こんにちは。cakesで編集をしている中島です。
今回は、『たった一人の熱狂』を上梓した幻冬舎社長・見城徹さんにインタビューの機会をもらいました。
実はわたしは、2013年まで4年ほど幻冬舎に勤めていました。当時たまたま、2階の編集フロアの見城さんの机から、5メートルぐらいの位置に座っていました。
「お前は、小手先でやるからダメなんだよ!」
そんな怒号が時折、オフィスに響き渡ります。見城さんは、対面でも電話越しでも大人数の会議でも、いつでも誰にでも1対1のタイマンです。
「切り結ぶ」とか「内臓と内臓をこすり合わせる」という言葉をよく使うのですが、見城さんの言葉は、なぜだか心に直接突き刺さるような殺傷力があるのです。
そんな見城さんに、改めてお話を伺うのはちょっぴりというか相当に“憂鬱”でした。
正直、他のライターさんに任せてしまおう、そう思いながら見城さんの書籍のゲラを読んでいると、「俺は闘っている! おまえは今も闘っているのか」と問いかけてくるのです。そして、この機会から逃げてはいけない、と背中を押されました。はるか遠いところから。
そんな思いを率直に手紙に認めて、今回の機会をいただきました。
せっかくお話を伺うので、真剣勝負。少し意地悪な質問でもしてやろう、そんな風に気合を入れて臨んだインタビューでしたが、始まって早々に分厚い言葉の奥にのみ込まれてしまうのでした。
—— ご無沙汰しております。
見城徹(以下、見城) おお、手紙読んだよ。ありがとうな。
—— こちらこそ、今日はお時間いただきありがとうございます。もともとお世話になっていた身としては、こうしてお話を伺うのは、まさに“憂鬱”でした。
見城 おお、なんだか、ごめんな(笑)。きみ、顔つきが良くなったよ。うちにいた頃は、げっそりしてて覇気がなかった。
—— あははは。会う人みんなにそう言われます。いつも叱られてばかりで、すこしうつむいていたかもしれません。折角の機会なので、今日はいろいろお話伺わせてください。
見城 もちろん。
138回「死」が出てくる仕事術とは
—— 『たった一人の熱狂』、読ませていただきました。
見城 ありがとう。再校のゲラ?
※再校:初校に次ぐ二度目の校正
—— はい、再校です。この本は、「仕事と人生に効く51の言葉」という副題で、ビジネス書の仕立てにも見えるわけですが、“死”という言葉があまりにも多くて驚きました。数えてみたら140近くも、ありました。
見城 まあ、ビジネス書のつもりはないんだよ。「人生論」っていう言葉は嫌いだけど、生きる哲学だと思ってる。
—— 確かに、中身は、自叙伝であり、人生論であり、ビジネス書であり、ハウツーもありますね。
見城 人生問答でもあるし、多重の読み方ができる。755に参加してくる顔も名前も知らない人たちに、「どうやって生きるのか」を問うたし、自分にも問うた。
—— 755にあった見城さんのオフィシャルルームでのトークが元になっているんですよね。どのぐらいの期間やられていたんですか?
見城 半年以上、僕にとって非常に濃密な7ヶ月間だった。一日3時間以上やったりしていたからね。
—— 匿名のユーザー一人ひとりに対して、丁寧すぎるほど丁寧に、真剣に返信していらっしゃいました。
見城 だから、相手の質問によってはビジネスの答えになったり、どう生きるかということになった。一番悩みが濃いのが青春だとすれば、悩みのさなかにある人と向き合った青春ストーリーであると思っている。
—— 「たった一人の熱狂」という言葉は、象徴的ですね。やはり熱狂は誰かと共有できないのですか?
見城 みんなが熱狂してたらそれは普通なんです。たとえば、浦和レッズに対して5万人の観衆が熱狂しているという、そういうのは僕にとっては熱狂とは言わない。熱狂というのは、自分だけが狂おしいほど燃え上がっていることだと思う。
—— 他の人と同じものに熱狂していたとしても?
