私が父とはじめて共演したのは舞台ではなく、映画『ガラスの
四年後、高校二年になった私は深夜たまたまつけたテレビで、舞台『ジャガーの眼』を目にすることになる。一九八五年、状況劇場の花園神社公演を収録した再放送だった。
それまで何度も父の舞台は観ていたが、ここまで衝撃を受けた作品はなかった。番組を観る前と後では、何かが確実に変わっていた。白いカッターシャツを着て花道から颯爽と登場する少年・ヤスヒロに、私は心を奪われてしまったのだ。父にそのことを話すと、「そうか、じゃあ出てみるか」と言った。そうして『ジャガーの眼・二〇〇八』は劇団唐組の秋公演の演目に選ばれ、私は女優を目指す覚悟を決めた。
その後、『黒手帳に頬紅を』『ひやりん
脳挫傷を負う一年前、父は毎日のように深酒をし、医師からいくつもの薬を処方されていた。何か持病があったわけではないが、酒と薬に頼らなければ文字どおり生きていけないような悲壮感を漂わせた。
『ひやりん児』の舞台では、医師から「心臓に負担がかかるので水に浸かってはいけない」と強く言われていた。しかし、いざ本番がはじまると、舞台上に設置された水槽を獲物のように睨みつけ、後悔は何もないと勢いをつけて水のなかへダイブした。そしてしばらく全身で水を浴びながら、その感触を確かめ、客席を挑発するようにニカッと見栄を切った。
生きている。父は実感したに違いない。生きている。命を賭けて舞台に臨み、演じきること。それが役者・唐十郎の肉体であり、鉄則であり、これまで走り続けてきた矜持だった。
そのとき私は、すでに唐十郎の娘ではなく、舞台袖に控えるひとりの役者だった。娘であれば、どんなことがあっても、それを止めただろう。しかし、誰が何と言おうと、唐十郎は水に飛び込むことを止めなかったはずだ。私は、ずぶぬれの唐十郎を見ながら、この人は舞台上で死ねたら本望なんだなと思った。
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