重松清が伝える「カタカナの街」の記憶—ヒロシマ ナガサキ フクシマへのまなざし

坂本龍一、吉永小百合、重松清、堤未果をはじめとするみなさんの平和を願うメッセージと美しい写真が集いました。『No Nukes ヒロシマ ナガサキ フクシマ』というA5判の1冊にまとめられ、4/16に刊行されます。その発売に先駆け、まずは重松清さんが寄稿した「カタカナの街」をcakesに特別掲載いたします。また、重松清さんのトークイベントが4月25日、広島で行われます。申し込みは4月8日まで、お近くの方は奮ってご参加ください。

広島一の繁華街、八丁堀の交差点から紙屋町方面を望む。右の路面電車は大正元年(1912年)開業。原爆投下で運行停止を余儀なくされたが、3日後には運行を再開した。6人は広島大学と広島修道大学の学生たち。原爆から福島まで、彼らの関心は多方面にわたる。(写真/荒木則行)


カタカナの街

重松 清

 広島市、長崎市、そして福島県内のいくつかの街──それぞれに、友人がいる。仕事で訪ねたときには、時間の都合さえ許せば必ず、彼らや彼女たちに案内してもらって、地元ならではのお店で食事をする(もちろんお酒も、たくさん)。

 先日も、取材で広島に出かけた。二〇一五年の冬の終わりである。

 仕事のあと、友人二人と路地裏の小さな店で旨い魚を食べた。ほろ酔いかげんで店を出て、もう一軒回ろうか、とタクシーに乗り込んだ。

 車は路面電車の走る大通りに出て、橋を渡る。

 原爆ドームはあのあたりだよな、と橋の対岸に目をやると、ドームの周囲には足場が組まれ、シートが張られていた。

 友人の一人が教えてくれた。壁面や鉄骨の状況を調べる三年に一度の健全度調査が、昨年十二月からおこなわれているのだという。

 もう一人の友人が、そういえば、とつづけた。

 一九一五年に建てられた原爆ドームは、今年、百歳になる。

 へえ、と思わず声をあげた。不意を衝かれた。今年が原爆投下と終戦から七十年にあたることは知っていたが、原爆ドームという建物そのものにとっても、節目の年だったのだ。

 車はすぐに橋を渡り終え、車内での会話は他愛のないものに戻って、友人二人は今シーズンの広島カープへの期待を熱い口調で語り合っていた。

 二〇一五年の「広島」である。平穏で平凡な、どこにでもありそうな夜の一コマである。

 だが、原爆ドームには一世紀の歳月が刻まれていると知った瞬間だけは、「広島」は「ヒロシマ」だった。「ヒロシマ」になってしまった、と言ったほうがいいだろうか。

 この街は、そういう街だ。

 長崎と福島も、また──。


 僕は一九六三年に生まれた。

 ものごころついた頃から、広島と長崎は「ヒロシマ」であり「ナガサキ」だった(そうだ、「オキナワ」も忘れてはいけない)。

 カタカナで表記されるとき、もしくはローマ字表記のHIROSHIMAとNAGASAKIで綴られるとき、二つの街は国境を超え、人類史のスケールでの歴史を背負う。

 漢字で記された広島と長崎から、地名の意味や由来が剝ぎ取られ、音だけの言葉になることで、二つの街は一九四五年八月六日と九日の「体験」を超えて、さまざまな立場や世代の人びとに開かれる。核の悲劇を嚙みしめ、核のない世界を構築するための合言葉になりうる。

 それは、とても意義深いことだ。

 けれど、たまらなく悲しいことでもある。

 こんな小さな国に、カタカナで記されてしまう都市が二つもあるなんて──。

 広島を「ヒロシマ」にしてしまったのは誰だ。長崎はなぜ「ナガサキ」になってしまったのか。

 その問いに、六十数年もの歳月を費やしてもなお決定的な答えを得られず、核廃絶の実現への決定的な道筋を見つけられずにいるうちに、二〇一一年、福島は「フクシマ」になってしまい、住むことすらできない土地をつくりだしてしまった。

