広島一の繁華街、八丁堀の交差点から紙屋町方面を望む。右の路面電車は大正元年(1912年)開業。原爆投下で運行停止を余儀なくされたが、3日後には運行を再開した。6人は広島大学と広島修道大学の学生たち。原爆から福島まで、彼らの関心は多方面にわたる。(写真/荒木則行)
カタカナの街
重松 清
広島市、長崎市、そして福島県内のいくつかの街──それぞれに、友人がいる。仕事で訪ねたときには、時間の都合さえ許せば必ず、彼らや彼女たちに案内してもらって、地元ならではのお店で食事をする(もちろんお酒も、たくさん)。
先日も、取材で広島に出かけた。二〇一五年の冬の終わりである。
仕事のあと、友人二人と路地裏の小さな店で旨い魚を食べた。ほろ酔いかげんで店を出て、もう一軒回ろうか、とタクシーに乗り込んだ。
車は路面電車の走る大通りに出て、橋を渡る。
原爆ドームはあのあたりだよな、と橋の対岸に目をやると、ドームの周囲には足場が組まれ、シートが張られていた。
友人の一人が教えてくれた。壁面や鉄骨の状況を調べる三年に一度の健全度調査が、昨年十二月からおこなわれているのだという。
もう一人の友人が、そういえば、とつづけた。
一九一五年に建てられた原爆ドームは、今年、百歳になる。
へえ、と思わず声をあげた。不意を衝かれた。今年が原爆投下と終戦から七十年にあたることは知っていたが、原爆ドームという建物そのものにとっても、節目の年だったのだ。
車はすぐに橋を渡り終え、車内での会話は他愛のないものに戻って、友人二人は今シーズンの広島カープへの期待を熱い口調で語り合っていた。
二〇一五年の「広島」である。平穏で平凡な、どこにでもありそうな夜の一コマである。
だが、原爆ドームには一世紀の歳月が刻まれていると知った瞬間だけは、「広島」は「ヒロシマ」だった。「ヒロシマ」になってしまった、と言ったほうがいいだろうか。
この街は、そういう街だ。
長崎と福島も、また──。
ものごころついた頃から、広島と長崎は「ヒロシマ」であり「ナガサキ」だった(そうだ、「オキナワ」も忘れてはいけない)。
カタカナで表記されるとき、もしくはローマ字表記のHIROSHIMAとNAGASAKIで綴られるとき、二つの街は国境を超え、人類史のスケールでの歴史を背負う。
漢字で記された広島と長崎から、地名の意味や由来が剝ぎ取られ、音だけの言葉になることで、二つの街は一九四五年八月六日と九日の「体験」を超えて、さまざまな立場や世代の人びとに開かれる。核の悲劇を嚙みしめ、核のない世界を構築するための合言葉になりうる。
それは、とても意義深いことだ。
けれど、たまらなく悲しいことでもある。
こんな小さな国に、カタカナで記されてしまう都市が二つもあるなんて──。
広島を「ヒロシマ」にしてしまったのは誰だ。長崎はなぜ「ナガサキ」になってしまったのか。
その問いに、六十数年もの歳月を費やしてもなお決定的な答えを得られず、核廃絶の実現への決定的な道筋を見つけられずにいるうちに、二〇一一年、福島は「フクシマ」になってしまい、住むことすらできない土地をつくりだしてしまった。
僕はそれを、おとなの一人として、いまの子どもたちと未来の子どもたちに、詫びたい。
幸せを意味する「福」を消してカタカナで綴らざるをえない悲しみと、しかし安易にカタカナをつかって、広い福島県をひとくくりにしてはならない、という戒めとともに。
原爆ドームは、誕生から二世紀目に入っても、あの川岸から「ヒロシマとともにある広島」を見つめつづけるだろう。そのまなざしは「ナガサキとともにある長崎」「フクシマとともにある福島」へも注がれているはずだ。
だが、建物よりも長くは生きられない僕たちは、カタカナの街の記憶を、そこに込められた無念や希望を、次の世代に渡さなくてはならない。
僕の世代は、残念ながら、リレーのアンカーとして核廃絶のゴールテープを切ることは難しそうだ。だからこそ、子どもたちへ、その次の子どもたちへ。
僕の手に、バトンはしっかりと握られているだろうか。そして、あなたの手には──?
一九六三年岡山県生まれ。早稲田大学教育学部卒業。おもな作品に『ナイフ』(坪田譲治文学賞)、『エイジ』(山本周五郎賞)、『ビタミンF』(直木賞)、『十字架』(吉川英治文学賞)、『ゼツメツ少年』(毎日出版文化賞)など。広島を描いた作品に『赤ヘル1975』が、東日本大震災を描いた作品に『希望の地図 3・11から始まる物語』がある。長崎では、原爆投下で妻子四人を失った俳人・松尾あつゆきの取材をおこなった。
井上ひさし 忌野清志郎 坂本龍一 重松清 白井聡 田上富久 堤未果 奈良美智 アーサー・ビナード 広河隆一 益川敏英 美輪明宏 吉永小百合 和合亮一 渡辺謙 被爆証言者 原発事故被災者 広島大学・長崎大学・福島大学の学生たち……みんなの思いが1冊になりました。
『No Nukes ヒロシマ ナガサキ フクシマ』
定価:本体1500円(税別)2015年4月17日頃刊行予定
【刊行記念イベントのお知らせ】
『No Nukes ヒロシマ ナガサキ フクシマ』の刊行を記念して、重松清氏のトークイベントが広島で行われます。参加ご希望の方は『No Nukes ヒロシマ ナガサキ フクシマ』特設サイトからご応募ください。
『赤ヘル1975』の原風景 ——ヒロシマの記憶を、子どもたちにどうつないでいくか
4月25日(土)14:00~16:15 広島国際会議場大会議室ダリア(主催 講談社 参加費 無料)
重松氏のトークの他にも、座談会「重松清氏、広島、長崎、福島の学生たちと語る」、広島、長崎、福島の大学生が聞く「被爆証言者のことば」など、盛りだくさんの内容です。