第26回】元奨励会員、巨瀬亮一

プロ棋士と互角以上の戦いを繰り広げるまでに進化した将棋ソフト。不可能を可能にしてきた開発者たちの発想と苦悩、そして迎え撃つプロ棋士の矜持と戦略。天才たちの素顔と、互いのプライドを賭けた戦いの軌跡。今日までのコンピュータ将棋に関する最前線を追った『ドキュメント コンピュータ将棋』が3月25日発売。本連載では、本書から特に電王戦FINAL出場者たちの素顔や想いの部分を抜粋して紹介していきます。

 AWAKE開発者の巨瀬亮一は1987年5月生まれで、千葉県柏市出身。現在の上位ソフトの中では、最も若い開発者と言える。巨瀬という珍しい姓は、よく「きょせ」と呼び間違えられる。

 小学1年の頃、羽生が七冠に向けて勝ち進み、社会的なニュースになっていた時に、家族で将棋の本を買った。それを読んで、ルールを覚えた。4年の頃、スーパーファミコンの「森田将棋」と少し指していた。2枚落ちでも勝てなかった。6年の時、修学旅行で日光に行った。電車の中で校長先生と将棋を指した。棒銀を採用して優勢になったが、勝負はつかなかった。帰りにもう一度指して、今度は負けた。それがきっかけで、近所の公民館の子供将棋クラブに通い始めた。3級まで上がった。

 中1になると、より強い相手を求めて、毎週土日には、石田和雄九段が師範を務める柏将棋センターに通いはじめた。夏には初段。冬には二段に上がった。
 中2の時には、東葛支部の代表として、支部対抗戦(3人の団体戦)のメンバーとして、全国大会に出場した。中学生選抜選手権の千葉県予選で1学年上の望月陵らに勝って、代表になった。そこで奨励会に入ることを意識した。同じ年、望月と一緒に石田門下で奨励会試験を受けた。巨瀬は不合格だったが、望月は合格した。望月は後に、三段にまで進んだ。

 その頃、柏将棋センターに、まだ小さかった佐々木勇気と三枚堂達也が通いはじめた。彼らはすぐに、石田先生のお気に入りとなった。
 中3の時、もう一度奨励会を受験した。最後に石田直裕(後に四段)に勝って、6級で合格した。
 奨励会の同期に、1学年下の阿部健治郎がいた。阿部は最初から強かった。何度か当たったが、一度も勝てなかった。阿部はすぐに勝ち上がっていき、後には四段に昇段した。
 高校は、地元の芝工大柏高に進んだ。高1で3級に昇級したのを機に、記録係を務めるようになった。初めて記録を取ったのは羽生名人の対局で、かなり緊張した。その後は月に1、2回記録係を務める生活を、4年ぐらい続けた。持ち時間6時間の順位戦は終局が遅くなるため、終電がなくなって、家には帰れなかった。

父の肖像


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ドキュメント コンピュータ将棋

松本博文

プロ棋士と互角以上の戦いを繰り広げるまでに進化した将棋ソフト。不可能を可能にしてきた開発者たちの発想と苦悩、そして迎え撃つプロ棋士の矜持と戦略。天才たちの素顔と、互いのプライドを賭けた戦いの軌跡。今日までのコンピュータ将棋に関する最前...もっと読む

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uota_aman 2件のコメント http://t.co/O176ZBweT8 5年以上前 replyretweetfavorite

uota_aman 2件のコメント http://t.co/O176ZBweT8 5年以上前 replyretweetfavorite

miztaka 巨瀬さんのバックグラウンド。父からコンピュータ将棋を勧められたんだ。 親子でプログラミングの話ができるってなんかいいね。 https://t.co/93gcUFLMXH 5年以上前 replyretweetfavorite

yskmjp これ読むと2八角戦法やられて投了した巨瀬さんの気持ちもちょっと分かる気がする 5年以上前 replyretweetfavorite