連するキーワードを入力すると「福島ヘイト」の実態が見えてきます。例えば、「福島 農家」と検索するとどんな「同時に検索されているキーワード」が出てくるのか。「福島 農家 死ね」「福島 農家 人殺し」「福島 農家 テロ」といった普通の人ならちょっとドキッとするような言葉が出てくるんですね。他にも「福島 子ども」とか「福島 食べ物」とかで検索しても同じようなことになっている。

上野 それはすごいわね。

開沼 ヘイトスピーチと言わざるをえないような差別的な発言がたくさん出てくる。こういうのはマスメディアでは流れません。知らない人にとっては「へー、そうなんだ」という話でしかないかもしれない。ただ、そのような話は確実に存在し、現に福島に生きる少なからぬ人々を困惑させ、苦しめ続けている。
 その中で、これにどう対抗していくか。一つは、誰もが検証可能なように、行政などによってオープンになっていて入手しやすい量的なデータ—ありもののデータですね—を使いながら、認識が違っても相互に確認し合える事実関係を見せ、その中で冷静な議論をし、俗説、誤解、デマに対抗するしかない。それ故に、ご指摘のような方法論を取りました。

原発被災地「フクシマ」のシンボル性

上野 それでもタイトルがすごく気になるのよね。「はじめての」がひらがな、「福島学」が漢字。これを「フクシマ」とカタカナにしなかったのはなぜ?

開沼 これは重要なポイントです。私の単著の中で福島に関する本は2冊あって、このタイトルは「フクシマ」でした。2011年6月刊行の「『フクシマ』論原子力ムラはなぜ生まれたのか」、2012年9月刊行の「フクシマの正義『日本の変わらなさ』との闘い」ですね。

「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか
「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか

フクシマの正義 「日本の変わらなさ」との闘い
フクシマの正義 「日本の変わらなさ」との闘い

上野 そう。その二冊はカタカナなのね。

開沼 この二冊に共通するのは、東日本大震災と福島第一原発事故によって時間・空間を越えてフワフワと漂うこととなった「イメージ上のフクシマ」を扱う上で、おさえてもらいたいことを教科書的に提示することを目的としたことです。ここにおける、カタカナの「フクシマ」と漢字の「福島」の違いは、「イメージ上のフクシマ」と「現実の福島」との差異です。この「イメージ上のフクシマ」と「現実の福島」との乖離は日に日に大きくなっている。その溝をいかに埋めるのかを意識してのことです

上野 この『はじめての福島学』は「現実の福島」を指していたと。

開沼 はい、ひたすら「現実の福島」に迫りまくることが目的です。現実の部分については漢字で「福島」と書いて、まっすぐにそれを見ていくと言う意味合いでつけました。

上野 私の理解は違うんだよね。漢字の「福島」とカタカナの「フクシマ」の違いは単なるイメージの問題じゃない。ヒロシマ、ナガサキをカタカナで書くときは原爆被災地だというシンボル性があるように、フクシマってカタカナで書くときには、日本で初めての大規模原発被災地としてのシンボル性がそこにあるはず。この本のタイトルも、WEB連載だったときの『俗流フクシマ論批判』の方が良かったんじゃないのかな?

開沼 仰ることもわかります。その上で、イメージ上のフクシマ、シンボル化したもの、それらは現実の福島の実態とかなり乖離している。求められる支援のあり方や議論、人々が持つ意識という意味でも。なので最初の連載タイトルは『俗流フクシマ論批判』というタイトルにしたんです。
 つまり、シンボル的なフクシマと、そうじゃない現実の福島の間のギャップを埋めていく作業をしました。

ネットで誰でも議論できる時代になった

開沼 先ほど言った「福島 農家」と検索するとセットで出てくるのが、「テロ」、「死ね」とかっていう、ドキッとするような言葉だという話。これはいつぐらいからこうなっていたのかは検証できてないんですが、少なくとも4年経った今現在もまさにそうなんです。

上野 そうなの。

開沼 みなさん、いま検索して見てもらえば実際そうなっているから確認してみてください。他にも「福島 子ども」 で「がん」とか。マスメディアには出ないけれども、blog、SNSなどオンラインの個人が情報発信できるメディアであったり、一部の過激な脱原発・脱被曝運動の集会だったり、口コミであったりを中心にして、いい加減な情報、認識をもとにした過激な俗説が生まれ再生産され続けている。
 それを作っているものはなんなのか、ちゃんと正していくにはどういうことをする必要があるのか、派手な噂の中で生み出される誤解の後ろに隠れてしまった本当の問題はどこにあるのか、という議論を『俗流フクシマ論批判』でしたつもりです。それに加筆したのが今回の『はじめての福島学』なんですよ。

