母に捧げる本を書きたかった
『寂しさの力』を書くにあたって、まず誰に読んでもらう本なのかを考えました。いつものアイドルやサブカルチャーについて書いた本と毛並みが違うので、確実に読者層は違うだろうと。そうやってあれこれ考えてたら、ふと母の顔が浮かんできました。
僕の母は、尋常小学校*1出で、学もないし、本を読むようなタイプではないんですけど、僕が書いた本や雑誌、新聞とかを読んでいると言っていました。アイドルとかサブカルチャーとかについて書いたばかりなので、母にとっては意味不明なものだったと思いますが。
*1 明治維新から第二次世界大戦前までの時代に設置された初等教育機関。
それでも一生懸命読もうとしてる母のことを考えた時に、今まで親孝行してこなかったので、一度くらいは母に捧げる本を書いてもいいんじゃないかと思ったんです。それで、この本は母に捧げる本だ、という思いで書き始めました。
それから一年がたちました。やっとこの本の1章を書き終え、2章の途中の頃に、姉から電話がかかってきて、母が体調を崩して寝込んでいると伝えられました。でも、母はすごい元気な人で、病気とか全然しない人だったから大丈夫だろう、くらいに考えていました。
そうしたら、また数日後に電話がかかってきて、今度は入院したと。肺炎で非常に弱ってて、手術もできないくらいになってると言われました。そして母は、うわ言のように僕の名前を呼んでるっていうんです。そこまで悪いとは思わなかったので、翌日慌てて帰って、今書いてる本のことを伝えようと書きかけの原稿を持って病院に行きました。
病室に行くと、鼻に酸素吸入の管を通して、腕には点滴の針をさした母がいました。そんな衰弱した母の手を握って、原稿を母に見せながら「これは僕が母ちゃんのために書いてるんだから、書き終わるまで死んじゃダメだよ」というようなことを伝えました。
母は、原稿を読んでいる時も「さみしいさみしい」と言うんですけど、僕は「さみしいからいいんだ。さみしいから会いに来ようって思えるから、また会いに来るから」と言って東京に戻ったんです。
そして、その翌々日に母は亡くなりました。
「悲しさ」が「さみしさ」に変わった瞬間
この本を捧げる相手を途中で失い、書くモチベーションが無くなって原稿は全く進みませんでした。
新潮社の石井さんは、お母さんの供養のためにも書かなきゃって言ってくれて、僕もそう思ってがんばったんですけど、やっぱり書けなかった。そんな状態がしばらく続いて、結局立て直すまでにものすごい時間がかかりました。
立て直したきっかけは、2013年に放送していたNHKの連続テレビ小説『あまちゃん』でした。
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