世界で一つだけの花
小さい花や大きな花
一つとして同じものはないから
No.1にならなくてもいい
もともと特別なonly one
これは「世界で一つだけの花」という歌の一節だ。槇原敬之の歌で、アイドルグループのSMAPが歌って大ヒットしたので、きみも知っているかもしれない。その歌詞になぞらえて、稲垣さんはこう言っている。 「ナンバー1になれるオンリー1の場所こそが、生物にとってのニッチなのである」
歌の方は、花屋の店先にある花の一つひとつがそうであるように、人間のひとりひとりがユニークで特別な“オンリー1”であるということを伝えようとしている。一方、稲垣さんが話しているのは、種についてだ。それぞれの種が、オンリー1の場所であるニッチを見出すことによって生きている、と言う。そのオンリー1の場所で生きる種は、そこでの“ナンバー1”なのだ、と。
「この世に存在している生物はそれがどんなにつまらなく見える生き物であったとしてもそれぞれの居場所で、ナンバー1なのである」
オンリー1=ナンバー1という等式が成り立つ?
でもこれはちょっと変だ。考えてみれば、オンリー1とは「ひとつだけ」ということで、つまり、自分と比べるべき相手がいないということ。だから、この場合のナンバー1という言葉にはほとんど意味がない、ということになる。
そもそも、強・弱という相対的な言葉が成り立つには、互いに比べ合う「他者」が必要だ。そして比べられる者同士が、みな同じ「比較という土俵」に乗っていなければならない。逆に言えば、同じ土俵に乗らなければ、比較は成り立たない。つまり、「強い」「弱い」という言葉は意味を失う。
「競争」についても、同じようなことが言える。競争とは同じ到達点に向かって行われるもの。例えば徒競走で、人によってゴールがバラバラだったら、それはもう競走とは言えないだろう。
一般にスポーツでは、“同じ土俵に立つ”、つまり、同じ目標に向かって、同じルールや条件のもとで、競い合うからこそ、そこに「強・弱」が生まれ、「勝ち・負け」が成り立つ。そして人々はそこに大きな楽しみを見出すのだ。
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