自然にみんな上を向いちゃうような人間関係がある

cakesの人気連載『疑心暗鬼』でもおなじみの、漫才コンビ「博多華丸・大吉」の博多大吉さんと、『大事なことはすべて立川談志に教わった』、『落語力』という2冊の本を著し文筆業でも活躍中の落語立川流の真打・立川談慶さん。漫才と落語、異なるフィールドで名を成したおふたりですが、じつは1990年に、福岡よしもと(よしもとクリエイティブ・エージェンシー福岡支社)の第1期生として同じ釜の飯を食った仲だったんです。お互いに腰を据えて話すのはなんと24年ぶりという、かつての同期同士の対談、前編です。

話したい、でも話せない、TOKYO MXの楽屋

博多大吉(以下、大吉) どうも、お久しぶりです

立川談慶(以下、談慶) こちらこそご無沙汰してます。

大吉 こうして顔を合わせるのは、TOKYO MXテレビの『談志・陳平の言いたい放だい』の収録以来ですよね。
※談志・陳平の言いたい放だい:2004年から2008年まで放送された、立川談志と野末陳平が司会を務めるトーク番組

談慶 2005年。ちょうど僕が真打になりたてで、しばらく師匠談志に帯同していた時期ですよ。あるとき、MXで収録があるからと麹町のスタジオに行ったら、たまたま「博多華丸・大吉」として出演してらしたんですよね。
※真打ち:落語家の身分。見習い→前座→二つ目→真打の順に昇進していく。

大吉 あの収録は、地獄でしたね(笑)。

談慶 「芸人解放区」っていう、若手芸人を呼んでコントを披露させて、うるさ型の師匠たちに評価してもらうコーナーでね。

大吉 スタジオがまったくの無音なんですよね。そのときは談志師匠と野末先生と、ゲストの吉村作治さんの3人が見てくださったんですけど、もうね、ニコッとはしてくれますけど、笑い声が一切ないから……。

談慶 やりづらいだろうなって思って見てましたよ。でも、師匠はあのときおふたりの漫才を褒めてて、すごく機嫌よかったですよ。

大吉 僕は青木さん……ってどうしても呼んでしまうんですけど、青木さんが立川流でどうされていたのか、ある程度は知ってたんですよ。たまに日刊スポーツに立川流のことが載ったりするじゃないですか。
※青木さん:立川談慶の福岡よしもと時代の芸名は「ワコール青木」だった

談慶 高田文夫先生がコラムで、前座にこんなやつが入ったとか、そういうネタを結構細かく扱ってくださっていましたね。

大吉 だから前座名の「立川ワコール」から、二つ目に昇進して「談慶」に改名されたり、そういう情報は入ってきていて「ああ、元気にやってらっしゃるんだな」と。相方の華丸が「青木さんが真打になりんしゃったばい!」って興奮してたのとか、よく覚えてるんですよ。

談慶 僕は1990年に福岡よしもとに入って、半年ほどお世話になって、91年から東京で師匠談志に弟子入りしたんですよね。入門9年目で師匠から「談慶」の名をいただいて、14年目で真打になって、MXの収録で偶然再会したわけですけど、あのときはもう博多華丸・大吉はだいぶ売れてましたよね?

大吉 いや、ぜんぜんですよ。「ルミネtheよしもと」に出番があるくらいで、まだ『とんねるずのみなさんのおかげでした』にも出てないですし。
※『とんねるずのみなさんのおかげでした』:2005年10月「博士と助手~細かすぎて伝わらないモノマネ選手権~」第6回大会で博多華丸が児玉清のモノマネで優勝し、注目を浴びる

談慶 じゃあ、ブレイク前のおふたりを早々に呼んだMXテレビは、すごい嗅覚を持っていたってことですよね。

大吉 いま思えば偶然なんですけど、とんねるずさんの番組の収録前にふたつだけテレビのお仕事をいただきまして、それが先の談志師匠の番組と、ビートたけしさんの番組だったんです。

談慶 ええー、すごい! 大御所をちゃんと押さえてたんですね。

大吉 たけしさんのほうは『たけしの誰でもピカソ』の方言特集で呼んでいただいて、上京してなんの手応えもないままポンポンと、幸運にも。しかも、MXの楽屋には青木さんがいて、僕はめっちゃ話したかったんですけど……。

