第111回 ゼロがゼロである理由(前編)

「ねー、お兄ちゃん。ゼロって何?」とユーリはいきなり言い出した。
登場人物紹介
:数学が好きな高校生。
ユーリのいとこの中学生。のことを《お兄ちゃん》と呼ぶ。
$ \newcommand{\MATAWA}{\mathrel{\text{または}}} \newcommand{\KATSU}{\mathrel{\text{かつ}}} \newcommand{\LEFTRIGHTARROW}{\quad\Longleftrightarrow\quad} \newcommand{\LEFTARROW}{\quad\Longleftarrow\quad} \newcommand{\RIGHTARROW}{\quad\Longrightarrow\quad} $

僕の部屋

ユーリ「ねー、お兄ちゃん。ゼロって何?」

「なんだよ、いきなり」

ユーリ「いーから! ねー、ゼロっていったい何?」

「ゼロは……ゼロだよ。数の $0$ のことだろ?」

ユーリ「他にゼロなんてないよ」

「 $0$ とは何か。それはいろんな説明の仕方があるよ。たとえば、《どんな数 $a$ に加えても、値が変わらない数のこと》とかね。 つまりそれは、 $$ a + 0 = a $$ になるような数がゼロだといってるわけだけど」

ユーリ「うーん」

「他にもあるよ。《どんな数 $a$ に掛けても、それ自身になってしまう数のこと》とか。つまりそれは、 $$ a \times 0 = 0 $$ になるような数がゼロだと」

ユーリ「まーそーだけど」

「ゼロは大事な数だよ。足し算の話をするなら、正の数から負の数を作るときはゼロを使ったよね。つまり、 $a > 0$ のとき、 $$ a + a' = 0 $$ になるような $a'$ として $-a$ を作ったわけだ」

ユーリ「……」

「掛け算でもゼロは重要だよ。 $a \times b = 0$ という式ができたら、 $a = 0$ または $b = 0$ になる。これは重要な性質だよ。 方程式を解くときにこれを使う」

ユーリ「おっと! それそれ! その話もっと聞きたい!」

「え? 何で急に食いついてきたんだ?」

ユーリ「いーから、いまの話もっぺん!」

「掛け算でのゼロは重要だという話? つまり、こういうことだよ。 $a \times b$ はふつうは $ab$ と書くから……」

$$ ab = 0 \LEFTRIGHTARROW a = 0 \MATAWA b = 0 $$

ユーリ「うん、これ知ってる。どっちかはゼロってことでしょ?」

「そうだね。 $ab = 0$ ならば、 $a = 0$ または $b = 0$ が成り立っている。つまり、 $a$ か $b$ か、少なくともどちらか片方は $0$ に等しい」

ユーリ「両方 $0$ でもいーんでしょ?」

「もちろん。いま言ったのは、右向きの《ならば》の話。つまり、$$ ab = 0 \RIGHTARROW a = 0 \MATAWA b = 0 $$ の話だね。 $ab = 0$ ならば、何がいえるかを考えた。 この逆、つまり左向きの《ならば》もいえる。つまり、 $$ ab = 0 \LEFTARROW a = 0 \MATAWA b = 0 $$ ということ。 $a$ と $b$ の少なくともどちらか片方が $0$ に等しかったら、積 $ab = 0$ が成り立つ」

ユーリ「あいかわらずくどいけど、わかってるよん」

「がく。そしてこのことは、たとえば $x^2 - 5x + 6 = 0$ みたいな方程式を解くときに使うね」

ユーリ「因数分解でしょ? できるできる!」

$$ \begin{align*} x^2 -5x + 6 &= 0 \\ (x - 2)(x - 3) &= 0 && \text{左辺を因数分解した} \\ \end{align*} $$

「そうそう。《因数分解をする》というのは《積の形にする》ということ。 そしてなぜ積の形にしたかというと……さっきの $$ ab = 0 \LEFTRIGHTARROW a = 0 \MATAWA b = 0 $$ を使いたいからだよね」

$$ (x - 2)(x - 3) = 0 \LEFTRIGHTARROW x - 2 = 0 \MATAWA x - 3 = 0 $$

ユーリ「 $x = 2, 3$ でしょ?」

「そうだね。ていねいに書くなら《 $x = 2$ または $x = 3$ 》になる。 $x^2 - 5x + 6 = 0$ という《和の形》だとよく見えなかったけれど、 $(x - 2)(x - 3) = 0$ という《積の形》だと、方程式の解がよく見える……でも、 ユーリはもうこんな話はわかってるだろ? 何を考えてるんだ?」

ユーリ「あのね、こないだね、友達が学校で変なこと言ってたの」

「例のボーイフレンド」

ユーリ「違うって!……こういう数があるっていう話。こんな数、あるの?」

こんな数、あるの?
《 $AB$ がゼロなのに、 $A$ と $B$ の両方ともゼロとはかぎらないような数》

「積がゼロなのに、どちらもゼロとは限らない数ということ?」

ユーリ「そー! そんな数、ないって言ったんだけど、《あいつ》は《作ればいい》って言うんだよ。《数を作る》って、どゆこと?」

「《数を作る》って? ああ、まあ、そうだね。僕たちがふだん使っている《数》とは違うけれど、 そういう数のようなものを定義することはできるね。 たとえば《行列》はそうなるな」

