テクノロジーもエンターテイメントも「さみしさ」が生んだ
最初に簡単に自己紹介をしますと、僕は1982年にライターとして活動を始めました。それから30年間、週刊誌や新聞に書いて、エッセイに小説と、本当にたくさん書いてきました。ちなみに名前は、同年にデビューした中森明菜からもらって、「中森明夫」と。
主にアイドルやサブカルチャーについて書いていて、最近だと『AKB白熱論争』とか『午前32時の能年玲奈』という本を書いてます。そんな経歴なので、次はももいろクローバーZあたりだろうとか言われたりしていたんですが、今回『寂しさの力』という本を出して、本当に色んな人に意外がられました。
この本には、人間のもっとも強い力は「さみしさの力」だ、ということを書いています。スティーブ・ジョブズや坂本龍馬、酒井法子など、さみしさを力にした有名人を紹介していくんですが、僕自身のさみしさの話も書きました。
この本を書くにあたってさみしさを自分なりに考えて分かったのは、かなり奥深い言葉だなということです。
さみしいという言葉はみなさん知ってると思いますし、さみしいと感じない人はいないじゃないかってくらい当たり前の感情ですよね。けれど、人は案外さみしいって言わないんです。僕自身も、今日は連発してますが、普段の会話で「さみしい」なんて言うことはないです。
なぜ言わないんだろう?と考えてみると、まず、「自分はさみしい人間だ」と言うのは、とても惨めで哀れだということ。そもそも、いい大人が「さみしい」なんてみっともない。言われた方も、「さみしいって言われても……」という困惑してしまう。これは僕みたいな50代の中年だから、ということもなくて、若い世代もそうなんです。
数年前に大学の先生をしたことがあるですが、学生と話していると、学食で一人でご飯を食べられないと言っていました。その理由を聞いたら、「ひとりぼっちだと思われるじゃないですか」と。自分が友だちのいない孤独な人間だと見られたくない、実際にさみしいかどうかじゃなくて、さみしいやつだって見られることが嫌なんだと言っていました。それくらいさみしさに過剰反応してるようでした。
また、僕が長年一緒に遊びまわった同年代の編集者がいるんですけど、突然結婚するって言い出したんですね。「さみしかったから」と言って結婚したんですが、結婚後に話を聞くと、「2倍さみしくなった」と言っていました。僕は結婚したことがないので分かりませんが、好きな人と結婚して、家族がいて、さみしさと対極かと思ったら、一人でいた時よりも2倍さみしいなんてことがある。
つまりは、若かろうが、老人だろうが、一人暮らしだろうが、家族だろうが、みんなそれぞれのさみしさを感じてるんです。
さらにもうひとつ、この本で言いたかったことは、さみしさは解消できないだろうということ。
もちろん、さみしさというのは誰も味わいたくないものなので、なんとか解消しようとするんですけど、基本的にさみしさは解消できない。解消できないどころか、人間の本質はさみしさにあるのではないかと考えています。
さみしいからこそ人とつながろうと思う、そういう欲求があったからこそ、電話やインターネットやラジオができたんじゃないでしょうか。もしさみしくなかったら、人とコミュニケーションしようとは思わないかもしれません。エンターテイメントに関してもそうで、自分がさみしいから、何か賑やかなものを求めるのではないだろうか。
だから、結局人間が行ういろいろなことって、さみしさの力が根底にあるんじゃないかと思ったんです。強烈なさみしさを抱えた偉人、有名人のエピソードを並べて、それを認めようというのが、この本の一番の主旨です。
執筆のきっかけは見知らぬ人からのリプライ
そもそもの話なんですが、この本は僕が企画して、ぜひ出したいと売り込んだ本ではないんですね。4年前にTwitterで僕がツイートに対してリプライが飛んできて、執筆を依頼されたんです。
きっかけは4年前、2011年6月に僕がTwitterでさみしさについて書いたツイートでした。
〈人間のもっとも強い力は何だろう? 寂しさの力じゃないか〉
〈人はなぜ寂しいのか? そりゃ生まれてきたからでしょう。生きるとは、寂しさを肯定することですね。寂しい人ほど、より生きている気がする〉
そんな僕には似合わないシリアスなツイートをしたら、会ったこともない人から「さみしさについての本を書いてください」とリプライが来ました。誰よ?と思ってその人のプロフィールを見たら、石井さんという新潮社の常務の方だったんです。直接お会いしたことはなかったですが、名前だけは知っていました。
石井さんというのは、440万部の大ベストセラーになった養老孟司先生の『バカの壁』という本のタイトルをつけた方で、言ってしまえば天才です。そんな人に本を書いてくれと言われたら、断るなんて考えられませんでした。
大震災で気付いた母のさみしさ
そもそもなぜさみしさについてツイートしたかという経緯を話しますと、そのツイートをした2011年は、東日本大震災が起きた年でした。震災の時、僕は特に怪我もなく無事だったんですが、地元にいる母親が心配になって、すぐに電話したんです。
それが自分でもすごく意外でした。別に母のことが嫌いなわけではないし、喧嘩してたわけでもないんですが、何年かに一度しか田舎に帰らないし、ずっと疎遠だったんです。けれど、ああいう時にとっさに電話したということは、僕にとっていざという時に一番心配な相手が母親だったんだと気づいたんですね。
震災以前は、母から電話がかかってきても、正直相手をするのが少し億劫でした。愚痴とかを延々話すし、ぼけてきているのか、時々何を言ってるのかもわからないですし。忙しい時は電話にも出なかったです。
そんな関係だったんですけど、震災の時に母のことをすごく心配している自分に気づいて、震災以降は僕からも電話をするようになりました。
震災から3ヶ月位たったころですかね、母から電話がかかってきて、突然泣くんです。散々愚痴を言った後に、わんわん泣いて「さみしいさみしい」って言うんです。お盆には帰るからとなだめて電話を切ったんですけど、すごくやりきれない気持ちになりました。
うちの父親は僕が20歳のときに亡くなってまして、母は40歳くらいからずっと1人で暮らしてきた。経営していた酒屋も不景気で潰れてしまった。やっぱりさみしかったんだと思います。でも僕が何かできるってわけでもないし、それでやりきれない気持ちになったんです。
母がこれだけさみしいって言うから、僕も田舎に帰ろう、帰って母にちゃんと会おうと思った。母のさみしさを受け止めた時に、やっぱりさみしさの力ってすごいなと感じました。
それに加えて、僕も30年間ずっと一人暮らしを続けてきて、僕自身もさみしさをすごく感じるようになってきた時だったので、例のさみしさについてのツイートを連投したんです。
次回、「誰もが持つ「さみしさ」の正体」は5/18(月)更新予定。
誰もが持つ「さみしさの力」を書いた中森明夫氏の新刊『寂しさの力』、好評発売中です。