上野 ということは相当質の悪いオーディエンスを相手にしてたのね(笑)。

開沼 そうとも言えるかもしれません(苦笑)。もちろん研究者・行政官・政治家・地元企業経営者などにも向けて書いているし、実際いいリアクションも頂いてますがね。

上野 私はやっぱり、物を書くときには一番最良の読者を想定して、それに向けて書くべきだという信念を持ってる。タチの悪い読者なんて相手にしなくていいと思う。

開沼 どうでしょうね。そこは認識が明確に違うかもしれない。

上野 そもそも、web連載から始まったんだから、当然web上でいろんなレスポンスが来るんですよね。そういうオーディエンスを相手にしないわけにいかない時代の著述なのか、ご苦労さまね、ほんとに(笑)。

開沼 まあ昔で言えば、「アグネス論争」みたいなマスメディアを舞台にした「論争」が定期的に起こって、それが世間の議論を先導していったわけですよね。新聞なり雑誌なりで有名な批評家や学者があるテーマについて立場の違いを鮮明にしながら論争するみたいな。この福島の問題も、そういう高度な論者同士の議論で決着をつけられたならどれだけ楽だったかと思いますよ。
 たぶん今はそうじゃない。メディアと世論の関係性・構造が変わっているんですよね。仰るとおり、質の悪いオーディエンスが生み出す議論が大量に流通して、時にはマスメディア以上にそれが世論を揺るがす可能性があることを前提に議論しなければならない。
 80年代から数々の論争に参戦してきた上野さんが経験した、そういう有名な言論人同士が戦う枠組みじゃない。終わりなきテロ・ゲリラ戦です。

上野 まあ、恐ろしい。

開沼 ツイッター、2ちゃんねらーとかからの相手する必要のないただの誹謗中傷もきますが、中にはこれはこれで確かな批判だなっていうのもくる。いや、仰るとおり「質の悪いオーディエンス」を相手にしすぎるのは時間の無駄なんで極力やらないですよ。インターネット上では「うんこの投げ合い」なんて言われたりする現象ですが、偉い人がお互いに論争しているつもりが、いつのまにかただの小学生の喧嘩みたいになって、議論している人全員ぐちゃぐちゃな汚いやつになって見るも無残な状態になっているみたいな状況が……。

上野 この本にも、「うんこの投げ合い」っぽい書き方もありますね。

開沼 まあ、ありますね(苦笑)。それは認めましょう。


次回、開沼「これこそ上野千鶴子ゼミの一番の教え」は、6/17更新予定

構成:日置恵 協力:リブロ池袋


cakesの人気連載『俗流フクシマ論批判』が書籍になりました。連載で触れていない漁業・林業、第二次・第三次産業、観光業、雇用、家族、避難指示区域……などの未発表原稿も大幅加筆です。

はじめての福島学
はじめての福島学


この連載について

容赦なき師弟対談—上野千鶴子×開沼博

上野千鶴子 /開沼博

かつて開沼博さんが学生時代に通っていたゼミの教授で、今も師として尊敬している社会学者の上野千鶴子さん。師弟のような間柄のお二人が、cakesの人気連載『俗流フクシマ論批判』をもとに書籍化した『はじめての福島学』について語り合いました。

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morimori_naha ああ、これは聞きに行ったな。→https://t.co/2ClAdNpOgn 6ヶ月前 replyretweetfavorite

okamotonobuo #クロス 開沼さんは、こんな人間らしい→ @ueno_wan /開沼博 @kainumahiroshi https://t.co/bCyW3eMZq8 https://t.co/5HkSLpRjkV 7ヶ月前 replyretweetfavorite

ora109pon 「『はじめての福島学』ってタイトルからしてひっかかるのよね」 https://t.co/ms1o1ltwwf 8ヶ月前 replyretweetfavorite

ugetuan |容赦なき師弟対談――上野千鶴子×開沼博|上野千鶴子/開沼博|cakes(ケイクス) https://t.co/dq3kWDWGvS 約1年前 replyretweetfavorite