ユーリ「ぎょうれつ? なにそれ」

「数のように足したり引いたり掛けたりできるものだね。積はゼロだけど、それぞれはゼロじゃないことがある。 うん、確かに」

ユーリ「数みたいだけど、数じゃない数?」

「行列はもう勉強したから説明できるよ。最初から説明しようか?」

ユーリ「ユーリにもわかる? 難しくない?」

「だいじょうぶ。数とは違う不思議な感覚がしておもしろいよ」

ユーリ「へー!」

行列

「じゃ、行列の簡単な例から話していくよ」

ユーリ「あ、ちょっと待って」

「がく」

ユーリ「あのね。《数を作る》ってどーゆーこと?」

「うん、だから、いまからその話をするんだよ。《数を作る》というか、数に似ているけれど普通の数とは違うものを作るというか。 とにかく、全部《定義》していくから大丈夫」

ユーリ「てーぎ」

「そうだよ。自分で定義してしまえばいい。数学に出てくるものは全部そうやって作るんだから」

ユーリ「数も?」

「そうだね」

ユーリ「うーん……ま、いーや。ではセンセー、始めて」

「まず、行列の簡単な例から話すね。こんなふうに数を並べたものを行列という」

行列の例 $$ \left(\begin{array}{cc} 1 & 2 \\ 3 & 4 \end{array} \right) $$

ユーリ「いち、に、さん、よん」

「そうだね。 $1,2,3,4$ のところに書くのはどんな数でもいいんだけど、とにかくこんなふうに並べる」

ユーリ「へー」

「上の $1\quad 2$ のところを《 $1$ 行目》といって、次の $3\quad 4$ のところを《 $2$ 行目》という」

ユーリ「はー」

「そして、左に縦にならんでいる $\begin{array}{c}1\\3\end{array}$ のことを《 $1$ 列目》といって……」

ユーリ「次の $\begin{array}{c}2\\4\end{array}$ が《 $2$ 列目》でしょ?」

「そういうこと。難しくないだろ?」

ユーリ「難しくないけど、面白くもない」

「そうだよね。横に並んでいる数を《行》といって、縦に並んでいる数のことを《列》というってだけの話だから」

ユーリ「ああ、行と列があるから《行列》なの?」

「そうだね。 $1,2,3,4$ の代わりに別の数を入れたものも、ぜんぶ行列の例になるよ。こんなふうに」

さまざまな行列
$$ \left(\begin{array}{cc} 1 & 2 \\ 3 & 4 \end{array} \right) \qquad \left(\begin{array}{cc} 3 & 1 \\ 4 & 1 \end{array} \right) \qquad \left(\begin{array}{cc} 10 & 21 \\ \tfrac12 & -4.25 \end{array} \right) $$

ユーリ「ふんふん?」

「いま書いたのは全部、 $2$ 行と $2$ 列からできている行列で、これを《 $2\times2$ 行列》と呼ぶ。でも、行列は何行何列あってもいい」

行と列の数がさまざまな行列
$$ \left( \begin{array}{ccc} 1 & 2 & 3 \\ 4 & 5 & 6 \\ 7 & 8 & 9 \\ \end{array} \right) \quad \text{ $3\times3$ 行列} $$
$$ \left( \begin{array}{cccc} 1 & 2 & 3 & 4 \\ 5 & 6 & 7 & 8 \\ \end{array} \right) \quad \text{ $2\times4$ 行列} $$
$$ \left( \begin{array}{c} 1 \\ 2 \\ \end{array} \right) \quad \text{ $2\times1$ 行列} $$

ユーリ「はいはい。ぜんぜん難しくないじゃん」

「言っただろ?」

ユーリ「むー」

「まとめると、これが行列……ここでは $2 \times 2$ 行列の定義」

$2 \times 2$ 行列
$a,b,c,d$ を数とするとき、 $$ \left(\begin{array}{cc} a & b \\ c & d \end{array} \right) $$ を $2 \times 2$ 行列という。

行列の和

「ここからは $2 \times 2$ 行列だけを使って説明するね」

ユーリ「早く、数……みたいなものを作ってほしいんだけど」

「うん。いまから作るよ。数だとすれば、足し算引き算をしたくなる。 だから《行列と行列の足し算》を定義してやればいい。 つまり《行列の和》を定義するということ」

行列の和
$$ \left(\begin{array}{cc} a_1 & b_1 \\ c_1 & d_1 \end{array} \right) + \left(\begin{array}{cc} a_2 & b_2 \\ c_2 & d_2 \end{array} \right) = \left(\begin{array}{cc} a_1+a_2 & b_1+b_2 \\ c_1+c_2 & d_1+d_2 \end{array} \right) $$

