「待って!」
「えっ!?」
「ここで話しかけないと、もう二度と会えないと思って……」
彼女は、少し驚いた様子でこちらを見ている。「はあ」
「あそこのカフェでよく勉強してるんですか?」
「はい。学校のちょうど帰り道なんで」
「帰り道なんだ」
「そうです」
「看護師の学校?」
「そうですよ。どうしてわかったんですか?」
「看護師資格の本を勉強してたから」
「見てたんですね」
「ちょっとね」
「弁護士の仕事ですか?」
「なんで?」
「裁判の資料をずっと見てたから」
「弁護士じゃないけど、法律関係の仕事だよ。僕も、オフィスが近くだから、たまにあそこで仕事したりするんだ」
「へえ、そうなんですね」
「うん、そうだよ」
僕は、彼女の目を見つめた。
「何ですか?」
彼女は沈黙に耐えられず口を開いた。
「また、お茶でもいっしょにしませんか?」と僕は言った。「僕たち、友だちになって、たまにお茶したり、いっしょに勉強したりできたらいいなって、思ったんです」
「いいですよ」
彼女は僕の提案を承諾した。
◆
7月の第2週、僕は1ヶ月半のスランプをとうとう抜け出した。
クラブでナンパしたOLの美咲が最初の女だった。
日曜日にいつものビストロで待ち合わせて、ワインのボトルを1本空けた。それからDVDルーティーンで家に連れ込むという、教科書通りのプレイだった。これで僕は自信を取り戻した。不思議なことに、こうしてスランプを脱出すると、なぜか急に女にモテるようになってくる。
恋愛市場の最もミステリアスな現象のひとつは、ナンパが上手く行って、女とセックスできると、なぜか大昔のザオラルメールに突然の返信が来たり、そんなことを一言も話していないのに周りの女が僕を見る目が変わるということだ。まるで名うてのヘッドハンターたちが、企業の中で公表されない実績を積み上げている優秀なビジネスマンを探し出すかのように、女は女にモテた実績を残した男を見つけ出していく。
木曜日は、夜遅くまで仕事をがんばり、そのまま六本木のクラブにひとりで遊びに行った。平日のクラブは空いていて、女の数は少ないのだが、その分、ライバルの男も少なく、僕は過去に何度もいい思いをしていた。
その日、彼女はひとりでバーカウンターで飲んでいた。僕は話しかけ、2時間ほどふたりで飲んだ。機を見計らって家に誘ったら、すんなりとオッケーだった。名前はフミカ。仕事は美容師をしているとのことだった。彼女は僕の家に来て、すぐに抱き合った。翌朝また激しくセックスした。朝から仕事があるらしく、僕は彼女をタクシー乗り場まで送った。僕は正直に、「いまは真剣に付き合ったりすることはできないけど、もしまた会えるなら連絡先教えて。それとも一夜限りの思い出にする?」と彼女に聞いた。フミカは「私はいつも1番じゃないとダメなの。だから思い出にするわ」と僕に言って、最後のキスをしてくれた。彼女はタクシーにひとりで乗り込んだ。お互いに連絡先も知らないから、偶然以外にまた出会えることはない。不思議なことに、こうやってさっと自分から去っていった女のことを、なぜかずっと忘れることができない。彼女との情熱的な夜のことを、僕はこれから何度も思い出すことだろう。
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