「がん放置療法」で、生き延びられるのか?
残念なことに、世の中には人をだまそうとする人がいます。あるいは、だます気がなくても、実際はだましているのと同様の場合があります。医療現場に携わっていると、それはそれは、多くの人がだまされている姿を目にします。
2013年にミリオンセラーとなった近藤誠医師の著書『医者に殺されない47の心得』に感化されて、医療や医師への不信を深めた方もいます。
近藤医師が、著作群で述べている「がん放置療法」は、その名のとおり、基本的にがんは放置しようというものです。がんが「がんもどき」だったら、命にかかわらないし、しばらく様子を見ても大丈夫、「本物のがん」だったら、どんな治療をしても助からないので(治療するしないは結果に関係しないので)、いずれにせよ放置でいいという考えです。実際には、何もしないで様子を見ていると、命にかかわってしまうがんが存在します。「がんが進行して死ぬのはいやだ」という気持ちが少しでもある方は、信じないほうが良いと思います。
その独自の理論の誤りは、日本医科大学武蔵小杉病院腫瘍内科の勝俣範之医師の著書『「抗がん剤は効かない」の罪』などで、詳しく指摘されています。また、大腸がん検診での早期発見が、大腸がんでの死亡率に影響を与えることも、さまざまな研究から明らかになっています。
おそらく10年や20年も経てば、「そんな意見もあったな」で済むかもしれませんが、現在、それに感化されて決断を誤ってしまう方がいるのは、残念です。
人は見たいものしか見ない
人の認識装置は、人の数だけあります。何でもポジティブに考える認識装置もあれば、何でもネガティブに考える認識装置もあります。
心理学者のアルバート・エリスは、「出来事があって結果が生じるのではなく、その間には信念や固定観念がある」(ABC理論)と述べていますし、同じく心理学者のアルフレッド・アドラーも「原因があって結果があるのではなく、私たちは現在抱いている願望や目的に合わせて過去を解釈している」と述べています。
つまり、認識や信念、解釈が偏っていると、自分に起こった出来事、過去の経験に与える意味も、さらには結果さえも変わってしまうのです。
健康なときであれば「がん放置療法」の信憑性を疑うことができても、もともと医療に対する疑念や不信があったり、「医療を信じたくない」という気持ちがあったりすると、身体が弱ったときには、「治療しなくても治るのかもしれない」と、つい強く信じてしまうのでしょう。
2,000年前に、ローマの政治家・軍人だったカエサルが言ったように、人はまさに「自らが見たいと思うものだけを見る生き物」なのです。
おいしい話ほど魅力的に映るもの
耳に心地よい話は、私たちにところに絶妙なタイミングでやって来ます。
老後のお金が心配なときの、投資の話。
人生に迷っているときに、すべてを説明してくれる素敵な宗教の話。
「まだ生きたい」と思っているときの、病気を治す免疫治療や食事治療の話。
あるいは、「治療しなくてもがんは治る」という話……。