見城 もしも同じものに熱狂したとしても、個人の問題としての熱狂なんです。分かち合うもの、共有するものではない。熱狂は本質的に常に孤独なんです。
—— 分かち合えない熱というのは……、虚しくないですか?
見城 虚しいですよ。ただ、僕も他の人達も生まれたからには死のキャリアであって死に向かって行進していくだけ。残り時間を消費していくだけなんです。どんな人にも必ずやってくる一番平等なものが“死”です。生まれた瞬間からそのために生きている。
だから、生きるってことは、考えるとものすごく虚しい、切ないことだと思う。僕は割合、小さい時からその切なさを抱いて生きてきた。
—— そういう思いにとらわれるようになったのはいつ頃から?
見城 小学校ぐらいからかな。だから、「たった一人の熱狂」というのは、そのころから今日までの僕のすべてを言い表す言葉なんです。
編集者として、自分だけに価値のある熱狂できるものを見つけて、それを大衆が求めるようなメジャーな価値にしていくというのは、僕の恍惚とするところです。常にその恍惚を求めて走ってきた。それさえやっていれば、死ぬことの恐怖や虚しさを拭い去れるという気持ち。それは僕の体内に染み付いた生き方なんです。
—— 熱狂するための生き方。
見城 生き方というか、生き方にもならない。そういう風にしかならないというだけ。休み休み熱狂はできないんです。熱狂から熱狂の間というのは、僕にとっては、とてつもなく退屈だし虚しいし、不安なんです。
それが結局、僕の生き方だから、それが一番色濃く出た本になったと思っている。
—— 思春期の多感なころに、死について真剣に考えることは誰しもあると思います。ただ、そんな思いをずっと持っているのはなかなか難しい気がします。
見城 それはね、僕が気が小さい、怖がりだからです。見つめ続けたくもないんだけど、見てしまう、考えてしまう。不安だらけです。不安だし、恐いし、なぜか泣けてくる。夜中に涙が出てくる。
—— 未だに泣くことがあるんですか?
見城 ありますよ。3ヶ月に一回はあります。でも、まともに生きようとしたら、辛いですよ。辛いし切ないし涙がにじむし、虚しさに耐えている。涙が出てくることはいくらでもある。
それはどこかで、“死ぬ”ということとつながっている。いつかかならず死ぬ。だからここを「正面突破」するしかない、と考えて生きている。
—— その辛さを忘れたり、麻痺したりすることは?
見城 忘れたいですよ。熱狂しているときだけは忘れられる。だから、「たった一人の熱狂」なんです。
他人に褒めらても、自分に褒められなければ意味がない
—— ところで見城さんは、「褒めて伸ばす」といった方針の教育はどう思いますか?
見城 人に褒められただけで満足したら、バカでしょう。
—— うーん、満足しちゃいますけどね。満足というか、「ああ、よかったあ」って思います。
見城 それくらいなら……、いやあ、やっぱり思わないなあ。「ありがとね」ってぐらい。でもどうせそういうことを言ってくる人は、その中に羨望や皮肉やいろんなことが交じるわけです。「これほどの努力を人は運という」と僕はよく言うんだけど、人は他人の成果は認めたくないからね。
—— 圧倒的努力で得た結果に対して、「運がいいね」と陰口を叩く人もいると。
見城 もちろん、人は褒められればうれしい。少しはやる気になる。でも結局大事なのは、自分が決めることです。他人に褒められようが褒められまいが、自分が自分を褒めるか褒めないかです。
—— つまり、自分がどう思うかということですね。
見城 僕の場合は、5つの道があるとすれば、その中で最も困難な道を選びます。自分との戦いに勝たない限り評価はない。自分との戦いに勝つということが、第一に僕のなかにある。それを乗りこえていくということは僕のなかで熱狂でもある。
—— ええ。
見城 でも結果が出ないとだめです。出した結果は物凄く意味がある。結果は客観的に出すしかない。数字しかない。その結果を人が評価するんです。
ただ、自分が自分の困難にどこまで打ち勝ったかというのは僕が評価すること。人は僕の気持ちがわからないから、人にどうこう言われるというのは、あんまり僕のモチベーションにはなりえない。
どうしてネガティヴな感情が重要なのか
—— 本書では、圧倒的な努力をするために、怯え、後悔、怒り、憂鬱だとか、いわゆるネガティブな感情をエネルギーにかえていると書かれています。良かったこと、うれしかったことなどの喜びをエネルギーに変えるというやり方ではダメなのですか?