談慶 会話らしい会話はなかったですね。僕も師匠に気を遣わなきゃいけない立場だったんで、ずいぶんぎこちなかった。だから今日はほんとに楽しみにしてたんですよ。

大吉 いえいえこちらこそ。だから、ちゃんとしゃべるのは実に24年ぶりですよね。

談慶 24年ですね……。とはいえ、福岡時代もそこまで深い交流があったわけではないというか、僕はちょっと異質な存在でしたから(笑)。

福岡よしもとでひとりだけ、「おっさん」で「サラリーマン」だった

大吉 福岡よしもとの1期生って、僕ら(博多華丸・大吉)と青木さん、ター坊ケン坊(「カンニング竹山」こと竹山隆範とケン坊田中がかつて組んでいたコンビ)、コンバット満ともうひとりいて、7人じゃないですか。このなかで、青木さんだけほかのみんなより年上だったから。青木さん、めっちゃおっさん扱いされてましたもんね。

談慶 そうそう。みなさんハタチ前後で、僕だけ25歳。お互い40代になったいまだったらたいした年齢差じゃないですけど、あの当時の5~6歳の差って大きいですよ。「もう若い子はわからん」って世界。

大吉 しかも、青木さんはサラリーマンと芸人の掛け持ちだし。僕は、結果的に中退しましたけど、当時は大学生でしたから、青木さんは社会経験を積んだ大人のイメージ。コンバット満も元自衛官ですけど、それを社会人といっていいのか問題もあり。

談慶 「ワコール青木」っていう芸名の通り、当時僕は株式会社ワコールの社員で、そっちの仕事も忙しかったんですよね。会社の上司からは「土日にお笑い活動するのはええけど、仕事もちゃんとしいや」といわれてたんで、マルコポーロでのライブや稽古が終わってから得意先を回るような日々でした。だから、みなさんと飲んだのは1回か2回しかなかったんですよね。
※マルコポーロ:福岡・天神の家電量販店の最上階にあったイベントホール

大吉 そうですよね。一緒に飲んだ記憶はほとんどないです。でも、一番大きかったのは、やっぱり青木さんが福岡の人じゃなかったことなんですよ。福岡よしもと初代所長だった吉田武司さんの方針が「福岡県人でお笑いをやる」だったから、こう言っちゃなんですけど、吉田さんも、青木さんの処遇に困ってたんじゃないですか?

談慶 実際、持て余していたと思いますし、僕もその自覚はありましたね。

大吉 おまけに、青木さんは「落語家になりたい」って。もう「それ、窓口がちがいますよ」としか言いようがないじゃないですか(笑)。

談慶 ほとんど押掛け女房みたいなかたちで置いてもらった立場ですからね。まだ強烈に記憶に残ってるんですけど、稽古場に、ケン坊田中ちゃんのご両親が怒鳴り込んできたことがあったじゃないですか。

大吉 ああ、ありましたね。ケン坊のご両親はどちらも学校の先生で、お堅いから。

談慶 「うちの息子をどうするつもりだ!?」っていう、修羅場ですよね。そのときに吉田さんがター坊ケン坊に「おまえらコンビ解消せえや。こんなの俺は面倒見きられへんから」って言い放ったときの竹山さんの表情が、いまも目に焼き付いてます。
 芸人として生きる覚悟を決めた人間が、苦渋の決断を迫られる。もう、「気を落とさないで」みたいな慰めの言葉も空々しく聞こえちゃうくらいの、重苦しい雰囲気で。うわぁ、こういう状況を受け入れつつ舞台に立つんだなっていう、凄みを感じたんです。

大吉 あの時点でのコンビ解散は免れましたけど、しばらくケン坊は稽古に来られなくなりましたからね。平成の話とは思えない。

談慶 その時、自分はまだまだ腹が括れてない、お笑いの舞台はサラリーマンと二足のワラジを履こうなんて、そんな半端な人間が上がれる場じゃないんだって、思い知らされましたね。
 じつは、僕はもともとコントを書こうと思ってて、つまり「作家」の肩書きを手土産に落語の世界に入ったろうみたいな下心があったんです。

大吉 それで福岡よしもとに来たんですか?

