洋子と《ヴェニスに死す》の話をしたかった。しかし、話題は何でもよかった。とにかく無性に、彼女と話がしたかった。今度は二人だけで、もっと時間をかけて。一緒にいて、あんなにやすらぎを感じ、知的に刺激され、何より笑顔の絶えない相手を、彼は他に決して知らなかった。
『俺は、あの夜を、美化しすぎているだろうか? それにしても、その彼女が、四十歳でイラクで死ぬというのは、……』
自らの生を、そんなふうにして終えてゆく同世代人がいる。その想像は、自身の行く末を見定めようとしている彼の眼差しを、心細くぼやけさせた。もっと若い年頃の事故や病死のような、不幸な、未完の生の中断という感じがしなかった。幾ら早すぎるとはいえ、それはそれで、一個の完結した人生のようだった。彼女はそのように生きた、と。そうした重みと寂しさがあった。
たった一度会ったきりで、もし人から、小峰洋子を知っているかと尋ねられたならば、蒔野は「友達」と答えて良いのかさえわからなかった。それでも彼は、彼女への憧れと親しみを、今は一層強くしていた。
出会いの夜、彼女が「本当は、謝ったんでしょう、新幹線の前の座席の人に?」と笑った時の、あのいたずらっぽい表情が忘れられなかった。彼女がもし、生涯、人の手を必要とする負傷を負ってしまったなら、自分はそのために尽くすことができるのではないかとさえ考えた。そして、自分の感情の亢進の仕方に、さすがに、どうかしていると首を振った。
蒔野は、不吉な考えの一切を振り払おうと、昨年末のコンサートの録音にようやく手を伸ばした。早くに届いていて、是永からは再三、確認の催促が来ていたが、彼はそれを、今日までどうしても聴くことができなかった。
あれ以来、耳に入ってくる評判は、絶賛ばかりだった。彼はそれをまるで信用していなかったが、この期に及んで、案外そうかもしれないと、信じたい気持ちになった。聴けばいつものように、ほっとするのではないか。再生ボタンを押すと、彼は固唾を呑んで、アランフェス協奏曲に耳を傾けた。あの日の舞台が、ありありと思い返された。どうにか最後まで辿り着くと、割れんばかりの拍手を早送りして、アンコールの二曲を確認した。そして、武満のビートルズを残したまま、CDを止めると、暗い面持ちでソファに身を投げ出した。どちらかというと、彼はその最後の拍手喝采を聴きたくなかった。
洋子が気に入ってくれたブラームスは、まずまずだった。全体的にも、悲観していたほど悪くはないのかもしれない。初めてコンサートで使ってみたスモールマンも、味わいには欠けるが、確かによく鳴っている。誰が弾いても同じくらいに。
音楽に於ける深みと広がり。長きにわたって幾度となく聴き返されるべき豊富さと、一聴の下に人を虜にするパッとした輝き。人間の精神の最も困難な救済と、せわしない移り気への気安い手招き。魂の解放と日々の慰め。——現代の音楽家のオブセッションのようなそうした矛盾の両立は、ここ数年、蒔野が苦心して取り組んできた課題だった。その点で、彼は実際、どんなギタリストよりも成果を上げつつあった。彼の矜恃はそれを認めつつ、茫漠とした、無闇な不安に包まれていった。
確かに、ケチのつけようのない演奏だった。しかしそれは、欠点がないというより、恐らくは欠点がわからなくなっているだけなのだった。
表現は、全体としてもうひとつで、掲げられた理想は、意気の割に凡庸だった。
この演奏には、たった一つを除いてすべてが揃っている、と蒔野は感じた。しかし彼が、今や身悶えするほど欲しているのは、まさにその一つだった。
未来がない、と彼は感じた。これまでどんな時期の演奏にもあったはずの、あの現下の完成を待ちきれずに、もう芽吹こうとしている次なる音楽の瑞々しい気配がなかった。いやむしろ、既に顔を覗かせつつある幾つかの芽に、彼は冷めた幻滅を感じているのだった。
これまで通り、彼は自分が、音楽家として、もう一段上の高みにまで至り得ることを信じていた。しかし、そのつもりでいながら、どうも目指していたのとは違う、もっとつまらない山を登っているような気がした。自分だけじゃない。端からもその実、そう見えているのではないか?
彼は孤独を感じた。そして、それを悟られたくない気持ちと、理解されたい気持ちとを同時に抱いた。
そういう経験は、これまでなかった。
しばらく天井を眺めていたあと、彼は自らを鼓舞するように体を起こした。そして、自然とあの夜、終演後の楽屋でしていたのと同じ姿勢になって、両手で顔を何度もこすった。
『どうすべきか、今まで通り、根気強く、具体的に考えるだけだ。《ヴェニスに死す》もクソもあるか。もう一度、スコアを眺めて、ギターを弾きながら録音を聴き直せばいい。難しく考えることじゃないだろう?……』
《ヴェニスに死す》症候群
「大丈夫か?——ヨーコ、ダイジョブ?」
男の声がして、洋子の胡乱な瞳に、窓の外の風景が戻った。