日本全国的に、クリスマスという跳び箱を前にしたジャンプ台のような扱いしかされていない気がするが、12月23日は天皇誕生日であった。
僕は、「誕生日が同じである」というただそれだけの理由で、今上天皇に不思議な親近感を抱いて生きて来た。
幼少の頃より、(こんな事ゆうたらアカンのやけど)という前置きのもとで、周囲から
「今の天皇陛下が亡くならはったら、新しい天皇陛下になって、あんたの誕生日は休日になるんやで」
と囁かれて来たせいか、おさな心に昭和天皇を見ては不穏な期待を抱き続けていたのだ。
1989年1月、四六時中追悼番組が流れる大喪ムードの中、13歳の僕は一人、真冬の曇り空を見て心を浮き立たせていた。
奇蹟が行はれたのかもしれない。日本国ぢゆうが、
たちまち、胴ぶるひをしはじめ、
楽器といふ楽器が、窓から飛び出し、空に舞ひあがつて
てんでんに、鳴りつづけてゐた!
十代の終わりから二十代にかけて、僕の周囲には左翼的な人間が多かった。
彼らから教わる事はとても多かったし、今も自分の考え方の根幹に油汚れのように染みついてしまっている事は否定出来ないが、
一つだけ納得出来ない事があった。
それは年末になると「そろそろ天皇陛下の誕生日やなあ」とつぶやく僕に、
「天皇陛下とは何や?あんなもんはアキヒトって呼び捨てでええんや」
と詰め寄られた事だ。僕にとって明仁天皇は毎年同じ日に1歳づつ年を重ねて行く同時代の戦友であり、
親しみを込めて最上級の敬称で呼ばれなければならない存在であったのだ。
間違ってもアキヒトなどと軽々しく呼ばれてはならない。
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