談慶 そうです。で、吉田さんに自分が書いたコントの台本を見てもらおうとしたら、「こんなのどうでもええ」と一蹴されて、「しゃべったほうが早いやろ。30秒でわかるんやから」とおっしゃるんで、ネタをやったら「そっちおもろいやんけ。コント出なはれ」と。

大吉 その光景、完全に脳内再生できます(笑)。

談慶 それでいきなりテレビ西日本の『激辛!? お笑いめんたい子』っていうオーディション番組に、右も左もわからないまま引っ張り出されて、しかもトップバッターで。それが大吉さんやター坊ケン坊とのファーストコンタクトでしたね。90年4月の、第1回大会。

大吉 cakesさんの連載でも書きましたけど、僕はあの番組には苦い思い出が(笑)。

談慶 いやいや、立派なもんでしたよ。むしろ僕みたいなのを入れてくれたんだから、福岡よしもととしては、会社の規模を大きくしていこうっていう方針だったんでしょうかね?

大吉 いや、たぶん僕らのときが一番入口が狭かったですよ。吉田さん本人が入れたのは、さっき僕が挙げた7人だけだと思います。翌年に入ってきた2期生も、ふたりだけでしたし。吉田さんは応募者の人生を考えて、一人ひとり面接したりしてたんですけど、3年くらいして所長が交代して、以降はわりと来る者拒まずみたいな事務所に。
 どっちがいいかは置いといて、とりあえず僕らのころが一番きつかったんじゃないですか。

談慶 きつかったですよ。僕は、天神のマルコポーロのライブ当日と直前の稽古場の人間模様しか見てない、換言すれば、厳しさが濃縮されたところを見てきたわけですよ。
 舞台に立つ人には「一番ウケるのは俺だ!」みたいな気迫があって、それを見守る同期たちも「あいつより絶対にウケてやる!」ってう目をしてました。振り返ってみれば、立川流の前座修業も厳しいといわれますけど、あそこまでの緊迫感はなかったですから

大吉 いやいや、立川流のほうが厳しいでしょ(笑)。

談慶 徒弟制度のつらさとは異質の厳しさというんでしょうかね。仲良しだけど、お互いを甘やかすわけでもなく、かといって足を引っ張り合うでもなく、とにかく「こいつより上に行ってやろう!」みたいな態度が、見てて清々しいんですよ。自然にみんな上を向いちゃうような人間関係があるっていうのを、教えてもらいました。


次回「お互いに『続けてくれていてありがとう』」、4/7更新予定

構成:須藤輝


この一冊で仕事術が面白いほど身につく落語力
この一冊で仕事術が面白いほど身につく落語力

年齢学序説 (幻冬舎よしもと文庫)
『年齢学序説』博多大吉

この連載について

24年ぶりの漫才師と落語家—博多大吉×立川談慶

立川談慶 /博多大吉

cakesの連載でもおなじみの、漫才コンビ「博多華丸・大吉」のツッコミ役・博多大吉さんと、『大事なことはすべて立川談志に教わった』、『落語力』という2冊の本を著し文筆業でも活躍中の落語立川流の真打・立川談慶さん。漫才と落語、異なるフィ...もっと読む

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dankeitatekawa “奇しくも面白い対談となりました→@cakes_PR: 漫才コンビ「博多華丸・大吉」の博多大吉さんと立川談慶さんの対談、前編。自然にみんな上を向いちゃうような人間関係とは? http://t.co/sEiFjm0Y1t http://t.co/7qKPBLNABv” 3年弱前 replyretweetfavorite

hugme_x 24年ぶりの再会! 博多大吉さんと立川談慶さん、「福岡よしもと」第1期生のおふたりが若き青春の日々を振り返ります! http://t.co/alWUbtGKnP 地元出身の落語家と、博多大吉さんが知り合いなわけで。談春さんの後輩なわけで。 約3年前 replyretweetfavorite

YusukeShimiz 続きを読む。忘れない。 約3年前 replyretweetfavorite

ryosight [仲良しだけど、お互いを甘やかすわけでもなく、かといって足を引っ張り合うでもなく、とにかく「こいつより上に行ってやろう!」みたいな態度が、見てて清々しいんですよ。] https://t.co/hxMwhIHQG8 約3年前 replyretweetfavorite