アルジャーノンに花束を』が300万部売れた理由(後)

4月10日(金)からTBS系列にて、山下智久主演・野島伸司脚本監修で放送開始されるドラマ「アルジャーノンに花束を」。原作は、2014年6月に86歳で亡くなったダニエル・キイスが1966年に著した小説です。ドラマ放映開始によせて、この国がどのようにキイスを受容していったかをたどる、風野春樹氏のエッセイを前後篇で掲載します。(SFマガジン2014年9月号「ダニエル・キイス追悼号」掲載エッセイ再録)

ダニエル・キイス『アルジャーノンに花束を〔新版〕』(ハヤカワ文庫NV)

 多重人格ブームがマスコミに拡がる中、さらに不思議なことが起きる。『ビリー・ミリガン』以前、多重人格は日本では小説か古い症例報告の中にだけ出てくる稀な疾患だった。日本人には多重人格は存在しないのではないか、とさえ言われていたほどだ。それなのに、多重人格がブームになると、にわかに多重人格の患者が増え始めたのだ。

 正確な調査がないのではっきりしたことはいえないが、多くの精神科医が当時、実感として多重人格の増加を経験している。筆者の個人的な経験としても、多重人格がブームだったあの頃、確かに多重人格としかいいようがない患者を何人か診たことがある。それは不思議な経験だった。今まで見たこともなかったような症状を訴える患者が、突如として出現したのである。『ビリー・ミリガン』という1冊の本は、日本に多重人格ブームを巻き起こすとともに、今まで日本に存在しなかった病気さえ作り出してしまったのだ。

ダニエル・キイス『24人のビリー・ミリガン』(ダニエル・キイス文庫)

 実はこれは、十数年前の70年代末頃からアメリカで起きたことの再現なのだった。アメリカでは、母親からの性的虐待が原因で多重人格になった症例シビルを描いたフローラ・R・シュライバー『失われた私』(ハヤカワ文庫NF)が、73年にベストセラーになり、マスメディアでも多重人格が盛んに取り上げられるようになったのだが、この頃から実際に多重人格の患者が爆発的に増えているのである。ビリー・ミリガンが多重人格と診断されたのもこの時期のことだ。ちょうど日本の『ビリー・ミリガン』に相当する役割を、この本は果たしたことになる(ただし最近になって、『失われた私』に書かれた内容は捏造に近く、虐待の描写も真実ではなかったことが明らかになっている)。

 アメリカで多重人格が激増した背景には、記憶回復療法といわれる治療法も大きく関わっていた。問題を抱えている患者がいると、治療者はそれはトラウマのせいだと判断し、問題は幼児期の性的虐待にあると説明する。もちろんそんな覚えなどない患者は否定する。しかし、患者が否定することこそ記憶の抑圧がある証しだと治療者は解釈し、催眠や薬物などによって虐待体験を「思い出させる」のだ。

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アルジャーノンに花束を』が300万部売れた理由

風野春樹

4月10日(金)からTBS系列にて、山下智久主演・野島伸司脚本監修で放送開始されるドラマ「アルジャーノンに花束を」。それによせて、風野春樹氏のエッセイをおおくりします。この国がどのようにダニエル・キイスを愛し、受容していったか。前後篇...もっと読む

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コメント

okbc99 “『ビリー・ミリガン』という1冊の本は、日本に多重人格ブームを巻き起こすとともに、今まで日本に存在しなかった病気さえ作り出してしまったのだ。” 約3年前 replyretweetfavorite

matueiho  「記憶は水に溶けたミルクのように曖昧」は「記憶回復療法」の危うさからだっけ? 約5年前 replyretweetfavorite

miyaoyamiwo 面白いです。 約5年前 replyretweetfavorite

harunon416 後編の「多重人格ブーム」の話が興味深かった。 約5年前 replyretweetfavorite