「このあとは、注目の米中首脳会談の最新情報です」
切れのいいヴァイオリンの音色が駆け上がるのに合わせてカメラが引くと、微笑んでカメラを見つめる仁和まなみの背後のモニターに、両国のトップの顔が大きく映し出された。ぴったりと揃えて流した脚にベージュのパテントのパンプス。ポインテッドトゥの先端が、ちょうど画面右下に表示された「ウィークエンド6」の番組ロゴを指していた。
スタイリスト代、出てるんだ、とアリサは目を凝らした。私のは垢抜けない、聞いたこともないメーカーの靴だった。黒と茶色の二足をロッカーに常備しては使い回して、会社が用意する安い衣装に合わせていたのだ。メインキャスターなのだから、専任のスタイリストをつけて欲しいと申し出たアリサに、プロデューサーの藤村はにべもなかった。
それなのにまなみは、いかにも洗練された装いをしている。いくら人気者でも、局アナは会社員だ。衣装代の予算も決まっている。まして報道では、必要最低限の予算しかつかないのが通常だ。でも今日の白いスーツもパンプスも、なんだかすごくおしゃれだ。きっとまなみは特別扱いなのだろう。バラエティーの人気番組ではまなみに専任スタイリストをつけたと聞いているから、同じ人物が担当しているのかも知れない。
リビングの床に置いた大きなビーズクッションに身体を預けて、アリサは食い入るように画面を見つめていた。臨月に入ったお腹がせり上がって、胃や肺を圧迫している。立っても座っても、寝ているときすらも苦しくて、何をするのも
リニューアルした「ウィークエンド6」は、オープニング映像や音楽、ロゴに至るまで新しくなっている。セットも以前より奥行きが出て、きらきらと明るい。それとも、私がスタジオの照明じゃなくて、リビングのくすんだ明かりの下にいるから、余計に眩しく感じるだけだろうか。
赤ちゃんの目に蛍光灯のちらつきはよくないと言って、
それにしても臨月になるとびっくりするぐらいせり出すとは聞いていたけれど、これほどお腹が重いとは。内側から押されて完全に裏返ったへそから、すっかり腹の死角になった陰部に向かって薄茶色い産毛の筋ができたのを浴室の鏡で発見したときには、我ながら幻滅した。
アリサはビーズクッションからずり落ちた体勢を立て直すと、お腹が邪魔して手が届かなくなってしまった足の指を何度も曲げたり伸ばしたりした。ボルドーのペディキュアがまだらに剥げ落ちている。早くサロンで塗り直してもらわないと。
CM明け5秒前、4、3、2。画面に大きなタイトルロゴが翻る。「ウィークエンド・フォーカス!」エコーのかかったタイトルコールに合わせて、クレーンカメラが振り下ろされ、まなみの正面でぴたりと止まった。入念なリハーサルを繰り返しただけあって、スタッフの呼吸も合っている。
「新しくなった特集コーナー、ウィークエンド・フォーカスです。今週は、注目の米中首脳会談について。まずは、ワシントンの吉田記者からの報告です。吉田さん?」
中継画面に切り替わると、中年の記者が棒読みで報告を始めた。
まなみはいつもより低く、柔らかな声で喋るように心がけている。米中首脳会談はまなみの人生にとってまるきり他人事だが、声や表情で、いかにも思い入れがあるように演じることはできる。
ニュースキャスターに、ジャーナリスティックな才能なんて必要ない。ただ、それがいかにも一大事であるかのように演じる感性があればいいのだ。キャスターの顔を見た視聴者が、自分が時代の最先端にいると感じることができればそれでいい。番組を見終わったときに、幾分賢い人間になったかのような気分になれれば、人は満足するのだから。
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