庄司薫は中村紘子『ピアニストという蛮族がいる』の中で再生した 中編

世界的なピアニスト・中村紘子が書いた『ピアニストという蛮族がいる』評、中編です。中村紘子の執筆活動を論じる際において、さけて通れないのが夫である作家・庄司薫の存在。芥川賞を取った『赤頭巾ちゃん気をつけて』などで知られ、中村との結婚を機に断筆しました。庄司の存在は、中村の人生をどのように変えたのでしょうか。

中村紘子は「日本人ピアニスト」の問題にどう向き合ったのか


ピアニストという蛮族がいる(中公文庫)

 『ピアニストという蛮族がいる』には、著者・中村紘子に明確に意識された一つの命題と、おそらく隠されたもう一つの命題がある。明白なほうから見ていこう。

 作品の展開は一見して、表題どおり「ピアニストという蛮族」の愉快なエピソードに交えてクラシック音楽やピアノという楽器の本質を描き出すことだ。それが一つのテーマなので、そのように読まれてよい。しかし本書中盤に置かれた、戦前のピアニスト・幸田延とその弟子の久野久を描いた6編、そこに描かれた日本人ピアニストという存在への思い入れが本書の第二のテーマであり、実際には中核をなしている。

 中村紘子は、本書の、ピアニストが「蛮族」であるとしたテーマに続けて、日本人であることのテーマをこう語っている。『アルゼンチンまでもぐりたい』収録「私の中の日本人の血がうずいた」より。

 もう一つのテーマは「日本人ピアニスト」とでもいったものです。近代ヨーロッパ文明の精華ともいうべき西洋クラシックの音楽に、文字どおり極東の島国日本に生まれた日本人が魅入られ献身する、ということの問題ですね。

 日本人としてピアニストであることはどういうことか。このテーマは本書でも彼女自身の経験に絡めて触れられる。中村は18歳のときにニューヨークのジュリアード音楽院に留学し、そこでそれまで身につけてきた久野久伝来のハイフィンガー奏法を捨て、ほぼゼロからやり直すことになった。それまでの自分をすべて捨てるに等しい状況にショックを受け、無気力になり、半年間ピアノにも触れず一日壁を見つめていたという。自殺しかねない状態でもあったとも語っている。

 彼女を一躍有名にしたショパン国際ピアノコンクールさえ、彼女の内面からすれば輝かしいものではなかった。その日彼女は、風邪と下痢で38度の高熱のなかにあった。ようやくの4位は失意だった。ところが意外にも、日本に帰ると大歓声で迎えられた。日本人ピアニストであることを問う不条理とも言えるものだ。その後、いったんニューヨークに戻り、日本人ピアニストの問題に向き合うことになる。引用の先にこうある。

 でもその頃の私は、一旦ニューヨークに戻ったりするんですが、最も根本的な悩みは、やっぱりさっき言った「日本人ピアニスト」の問題でした。日本人のまま弾き続けるか、それともクラシックの音楽の母胎となった「本場人」に思想も生活もなりきるいわば「コスモポリタン」の方向をとるか。中村紘子でいくか、ヒロコ・ナカムラに徹するか。

 後に触れるが母の姓を次ぐ中村紘子か、そこを脱色したヒロコ・ナカムラか。この問題を彼女の内面で解く契機となったのが、庄司薫との出会いだった。

 ところが主人と知り合って、私がびっくりした。彼の世界にいる人たちって、例えば林達夫先生とか丸山真男先生とか、もう皆さんクラシック音楽はもちろんヨーロッパ文化百般にお詳しいわけですが、結局その考えの中心というか根底にいつも日本と日本人がある。考えてみれば当然のことなのですけれど、当時の私にとっては衝撃的な体験でした。(後略)

 中村が出会ったのは、庄司薫でもあるが、「彼の世界にいる人たち」との出会いでもあった。象徴的には丸山真男だったとも言ってもよい。そしてこの「彼の世界」とは、『赤頭巾ちゃん気をつけて』そのものだった。この小説の隠された主人公は、実は丸山真男なのである。

中村紘子を救った知的で愉悦的な対話
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