スタッフの拍手の中、プロデューサーの藤村から大ぶりのカサブランカの花束を受け取ると、アリサは晴れやかな笑顔を作った。
7年間キャスターを務めた番組を降りるのに、産休に入るという理由はうってつけだった。佐野アリサは、ニュースキャスターから一人の幸福な母親となるために、マイクを外すのだ。祝福の中、温かな拍手に送り出されて。
それがアリサへの最高のはなむけだとスタッフもわかっていた。キャスターとして第一線にいることよりも、やはり女性は母親になることが幸せなのだ。そう信じている体で、和やかにアリサを送り出せることに、誰もが内心ほっとしていた。
一時は打ち切りも噂された「ウィークエンド6」が、仁和まなみを新キャスターに迎えて起死回生をはかる。週末ニュースの定番の復権なるか、アイドルアナはニュースキャスターへと脱皮できるか。今日だけでまなみへの取材が3件。生放送の準備をしながら、藤村は取材対応に追われた。週明けの週刊誌は、
アリサの後ろ姿に拍手を送りながら、藤村の耳にはもう、まなみの第一声が聞こえていた。
「こんばんは、仁和まなみです。リニューアルした『ウィークエンド6』、これからは私がみなさまに報道の最前線の声をお届けします」
アイドル女子アナまなみの鮮やかな転身。これで落ち込んだ視聴率を
アナウンス部に戻ると、アリサは花束をデスクに投げ出した。肉厚な花弁がぶつかり合って強い香気を放つ。よりによってカサブランカなんて。妊婦は嗅覚が敏感になるのを知らないのだろうか。高価な花だが、持ち帰るつもりはなかった。
そもそもアリサは、藤村が望んだキャスターではない。番組立ち上げの際、藤村は人気アナ・玉名小枝子をメインキャスターに
藤村の希望する第二・第三候補の人気局アナは皆忙しく、メインキャスター探しは難航した。結局スケジュールの空いていたアリサにお鉢が回って来たというわけだ。顔合わせの挨拶の際、藤村はあからさまに不満げな顔をした。
本命じゃないことは、わかっている。だけど、私は地道に頑張った。積極的に取材に出たし、要人へのインタビューでは事前に徹夜で勉強して、実績を積んだ。時間はかかったけれど、番組は週末ニュースの定番となり、業界内の評価も高まった。確かに、週刊誌の見出しを飾るような評判ではない。けれど、知的で抑制のきいたアリサの進行は視聴者からの信頼もあつかったし、テレビ太陽の報道の顔として、局のイメージアップにもなったはずだ。
それなのに、この後味の悪さはなんだろう。
すっかり暗くなった窓に、アリサの姿が映っている。黒いマタニティーパンツに合わせて、臨月のお腹を隠そうと羽織ったベージュのニットがかえって上半身を大きく見せていた。まるでハンプティ・ダンプティだ、とアリサは目をそらした。
デスクの引き出しを開けると、捨て忘れた写真が数枚残っていた。5年前、新人研修の講師をしたときのスナップ写真に映っているのは、アリサと研修中の仁和まなみ、そしてもう一人の新人、滝野ルイだ。
髪の長いまなみは、学生っぽい笑顔でピースサインをしている。トレードマークのえくぼはあるが、今よりもずっと
隣りに写っているルイは、切れ長の目を光らせて少しだけ笑っている。肌が透けるようで独特の色気のある子だったが、いつもどこか