本書に収められた小説や随筆もそうだが、父の作品に登場する人物は、誰もが見過ごしがちな小さなものへ異常に執着する。日常生活ではほとんど必要とされず、失われていく一方の事柄に父は、ダイヤモンドの輝きを与えようとした。
父とフィギュアスケートを観たとき、私はその華麗なスピンに目を奪われた。回転スピードが徐々に上がっていって、頂点へ達する。感動して拍手を送る私の横で父は、選手の演技よりも、スケート靴の刃で削られた氷を凝視していた。そして「あの足許の氷で、氷イチゴが何杯できるかな?」と言った。
そんな父の視点は創作においても一貫して、世間や社会の犠牲になり打ち捨てられたものに注目する。紙芝居やオルゴール、腹話術人形、受精をうながした試験管、使用済みの生理用品、移植された臓器の記憶、木造モルタル造りの畳間、銭湯、空地、ガード下、肉体労働者、傷痍軍人、癲癇持ち、枚挙にいとまがない。効率ばかりが優先される現代からこぼれ落ちた登場人物は、自分だけがこだわる物事に妄想をふくらませ、生きる。
父は戯曲を書くとき、決まって取材に出かけた。取材と言ってもどこかうらびれた街を選んで歩き、行き当たりばったりで住人に話しかけネジ工場を覗きブリキ職人から話を聞いた。それを罫線のない大学ノートに細かな文字でびっしりと書き綴る。家へ帰ってくると今度は劇団員を呼び出し、焼酎を呑みながら取材先での出来事を話すのが常だった。それは単なる取材の報告ではなく、まるで異国の秘境に赴き危険な冒険をしてきたかのような物語だった。劇団員の誰かが「唐さんはああして話し聞かせているうちに、自分のなかで戯曲の構成を組み立てているんだ」と言った。
書きはじめるのは必ず早朝だった。夜は書かない。コーヒーとチーズを口にするだけで食事は摂らず、何時間も二階の書斎に籠もる。そんなときはドアの外まで殺気が滲み出た。
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