chapter4-10 初心

師匠から大切なことを学んだ僕は、みんなを喜ばせるために街に出た。

 まずは、帰りの電車でおばあさんに席を譲った。「どうぞ座ってください」

「ありがとうございます」

 とても感謝された。いい気分だ。

 それから六本木のクラブに来た。

 まだ、ダンスフロアは空いていたけど、バーカウンターにはOLっぽい女の人がいた。可愛らしいワンピースを着ている。

「その服すごく素敵だね。とても似合ってる」

「ありがとう」

 彼女は嬉しそうに笑ってくれた。

 今日は、これまでに身に付けた恋愛工学のテクニックは全て封印する。様々なオープナーはどれも兵器庫の奥にしまっておいた。タイムコンストレイントメソッドやディスる技術も、いまはバイバイだ。ただ、女に喜んでもらうためだけに声をかけることにしたのだ。もちろんセックスなんてどうでもいい。

 最近は、手の込んだオープナーを試しても無視されてばかりだったのに、不思議なことに、セックスのことを忘れて単に喜ばせるためだけに声をかけると誰からも拒絶されなかった。僕は少しでも喜ばせようと、女の人の褒めるべきポイントを見つける。そして、そのことを素直に伝えるだけだ。僕は、オープナーに関して何か大切なことを学んだ気がした。

 5歳の男の子はみんなナンパの達人だ。電車の中であろうと、公園であろうと、どんな美人に声をかけても決して無視されることはなく、瞬く間に会話をオープンさせてしまう。彼にはセックスしてやろうという下心など微塵もなく、ただいっしょに楽しい時間を過ごしたいだけだからだ。多くの男は、成長するにつれて、そうした天才的な才能を失っていく。

 その後も、何人かの女の子に声をかけた。

「その爪、どうしたの? すごく綺麗だね」

「やあ、君は木曜日だけそんなに素敵なの? それとも毎日素敵なの?」

「こんな素敵な女性を産んで育ててくれた、君のお母さんに、ありがとうと言っておいて」

 バーカウンターで飲んでいた外国人のグループに酒をおごった。

「よく日本に来てくれたね。これは僕のおごりだよ」

 また、他の女たちを下心もないまま、素直に褒めた。どんな女の子にも素敵なところが必ずひとつやふたつはある。それを見つけて褒めるだけだ。

 恋愛工学的には、酒をおごったり、褒めてばかりではいけないことになっている。こうやって女と話せても、下から見上げて褒めてばかりじゃ、結局は舐められて、セックスできない。でも、僕はセックスを目的に女に話しかけてるんじゃない。今夜は、女に喜んでもらうためだけに、ここに来たんだ。

 僕が外国人のグループと楽しく騒いでいると、最初に声をかけたワンピースのOLが話しかけてきた。

「私たち、もう帰るわ」

「帰ることをわざわざ教えてくれて、ありがとう。でも、そんなことされるとちょっと期待しちゃうな」

「え、何?」

「えっと、僕たちが友だちになれて、また、こうやって遊びに行ったりできたらいいな、と思ったんだ」

「じゃあ、友だちになろうよ」

「本当? 嬉しい。でも、どうやって連絡すればいい?」

「LINE交換しよう」


 その日、友だちになったみんなに挨拶してから、僕はひとりで帰ることにした。別に誰かを連れだそうとがんばる必要もない。

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ぼくは愛を証明しようと思う。

藤沢数希

恋人に捨てられ、気になる女性には見向きもされず、非モテな人生をおくる主人公のわたなべ。ある日、恋愛工学と出会い、彼の人生は大きく動き出す……。 ファイナンス、経済学、エネルギー政策に関する著作をもち、リスク・マネジ...もっと読む

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コメント

taluruuuu 最後のこれ!ずっと悩んでた奴だ! 約2年前 replyretweetfavorite

kuniken_817 迷えるときは基本に戻るという事。> 約2年前 replyretweetfavorite