小説は時空間移動、内面描写、奇想を表現しやすい
小説によって王道のエンターテインメントを目指したのが『しるしなきもの』。映画や演劇などに比べて、文章だけによって派手でわかりやすい話を築いていくのは、相当にたいへんなことではないですか。
たしかに映画のほうが、わかりやすくスペクタクルをつくり出せる面はありますよね。ただ、小説にもアドバンテージはあるので、できるだけそこを生かしていきたい。
どんな強みがあるのか。たとえば時間の移動は小説が得意ですよね。文章だったら、「2千年後のこと」と書いてしまえば、有無を言わさず納得させられるところがある。映画で2千年後って、ちょっと難しいでしょう。どうカットをつないだらいいのか悩んでしまう。空間の移動もずっと容易ですよね。海の底から地球の裏まで突き抜けていった、といった突飛な行動も、文章で書くならできる。「映像化できない」というのは小説においては美徳だし、そういう作品は読んでいても、小説でやるべきことをやっているという感じがします。
小説は、奇想を表現しやすい。それから、人の感情を描き出すのにも向いている。そういう面をうまくつなぎあわせれば、表現としての奥行きが出せるんじゃないかと思います。その反面で、小説には困難なところもある。いちばんつらいのは、つくっている過程がひとりぼっちで寂しいことですかね(笑)。書いているあいだ、数ケ月間はだれにも会わなかったりしますからね。僕の場合、執筆は仕事場でしていて、佳境になると泊まり込んだりするので、家族にも会わない日々があったりします。
映画などは、大人数がかかわりますからね。おもしろい話をつくるうえでは、みなで考えたほうがいいのか、ひとりでじっくり練ったほうがいいのか、どちらなのでしょう。
善し悪しでしょうね。いろんな人とアイディアを揉んでいくことで、角のとれた当たり障りのないものになってしまうことはよくある。いっぽうで、ひとりで突き詰めてつくることで、批評性のないエゴイスティックなものになることもある。どちらがいいとは、一概にいえないでしょう。
ただ、どちらが楽しいかといえば、みんなでやったほうが楽しいに決まっている(笑)。まあ、そこには僕自身のノスタルジーが入ってしまっているのだけれど。
かつて映画の制作に携わっておられたのですよね。
はい、未練があるとかそういうことではないんですが、映画はなんといっても現場が楽しい、それは間違いない。自主制作映画が中心だったので、社会的なしがらみもなかったし。現場がぜんぶハケたあとの炊き出しとか、そういうのってたまらないですよ。
いまは一日の仕事が終わっても、ひとりで机の上を掃除して、鉛筆削りにたまったカスをそっと捨てるくらいだから。酒を飲みにいったりもしないので、たまに人恋しすぎて涙がちょちょぎれます。
そんなに楽しい映画の世界から、なぜ小説へと表現のかたちを移したのですか?
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