ぼくは、自分が死ぬとしたら、すごくつまらないことで死ぬんじゃないかという気がしています。例えば、お茶がどこか変なところに入って、ひどく咳き込んでいるうちにどうにかなっちゃうとか。最近、たまにむせるから、そのたびに「こういうのが危ないんだよな」って思ってます。
なぜそう思うのか。それはぼくの人生が非常に幸せだったから。
まずいろんなテレビの番組で三〇%以上の視聴率をとって、たくさんのお客さんに喜んでいただけた。これはテレビに関わった人間としては、最高の幸せですよ。しかもそのおかげでお金もたくさんいただいて、それなりに豊かな暮らしをすることもできた。家族やスタッフにも恵まれた。そして大きな病気や怪我もせずに、ここまで元気に生きてこられた。
これだけ恵まれた人生を送ってきて、なおかつ誰もが幸せと思うような死に方をするはずがない、と思ってるの。お布団の上で安らかにとか、家族に囲まれて穏やかにとか、そういうことはあり得ないだろうって。こんな最期がいいなってちょっとでも夢を描いたら、それとはまったく逆になりそうな気もするしね。
ただ、理想としては、死ぬ時にひと言言いたい。ひと言言って亡くなるって、ちょっといいじゃない?
「みなさんには私がコメディアンとして大きな仕事をしてきたように思えるでしょうけど、私にとってはどれもほんの小さな出来事だった」
どれも小さな出来事だったっていうのは、今、本当に思ってることですね。
若い時は大きな夢を描いていたし、視聴率三〇%の番組をいくつも作ったことで、大きな夢を実現したと自分でも思っていたけど、七十歳を過ぎて人生を振り返ってみたら、それほど大きなことには思えなかった。
コント55号もたくさんの芸能人がいる中の一組に過ぎないし、番組の視聴率が三〇%を超えたことも、誰でもできることではないかもしれないけど、それほど大きく取り上げるようなことじゃない。生涯を通してずっと視聴率三〇%を超える番組を作り続けられたのなら、それは大きな仕事をした、と言えるだろうけど、たった五年くらいですからね。
だから思い残すことは何もない。
ぼくが死んだあとにその言葉、きっと出てきますよ。
なんでこんな話をしているのかって?
二〇一四年三月三十日、七十二歳の時に、ぼくは芸能生活の中で何度目かの大きな節目を迎えました。ずっと続けてきた明治座の舞台を引退したの。大きな舞台でお芝居をするのは、もうやめにしたんです。
そのあとに、本を出しませんか、という依頼がきた。どんな本になるのかな、と思いながら一生懸命話していたら、少しだけ、今、思っていることが形になった気がします。“いつも明るい欽ちゃん”とは別の顔が出てるかもしれないけどね。
最後の舞台のこと、お墓のこと、仕事のこと、大学に入ったこと、そしてこれからのこと……。
どれもぼくの個人的な話ですけど、ほんのちょっとでもどなたかのお役に立てたら嬉しいです。
撮影:興村憲彦
次回、「73歳の大学生」は4月8日(水)更新予定。
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撮影:興村憲彦
1979年大阪府出身。スタジオエゴイスト、電通スタジオを経て、カメラマンアシスタントとなった後、2009年に独立。俳優、アーティスト、作家、アスリートなどのポートレート、風景、静物のイメージ写真撮影など、広告、出版、両分野で活動中。http://okimuranorihiko.com/
お茶の間の欽ちゃんが今だからこそ明かす、引退、敬愛する舞台、生と死、そして大学入学という新しい挑戦……もりだくさんの『ばんざい、またね。』4月7日発売です。