「ね。これで定義できただろ?」

ユーリ「『ね』とか言われても、わかんないよ! こんな式だけ出されてもさー」

「ユーリは《わかんない!》とはっきり言ってくれるから話しやすいな。まず、 $a_1,b_1,c_1,d_1$ や $a_2,b_2,c_2,d_2$ などはぜんぶ数だとしよう。 そうすると、これは行列だよね?」

$$ \left(\begin{array}{cc} a_1 & b_1 \\ c_1 & d_1 \end{array} \right) $$

ユーリ「そだね。数並べてるから」

「いまから僕たちは《行列の和》を定義したい。つまり、次の式が何を意味しているかを決めたいということ」

この式は何を意味しているか
$$ \left(\begin{array}{cc} a_1 & b_1 \\ c_1 & d_1 \end{array} \right) + \left(\begin{array}{cc} a_2 & b_2 \\ c_2 & d_2 \end{array} \right) $$

ユーリ「何を意味してるかって……足してるんじゃないの?」

「そうだね。でも、僕たちは《数の足し算》は知ってるけど、《行列の足し算》は知らない。お兄ちゃんは知ってるけど、ユーリは知らない」

ユーリ「うん」

「だからこの《行列の足し算》 $\left(\begin{array}{cc} a_1 & b_1 \\ c_1 & d_1 \end{array} \right) + \left(\begin{array}{cc} a_2 & b_2 \\ c_2 & d_2 \end{array} \right)$ の意味を、《数の足し算》を使って定義してみよう。 それがさっき書いたこの式なんだ」

行列の和
$$ \left(\begin{array}{cc} a_1 & b_1 \\ c_1 & d_1 \end{array} \right) + \left(\begin{array}{cc} a_2 & b_2 \\ c_2 & d_2 \end{array} \right) = \left(\begin{array}{cc} a_1+a_2 & b_1+b_2 \\ c_1+c_2 & d_1+d_2 \end{array} \right) $$

ユーリ「なんとなくわかった……かも? でもまだバシッとはわかってない」

「行列 $\left(\begin{array}{cc} 1 & 2 \\ 3 & 4 \end{array} \right)$ の中に書かれている数 $1,2,3,4$ のことを、この行列の《成分》っていうんだ。《要素》というときもあるかな。 $\left(\begin{array}{cc} a & b \\ c & d \end{array} \right)$ の成分は何だかわかる?」

ユーリ「何って……そりゃ、 $a,b,c,d$ じゃないの?」

「そうだね。成分という言葉を使えば《行列の和》は、《《成分同士の和》を成分とする行列》として定義できるわけだ」

《行列の和》は《《成分同士の和》を成分とする行列》として定義する
$$ \left(\begin{array}{cc} a_1 & b_1 \\ c_1 & d_1 \end{array} \right) + \left(\begin{array}{cc} a_2 & b_2 \\ c_2 & d_2 \end{array} \right) = \left(\begin{array}{cc} a_1+a_2 & b_1+b_2 \\ c_1+c_2 & d_1+d_2 \end{array} \right) $$

ユーリ「成分同士の和っていうのは、 $a_1+a_2$ のこと?」

「そうだね! 右辺に書いてあるような、 $a_1+a_2, b_1+b_2, c_1+c_2, d_1+d_2$ という四つの数を成分とする行列が、 左辺の二つの行列の和になるわけだ」

ユーリ「なんで?」

「いや、これは定義だから、理由はないんだよ。このように決めました……決めてみましたよ、定めてみましたよ、 こういうルールにしてみましたよ、ということ」

ユーリ「ルールを作ったってこと?」

「まさにそうだよ。ルールを作ったってこと。行列の和を求めるためのルールを作った。 計算方法を決めたといってもいいかな」

ユーリ「そんなの……決めてもいいの?」

「決めてもいいよ。でも、めちゃめちゃなルールだと困るから、《一貫性》や《整合性》が必要になるね」

ユーリ「よくわかんない」

「その話の前に、一つだけ計算練習してみようか。行列の足し算練習に挑戦!」

ユーリ「何ハイになってんの?」

問題
次の行列の和を求めよ。
$$ \left(\begin{array}{cc} 10 & 20 \\ 30 & 40 \end{array} \right) + \left(\begin{array}{cc} 5 & 3 \\ -10 & 0 \end{array} \right) $$
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数学ガールの秘密ノート

結城浩

数学青春物語「数学ガール」の中高生たちが数学トークをする楽しい読み物です。中学生や高校生の数学を題材に、 数学のおもしろさと学ぶよろこびを味わいましょう。本シリーズはすでに12巻も書籍化されている大人気連載です。 (毎週金曜日更新)

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DJ_ACT #数学ガール営業部部活動 こちらは2018年秋「行列が描くもの」に収録予定! この機会に是非! 約5年前 replyretweetfavorite

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DJ_ACT #数学ガール営業部部活動 こちらは2018年秋「行列が描くもの」に収録予定です! 約5年前 replyretweetfavorite