コンピュータ将棋の最前線を戦う天才たちに迫った一冊、3月25日発売!
1997年、当時のチェス世界チャンピオンのガルリ・カスパロフとDeep Blueの六番勝負では、第3局はカスパロフの投了によって、Deep Blueの勝ちになった。実はその局面は、カスパロフが投了せずに最善を尽くしていれば、ドローに持ち込まれることが、ほどなくわかった。チェスの世界においては、たとえ史上最も偉大なチャンピオンであっても、報道する側からは、容赦のない、手厳しい言葉が浴びせられる。
<カスパロフはグランドマスターのタルタコワ(1887―1956)の有名な言葉を忘れていたのだろう。「投了してゲームを勝った者はいない」を。>(ブルース・パンドルフィーニ著、鈴木知道訳『ディープブルー vs.カスパロフ』河出書房新社)
偉大なチャンピオンであっても、負けではない局面で投了してしまうことがある。いかにも人間らしい、という一例だろう。
コンピュータ将棋の特色の一つは、決して最後まで投げないことである。もちろん、一定の評価値を超えれば投了するように設定すれば、最後まで指すことはない。しかしそうした設定がない場合には、たとえ望みがなかろうとも、最後まで指しつづけることになる。駒を取られつづけて、最後は人間の美意識からすれば見るに耐えない、無惨な終了図になることも多い。
電王戦では、開発者に投了の権限が与えられている。豊島―YSS戦では、開発者の山下が投了した。山下はアマチュア四段の棋力があり、もう望みがない局面であることがわかったからだ。では、それほど将棋が強くなくて、形勢の判断に自信がない開発者だったらどうか。また、棋力が高くても、最後まで指しつづけるのをよしとする開発者だったらどうか、という問題にもなる。
「パソコン棋士に投了という美学はない。将来、パソコン棋士がアマ高段者並みの力をつけたとき、この点は、人間にとって案外やっかいな問題点になるかもしれない。プロならいざ知らず、投了の局面から勝ち切るのは実はそう容易ではないからだ」
とは30年近く前の記述である(『週刊読売』1987年1月25日「パソコン棋士十段戦」)。アマ高段者どころか、棋士をしのぐかという実力を身につけた現在では、いつ投げるのか、というのは棋士と同様、コンピュータ将棋における大きなテーマの一つである。
逆に、コンピュータに対して、人間がなかなか投げない、というケースも現れた。第2回電王戦で、Puella αと対局した塚田泰明九段が、人間相手であれば望みがないという局面で、粘りに粘り、最終的には持将棋により引き分けとなった。
塚田の指し方について、どう思うか。永瀬は次のように答えてくれた。