見城 喜びをエネルギーにかえてもいいけど、たかがしれているよ。どん底をバネにするエネルギーのほうが、よっぽどジャンプ力の角度が高くなる。よっぽど高く飛べますよ。
—— ネガティヴな感情はなぜそんなに重要なのでしょうか。
見城 それは単に勇敢な奴なんていないんです。勇敢であるということは、臆病を含んでいる。
—— どういうことでしょう。
見城 ものすごく臆病な奴が一番勇敢になれるんです。ものすごく繊細な奴が一番したたかになれる。単なるしたたかな奴なんて意味がないし、存在しない。したたかになるためには、針の穴に糸を通すように人の気持ちがわかっていなければなれない。繊細もしたたかも、臆病と勇敢も、裏側では紙一重なんです。
—— つまり、ネガティヴなエネルギーがあるから、ポジティヴに動けるということですか?
見城 そう。ワンセットなんです。振幅しないかぎり、厚みはでない。何事も厚みがあることが魅力です。
たとえば、静と動も一緒。ものすごく激しく動いていて、あまりにも速いから止まっているように見える。その一見止まっているように見える静が、厚みのある静なんです。そこには動と静が同時に含まれている。単に止まっている静は薄っぺらなんです。
マイナスなものをマイナスとして捉えるのではなく、マイナスのものを全部含んだプラスのものにして、あるときはマイナスに、あるときはプラスに振れていくのが、人間の魅力でしょう。そこにしか人は集まらないし、動かせない。
—— 確かに魅力的です。
見城 これは天使と悪魔にだって言える。ただ天使のような人なんていない。悪魔の感情がものすごく自分のなかにあって、それでもよくあろうとして天使になっている。これは深い天使なんですよ。
—— 単に悪魔の人も?
見城 それはいてもただの嫌な奴だよ。天使の部分をたくさん持っていて、その上で時には悪魔にならなければ、人生は克服できないものがたくさんある。
—— 純粋な天使っていそうな気がしますが。
見城 いてもご勝手にって感じですよ。そんなものは僕は興味がない。
—— 人間の業が感じられないからですかね。たとえば、幻冬舎でベストセラーになった『置かれた場所で咲きなさい』の渡辺和子さんなんかはどうでしょうか。
見城 渡辺和子さんだって、単なる天使じゃないよ。彼女のなかにアザや傷や黒い血のかさぶたがいっぱいありますよ。だって、目の前で自分の父親※を殺されているわけですから、そこから始まっている。
すべてがきりもみ状態になって昇華されて、渾然一体となって、そこから導きだされたのが『置かれた場所で咲きなさい』なんだよ。
※渡辺錠太郎:1936年、渡辺和子さんが9歳の時に二・二六事件に遭遇。当時教育総監だった父が青年将校に襲撃され、大量の銃弾で命を落としたのを目のあたりにした。
—— なるほど。
見城 そうじゃなきゃ200万部も売れない。そこら辺の「私は人を信じます」と言ってる人が書いたものを出してもしょうがない。悪意と善意はセットで厚みが出るんです。
—— 昔、見城さんが「おまえ、悪魔みたいになれよ!」って怒っていたというのを伝え聞いたことがあります。そういうことだったんですね……。
次回「野心家が嫌いだ。松下幸之助はもっと嫌いだ」につづく
構成:中島洋一
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