電気サーカス 第25回

電話回線とテレホーダイでネットに接続していた時代。『テキストサイト』をはじめた“僕”は、オフ会で女子中学生の“真赤”と知り合い、交流を深めていく。そして大晦日を迎え、いつものようにカラオケ店でのバイトをこなしていたのだが……。

 これはなんという種類の鼠なのだろう。昔実家で猫を飼っていた時は、テーブルの下などに狩りの成果を見せつけるかのように鼠の惨殺死体が転がっていることがよくあったが、あれはもっと小さかったような気がする。この鼠はとにかく大きい。兎とまでは行かないが、それに近い。
 その灰色の毛皮は汚水に濡れ、狭い罠の中で完全に興奮しきっており、荒い呼吸でからだを膨らませたりしぼませたりしている。そして罠に足を近づけたり、物音などの刺激を受けると、それに反応して突如狂ったように走り回り、檻に体をぶつけ、しぶきが厨房の床のコンクリートに飛び散った。これは汚い。近くに立てかけてあったデッキブラシとホースの水で、その雑菌まみれのしぶきを排水溝に流し込むと、その音に反応して鼠はさらに暴れるので、僕は手を止めた。
「これドブネズミってやつですかね」
 鼠が再び落ち着くのを見計らって僕は小声でオグラさんに言う。
「だと思うよ」
 オグラさんは顔をしかめた。その白いコックコートの膝あたりが灰色に汚れている。おそらく鼠にやられたのだろう。
「パスタの袋が囓られてたことが何度かあったからさ、シェフが仕掛けておいたんだ。それを今確認してみたら、こいつが入ってたんだよ」
「そうですか」
 僕は余計な刺激を与えないように、そっとその檻の前にしゃがみ込んだ。すると鼠は動きを止めてじっと僕の顔を見上げる。これがドブネズミというものか。体は汚れているが、目がくりくりとしており、案外可愛い顔をしている。
「どうすっか」
 捕獲してしまったものの、オグラさんは途方に暮れているようだった。
「どうしますかね」
 檻を揺すってみるが、鼠はもう疲れ切ってしまったのか、極度に緊張しているのか、動かない。狭い罠のなかに閉じ込められて、薄汚れていて、おびえていて、その姿になんだか共感してしまう。いや、そんなことはちっとも思いたくはないのだけれど、自然とそう感じてしまうのだからいやになる。いずれにしろ、なんとも憐れなものだ。
「シェフが仕掛けたんだから、シェフが居た時にかかってくれたら良かったのになあ。こんななら、確認しようと思わなければよかった」
 オグラさんはため息をつく。
「それなら、シェフに電話して聞いてみましょうか?」
「きっと家族で過ごしているだろうに、それはまずいよ」
「おれたちにこんなのを押しつけて、一家団欒してるほうが悪いんですよ。ドブネズミの処分の指示をさせて、幸福をぶちこわしてやりましょう」
「ひどいこと言うね」
 オグラさんは乾いた笑い声を立てる。
 鼠を間に置いて二人でああでもないこうでもないと談義していると、帰り支度を終えた店長がやって来て、鼠を見ると目を丸くする。
「お、大物がかかってるじゃん。これが店の食材を荒らしてたやつ?」
「はあ、多分……これ、どうしましょうか?」
 オグラさんが靴の先で罠をつつくと、鼠はまた元気を取り戻したのか、金網の中をぐるぐると走り回る。

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電気サーカス

唐辺葉介

まだ高速デジタル回線も24時間接続も普及しておらず、皆が電話回線とテレホーダイを使ってインターネットに接続していた時代。個人サイトで自己表現を試みる若者達がいた……。

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