 僕はそれを、おとなの一人として、いまの子どもたちと未来の子どもたちに、詫びたい。

 幸せを意味する「福」を消してカタカナで綴らざるをえない悲しみと、しかし安易にカタカナをつかって、広い福島県をひとくくりにしてはならない、という戒めとともに。


 原爆ドームは、誕生から二世紀目に入っても、あの川岸から「ヒロシマとともにある広島」を見つめつづけるだろう。そのまなざしは「ナガサキとともにある長崎」「フクシマとともにある福島」へも注がれているはずだ。

 だが、建物よりも長くは生きられない僕たちは、カタカナの街の記憶を、そこに込められた無念や希望を、次の世代に渡さなくてはならない。

 僕の世代は、残念ながら、リレーのアンカーとして核廃絶のゴールテープを切ることは難しそうだ。だからこそ、子どもたちへ、その次の子どもたちへ。

 僕の手に、バトンはしっかりと握られているだろうか。そして、あなたの手には──?


重松清(しげまつ・きよし)

一九六三年岡山県生まれ。早稲田大学教育学部卒業。おもな作品に『ナイフ』(坪田譲治文学賞)、『エイジ』(山本周五郎賞)、『ビタミンF』(直木賞)、『十字架』(吉川英治文学賞)、『ゼツメツ少年』(毎日出版文化賞)など。広島を描いた作品に『赤ヘル1975』が、東日本大震災を描いた作品に『希望の地図 3・11から始まる物語』がある。長崎では、原爆投下で妻子四人を失った俳人・松尾あつゆきの取材をおこなった。


井上ひさし 忌野清志郎 坂本龍一 重松清 白井聡 田上富久 堤未果 奈良美智 アーサー・ビナード 広河隆一 益川敏英 美輪明宏 吉永小百合 和合亮一 渡辺謙 被爆証言者 原発事故被災者 広島大学・長崎大学・福島大学の学生たち……みんなの思いが1冊になりました。


『No Nukes ヒロシマ ナガサキ フクシマ』
定価:本体1500円(税別)2015年4月17日頃刊行予定

【刊行記念イベントのお知らせ】

『No Nukes ヒロシマ ナガサキ フクシマ』の刊行を記念して、重松清氏のトークイベントが広島で行われます。参加ご希望の方は『No Nukes ヒロシマ ナガサキ フクシマ』特設サイトからご応募ください。

『赤ヘル1975』の原風景 —ヒロシマの記憶を、子どもたちにどうつないでいくか
4月25日(土)14:00~16:15 広島国際会議場大会議室ダリア(主催 講談社 参加費 無料)
重松氏のトークの他にも、座談会「重松清氏、広島、長崎、福島の学生たちと語る」、広島、長崎、福島の大学生が聞く「被爆証言者のことば」など、盛りだくさんの内容です。


この連載について

核なき世界」はきっと来る—写真と言葉の平和ミュージアムへようこそ

『No Nukes ヒロシマ ナガサキ フクシマ』編集部

坂本龍一、吉永小百合、重松清、堤未果をはじめとするみなさんの平和を願うメッセージと美しい写真が集いました。『No Nukes ヒロシマ ナガサキ フクシマ』という大判の1冊にまとめられ、4/16に刊行されます。発売に先駆け、その一部...もっと読む

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コメント

mititose ふたたび読む。 6日前 replyretweetfavorite

luling184 https://t.co/LLWnBcuYAK 3ヶ月前 replyretweetfavorite

rokugatsuyu @Fleaflicker80 この記者にしろ作家の重松清にしろ、カタカナに意味を持たせているつもりでも、遠くて高いところから見下ろしているという印象しか伝わってきません。 https://t.co/mCBMjPmM0e(要ログイン) 重松清が伝える「カタカナの街」の記憶 約2年前 replyretweetfavorite

apojikatatusans https://t.co/JD5kCd9rny 「カタカナの街」重松清 2年以上前 replyretweetfavorite